『もしも僕に十字架が』

 

神父様。

神父様、どこにいらっしゃるのです。

神父様、十字架が見当たらないのです。

神父様、十字架が、貴方に頂いた十字架が。

神父様、十字架が無いのです。僕の十字架が。

神父様…。


<目ヲ醒マセ>

「!」
びくりと体が揺れ、目を見開いた。
「……」
唐突に覚醒した体に意識がついていかず、少年は微動だにせず天井を見上げていた。
「……何だ…?」
漸く思考が追いついて来た少年はゆっくりと身を起こした。
ぶつぶつぶつ、と首筋や頭部で何かが抜け落ちるような感覚。
「っ…!」
ぐらり、と視界が歪んだ。
酷く目眩がする。
頭痛も酷い。
何だろう。
また何かの実験の後遺症なんだろうか。
それにしても、何故こんな部屋に。
「ここは…一体…」
初めて見る部屋だ。
実験はまだ終わっていないのか?
覚束ない脚で立ち上り、壁際まで歩いていく。
「何だ…この格好は…」
それは、いつもの白服ではなかった。
黄色の飾りが四つついた真っ赤なボディスーツ。首にはこれでもかと言うほどの長さの黄色いスカーフだかマフラーだか良く分からない物が巻き付けられている。
<来ルンダ>
不意に響いた声に少年は辺りを見回す。
研究員じゃない。博士でもない声。
<僕タチノトコロニ>
だが、それらしき姿は無い。
「誰?!誰だ?!」
<ソコヲ出ルンダ>
出る?どうして。
けたたましい音を立ててエマージェンシーブザーが鳴り響く。
<跳ベ!跳ブンダ!>
跳ぶ?どこへ?どうして?どうやって?
「何だ?」
しゅうぅ、と音を立てて壁から白い煙が流れ込んでくる。
<がすダ>
「何で?!」
<イイカラ跳ブンダ!>
「くっ…」
思考が空回りしてばかりだ。
跳ぶ?
跳べば良いのか?
跳ぶ。

ガシャァァンッ

「っく!」
ガラスを突き破り、コンピュータールームに転がり込む。
上体を起こすと、驚愕に顔を染めた研究員の一人が自分を見ていた。
「あっ…おい!」
どうなっているんだ、と問い掛ける事は出来なかった。
研究員は慌てて逃げ出してしまう。
「何で…」
少年は立ち上り、己の手を見詰める。
「何で僕はこんなに身が軽いんだ…」
何かドーピンクでもされているのだろうか。
「えっ…?」
背後で扉が上がり、何体もの…ロボットが入って来た。
「ろ、ロボット?!」
ここにそんなものまで有ったのか、と少年は思う。
少年が知っているのは自室とそこからラボまでの僅かな距離だけだ。
こんなものまであるとは夢にも思わなかった。
『動クナ!』
「えっ…ちょ…」
慌てて身を翻す。
ダダダダッ、と鼓膜を揺さぶる銃声が響き、少年は倒れた。
だが、少年は微かに身動きすると再びその体を起こした。
「っ…」
起き上がり、目の前の壁を見て目を見開く。
銃弾を受けた壁は、少年の指が二、三本入りそうなほど大きな銃痕を幾つも残している。
「撃たれた…」
どうして。
確かに衝撃はあった。
どうして。
けれど、それだけだった。
どうして、僕は。
背中の衝撃は徐々に去り、今や然程痛いとも思わせない。
「どうして、何とも無いんだ…ぅわっ!!」
ロボットの一体が少年を壁に押し付ける。
『部屋ニ戻レ』
「ぐっ…」
苦しい。
苦しい、痛い。
離して。
離してくれ。
「ぐ…ぁ、は、離せぇ!!」
ぐしゃ、と砕ける音がした。
思ったよりそれはあっさりと形を無くす。
後は無我夢中だった。
とにかくここから出たくて。
どうして、何が、どういう事なんだ。
それを確かめたかった。
あの人に、逢いたかった。
「ハッ!」
爆風に気がつけば、既にロボットたちは砕け散っていた。
「ぁ…あ…」
少年は信じられない思いで己の両手を見詰める。
「な、何なんだ、これは…」
<脅エナクタッテイイヨ。ソレガキミノちからナンダ>
またあの声だ。
「ち、から…?」
こんな力が?
僕の?
違う、僕はこんな力…
「何なんだァァ!!」
気が狂いそうだ。
<大丈夫、スグニワカル>
また頭に響く幼い声。
「誰なんだ君は!どっから話してるんだ!」
実験の重ね過ぎでとうとう頭が可笑しくなったんだろうか。

<ボクハ…>

「……001…?テレパシー…?」
少年は信じられない思いでその言葉を聞いていた。
「頭の中って…ぁ?!」
何かがくる。
まただ。さっきのロボットだ。
…何故。
何故僕はそれがわかるんだろう。
まだ、足音さえ聞えてこないのに。
どうして。
そして次第に聞えて来た足音に少年は辺りを見回す。
「くっ…」
頭の中に響く声に従って少年は扉を潜った。
「あっ!」
けれど、その先にもロボットは待ち受けていた。
換気口に、と言う声に従って少年は跳んだ。
やはり、軽々とそこまで跳べる。
何なんだ、どうなっているんだ。
眼が覚めてから、もう何度そう思ったかわからない。
とにかく、逃げなきゃ。


「ここは…」
地上に出たと言う事は分かった。
ああそうだ。
空は、大地は、風は、こんな色をしていたんだ。
三ヶ月?四ヶ月?
どれくらいぶりだろう、外に出るのは。
「…ここは、どこだ…?」
ずっと、日本にいるのだと思っていた。
あの人が日本語を話していたから、特に疑問にも思わなかった。
僕は、どこにいるんだ?
あの人は。
あの人は、何処にいるんだ…。



少年から遥か後方、岩の上には八つの影があった。
「……あの人が、009?」
仲間の輪の中心に立つ少女の問いかけに、その腕の中の赤子が小さく頷く。
「茶色い髪の少年かい」
一段高い岩の上からの声に少女はあら?と首を傾げた。
「知っているの?004」
004、と呼ばれた男はひょいと肩を竦めた。
「005と一緒に起動テストに駆り出されてな」
なあ、と一番低い場所にいる大男にそう声を掛けると、彼はこくりと頷くだけだった。
「あっ」
少女が上げた声に一同の視線が集まった。
「どうした、003」
003と呼ばれた少女は驚きに目を見開いた。
「今、戦車を素手で破戒したわ…凄い力…」
003の言葉に仲間たちからも驚きの声が上がる。
「へえ、やるじゃないか」
004がそう唇の端を微かに歪めると、再び003が声を上げた。
「あのままじゃ海に落ちるわ!002、008お願い!」
「了解」
「はいはい」
008と呼ばれた黒人の少年が頷き、002と呼ばれた長髪の青年は立ち上った。
「ああ!海へ落ちたわ!」
「んじゃ、行くぜ!」
003の声に002は008の両脇に腕を差し入れ、彼は足の裏から火を噴いて飛び上がった。
物凄い速さで遠ざかっていく二人を見送り、001がサテ、と呟いた。
<009ニハ悪イケド、モウチョット戦ッテ貰オウ>



「島だったのか…!」
002と名乗った青年は僕をある場所へ下ろした。
「うわ…」
突き飛ばすように腕を放され、僕は踏鞴を踏んでとすんっと何か、いや、誰かに受け止められた。
「あ、ありがと…」
礼を言おうと見上げて、声を上げた。
何だろう、この人、知ってる気がする。
「ぁ…キミ、たちは…?」
大男の後ろにも人がいる事に気付いて僕はその人達を見回した。
「お仲間、だろうさ」
スキンヘッドの男の人がどこか皮肉げにそう笑った。
「確かにそうだな。幸か不幸か…」
彼の隣りで銀髪の男が同じく皮肉げな笑みを浮かべてそう言う。
あれ…この人、この人も、知ってる…ような、気がする…。
「なか、ま…」
<ミンナちからヲ持ッテイル>
また、あの声だ。
<キミト同ジヨウナ…>
みんなをぐるりと見回して、そして下りて来た女の人の腕の中に視線が行った。
「まさか…」
じっと見詰めてくる視線に、そうなのだと確信する。
「君が…」
<ソウ、ボクガ001。トテモ殴ル気ニハナラナイダロ?>
おどけたような口調に、僕は唖然とするしかなかった。
まさか、こんな赤ん坊だったとは。
「……」
ふと女の人と001が何かに気付いたように視線を上げた。
「また来るのか、003」
どうやら彼女は003と呼ばれているらしい。
「ロボット兵よ」
003の言葉に僕は慌てて同じ方を見たけれど、何も無い。
「たくさんいるわ。山の向こうに」
山の、向こう?
「山の向こうが見えるのか?!」
「……」
僕の言葉に彼女はむっとしたように視線を尖らせた。
けれど、それに謝罪する考えが浮かばないほど今の僕は混乱していた。
「先制攻撃と行くか」
銀髪の男の人が進み出て、何と片膝を着くと同時に上げられた膝がぱっくりと開いたのだ。
「003、誘導してくれ」
そして、驚きの視線を向ける僕を睨み上げた。
「…見世物じゃない」
慌てて視線を逸らそうとしたけれど、それでも僕の視線は彼に釘付けだった。
どうして、とまたその疑問詞が飛び交う。
バシュッと音を立てて彼の膝からミサイルが飛び出していく。
見た目は人間なのに、どうしてそんな。
彼だけじゃない。
003、彼女も。
どうしてあんなに遠くが、しかも山という障害の向こうが見えるんだろう。
山の向こうから、無数の黒いものが跳んでくるのが見えた。
砲弾だ。
みんなが銃を取り出してそれを次々に打ち落としていく。
打ち落とせなかった分は001が張っているらしいシールドが僕たちを守った。
002が空を舞い、戦車を撃つ。
銀髪の男の人がまたミサイルを発射する。
僕を受け止めてくれた大男が戦車を持ち上げて投げ捨てる。
「凄い…」
僕はただ呆然とそれを見ているしか出来なかった。
<彼ハ005…>
<006、アダ名ハ「もぐら」…>
<007。臍ノぼたんヲ押スト…>
<008。戦闘ノプロフェッショナル…>
<002は脚のジェットで…>
001の説明を聞きながら混乱しきった頭をどうにか整理できないものかと努力するが、やはりすぐに理解は出来ない。
こんな事が、本当に有り得るのだろうか。
けれど、僕自身、有り得ない力がある。
現実として受け止めるしかない。
けれど…。

<迷ッテイルキミノ心ハ手ニ取ルヨウニワカルヨ>

だって、僕は…。

<デモ、一緒ニ来テ欲シイ…>

一緒に…?

「信じて欲しいの…私たちを」

君たちを、信じる…?

だって、あのロボットたちは、BGのだろ?
それと戦っているってことは、君たちはBGの敵じゃないの?
…あの人の、敵じゃないの…?





(続く)

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