『楽園』の肖像
扉をノックされる音に、ジェイドは資料から視線を上げずに「どうぞ」と答えた。
「失礼します」 入室してきた声にジェイドは不快げに視線を上げた。 そこにはにこやかな笑みを浮かべた、ジェイドと同じ大佐の軍服を纏う男がいた。 「…何用ですか、ラズワルド・アウイン大佐」 わざわざ嫌味ったらしくフルネームで呼んだのは勿論わざとだ。 しかしラズワルド・アウインと呼ばれた男は全く気にすることもなく(そも気にするような神経の持ち主であれば彼はこんな所にいないだろう)用件を述べた。 「ご子息はまだお戻りになられておられませんか?」 「まだですよ。どこぞの皇帝が連れ去ったきりです」 するとアウインは訝しげに顔を顰めた。その表情にジェイドの手も止まる。 「…そちらに居ないのですか」 「一時間くらい前に帰ったぞ」 思わず素の口調が出たが、お互いに気にも留めない。 「あの子は一人の時は寄り道せず来る筈です」 書類を手早く一箇所にまとめ、立ち上がると同時にアウインも踵を返した。 「俺はもう一度宮殿に戻ってみる。お前は施設内と街の方を頼む」 と、出て行こうとして咄嗟に彼は飛び退いた。扉が勢いよく開いたのだ。 「カーティス大佐!!たいへっあっへ、陛下!」 飛び込んできた兵士はアウインの姿に気付いて慌てて姿勢を正した。 「今はラズワルド・アウイン大佐だ。どうした」 「は、はいっ、第七格納庫のエル機関が…!!」 兵士がジェイドの元へ駆け込んでくる少し前。 ルークは一人、マルクト軍基地本部へと向かって歩いていた。 その足取りに迷いは無く、真っ直ぐに目的地へと向かっていく。 彼の焔色の髪は普段は焦げ茶色に染められており、その上に庇の広い帽子を被っている。幅の広い翠のリボンが巻かれたそれを彼は気に入っていた。 ふわ、と風が舞い、咄嗟に帽子を押さえようとして彼はその動きを止めた。 ころん、と帽子が転がる。しかしルークの目は外観の見えてきた、目的の場所である軍基地本部の建物へと向けられていた。 誰かが呼んでいる。 胸が騒ぐ。それが良いものか悪いものかは判断できない。 しかし一つだけ分かることがある。 行かなければ。 ルークは操られたようにその建物へと駆け出した。 いつも使っている正面玄関をくぐり(彼は顔パスだった)建物と建物を繋ぐ渡り廊下から外へ出る。 外、といっても基地自体はぐるりと高い石壁で囲まれているので中庭、と言うべきなのかも知れない。 目的の建物は簡単に見つかった。しかし当然入り口には兵士が立っている。ルークが自由に立ち入れるのは玄関からジェイドの執務室までの道のりだけだ。勿論通してくれるわけがない。 ルークは建物の側面へ回りこみ、上を見上げる。基地を囲む壁よりは低いものの、大人三人が連なっても届かなさそうな高さに小さな窓が並んでいる。 ルークは傍らの樹をまるで小猿のようにひょいひょいと上った。(こういう事は得意だった)そしてその小窓から中を覗き見る。真っ暗でよく分からない。 窓は填め殺しで、始めから明り取りのためでしかなかった。きょろきょろと建物の右から左へと見渡し、一列に並んでいる小窓と思われたそれらは全てが小窓ではなく、等間隔に通気口が設置されていることに気付いたルークは一番近いそこへ潜り込んだ。 勿論、通気口には網目状の蓋があったが、長い間点検されていないのだろう、錆と腐食で脆くなったそれはルークの手でも簡単に外す事ができた。 もそもそと大人だったら通れないそこを芋虫のように這って進む。 一つ目の通気口を開け(こちらはそこそこ綺麗だったが元々清掃用に開くようになっていたのか、下に向かってべらんと開いた)下を覗き込む。 床までは結構な距離がある。しかしすぐ近くに足場になりそうな物があった。何だろう、暗くてよく見えない。 するとそれがふわ、と微かに光った。ああ、これだ。 ルークは確信する。自分を呼んでいたのはこれだ、と。 ルークは迷わずそこへ飛び降りた。かつん、と靴が音を立て、それがガラス壁であることに気づく。 慌てて靴を脱いで辺りを見渡せば、淡い光に照らされて梯子が見えた。 それを半ば飛び降りるようにするっと降りれば、べたん、という素足の音と共にルークは床に辿り着いた。改めて見上げる大きなそれ。 緩やかな逆三角形を描くその表面はガラス壁で覆われており、中はルークが四、五人は入れそうな空洞が設けられており、そこの奥がほんわりと青白く光っていた。 何か、液体でも入っているのだろうか。光が揺らいでいる気がする。 「…?」 ふとルークはそのガラス壁の下方に何かが刻まれていることに気付いた。 爪で引っかいたような、妙に歪な三つのフォニック文字。 それを指でなぞってみると、それが内側から刻まれていることに気付いた。 ルークは無条件でそれがこれを造った者が刻んだのだと思っていたが、もし関わった者達がそれを見ていたら口をそろえて言っただろう。 そんなものは知らないと。 「…エ・リ・ス…」 それを読み上げると同時にごうん、と大きな音がし、続いて羽虫のような駆動音を立てて辺りが明るくなっていく。 緩やかな逆三角形を描くその天辺には続きがあった。それぞれ左右に管が伸び、その先には球体があった。球体の中では今やばちばちと光が弾け、それが管を通って逆三角形の本体へと流れ込んでいく。彼は知らなかった。それが人間の子宮を模したものであることに。 青白い光の向こうに何かが見えた。 ルークはそれに引き寄せられるように手を伸ばす。遮るはずのガラス壁は彼の指をすり抜けた。 背後で複数の声がする。慌しい声。忙しい足音。 しかしルークの耳には途中から届かなくなった。 差し伸べられたそれにルークは己の手を重ねる。 全身を包み込まれる。ルークはそっと目を閉じた。 それは、とても心地よいぬくもりだった。 彼には封印した二つの技術があった。 一つはフォミクリー。 そしてもう一つが、通称「エル機関」 三メートルほどの高さの、ヒトの子宮を模したその音機関は最後の、そして最も重要なパーツを組み込む直前でその製造を停止させていた。 最も重要なパーツ。それは、生身の人間。 しかしその巨大な音機関がそも、何のための物なのか。知る物は発案者である彼自身と開発に関わった研究者たちだけであったが、今では誰もそれを語ろうとしない。 封印された際に彼と研究者たちの間にどんなやり取りがあったのか、それすらも彼らにしかわからなかった。 その音機関は第七格納庫に封印され、その扉は閉ざされて久しい。 もう二度と日の目を見ることの無いと思われたその音機関。 それが何故、今になって。 「子供だと?!」 兵士の報告に傍らを走る男が声を上げた。 「はっ、駆動音に驚いた兵士が中へ入った所、エル機関が起動しその前に子供が立っていたそうです」 「ルークか!」 「恐らくは。この基地に入れる子供といったらあの子しかいません」 「何だってあんな所に!」 渡り廊下を駆け抜け、目的の場所へと辿り着く。 アウインの姿にぎょっとしながらも敬礼する兵士たちに返礼も返さず、彼らは格納庫に駆け込んだ。 明かりの灯されたその内部には、既に駆けつけていた何人もの元担当員たちが慌しく動き回っている。また、ジェイドたちに続いて何人か雪崩れ込むように入ってきた。 彼らもまたそれぞれもう何年も前の記憶を掘り起こしながらそれぞれの担当配置へとつく。 その中央には青白い光を放ち、唸りを上げる巨大な子宮。 「状況は!」 「『受精』から六分経過!あと二分ほどで『着床』します!」 「強制停止プログラムはどうした!」 「ブロックされています!」 「ブロックだと?!」 「管理用プログラム『エリス』が暴走してます!」 「駄目です、一切の干渉が出来ません!」 「博士!第一から第六音素の乖離を確認!『着床』します!」 青白い光は一層輝きを増し、やがてその中心に人の形がぼんやりと見え始めた。 「ルーク!」 頭を下にして、小さく丸まっている子供。 彼の纏っていた物も、髪を染めていた塗料も全て音素へ還り、ルークは翠の瞳を閉ざして眠っていた。 それはまさしく胎児のように。 「ジェイド!何とかなんらんのか!」 アウインの問いかけに彼は苦々しく首を振った。 「無理に引き離せばルークは死にます。あの子はもう、エル機関に取り込まれてしまった…!」 なんということだ。彼は神々しいまでのそれを睨みつける。 ルークはレプリカだ。その身体は第七音素のみで構築されている。 そしてエル機関もその本体内部に高濃度の第七音素を含んでいる。 第七音素同士が呼び合ったのか?今更になって? 己の生み出した技術がルークを生み、そして同じく己の生み出した機関がルークを攫っていく。 これが、禁忌を生み出した報いなのか。 「『胎盤』形成開始しました!透視度再度低下!」 「融合速度加速!」 「生体バイタルはどうなってる!」 「バイタル安定してます!」 「透視度更に低下!目視不可!」 「博士!音素変動速度が落ちています!」 「『羊水』安定!」 「音素変動速度更にダウン!融合完了します!!」 矢継ぎ早に飛ぶ声。その中でも傍らの男の声ははっきりと聞こえた。 「ルークはもう、ここでしか生きられないのか」 「…ええ。しかもこのままでは危険です。起動してしまったからには譜力を消費させないと暴発します。『器』が必要です」 「ルークを機関として組み込むのか!?」 「…もう、それしかあの子を生かす方法がありません」 この男がそう言うのならそうなのだろう。ち、と舌打ちして壁を拳で叩いた。 「安定期に入り次第、ルークを…いえ、機関『楽園<エリュシオン>』をタルタロスに組み込みます」 *** 拍手の方にも書きましたが、ピオニーは任務と称してルークをグランコクマの外に連れ出しています。ついでに自分も外に出れて一石二鳥♪と思ってますが護衛の方々には大変ご迷惑をおかけしております。(爆) この姿だと市街もうろうろできるので気に入っているようです。口調はジェイドの真似。髪は髪飾りを外して後ろで一つに括ってます。 あ、元々ネタ扱いなので話はぶつぶつすっ飛びます。(爆) |