『楽園』の肖像
彼は眠っている。
羊水の中で眠る胎児のように。 そこには天も地も無く、ただ彼はまどろみの中を漂っている。 しかし全く意識が無いわけではない。 今、『器』がどういう状況にあるのか。自分は何処に居るのか。 情報は流れる小川のように、曖昧な意識をすり抜けていく。 それを覚醒させる、キィ・ワード。 『…機関名『楽園<エリュシオン>』、起動せよ』 その声にぱちりと彼は目を覚ました。 きょと、と幾度か瞬いて身を起こす。といっても天地の無いここではただ身じろいただけにすぎないのだが。要は気分の問題だ。 オハヨウ、るーく… 溶液が振動する。 幼い少女に近い、人工的な声。 「おはよ、エリス。タルタロス、何で『骸狩り』が始動してるんだ?」 エリス、と呼びかけられると「それ」は嬉しそうにさざめいて応えた。 魔物ガタクサン襲ッテキタ…人モタクサン進入シテキタ…かーてぃす大佐、捕マッタ… 「ジェイドが?!」 驚きの声を上げれば、それを証明するように目の前が揺らぎ、様々な映像を映し出す。 破壊された装甲、立ち上る黒煙。 赤く染まった通路、倒れ伏す無数の人間。 「うわちゃー、ハデにやったなあ…」 その声に悲壮感は無く、ただ純粋に目の前の光景に唖然としていた。 通称「エル機関」と呼ばれるこの巨大音機関は通常の動力炉からは独立しており、このタルタロスにしか積まれていない特殊な音機関である。 人間であったルークがこの機関と一体となってもう何年も経つ。 管理プログラムである通称「エリス」と感覚を共有しているルークの、人としての感情は年を経る毎に磨耗していく傾向にあり、通常なら吐き気を催すほどの光景にもただぽかんとするばかりだった。 「あ、ジェイ…あれ…?」 艦内の到る所に設置された専用の映像転送機関からの画像にルークは目を丸くする。 育ての親でもあり、このタルタロスの責任者である男の傍らに、一組の男女。 女性の方はどうでもいい。何やら喋っている赤い髪の青年。 「…エリス、音声入れて」 すると即座にノイズ交じりの声が聞こえてくる。 ――貨物を動かせばいいんですね? ――そうです。ところでアッシュ、女性に力仕事を押し付けるのは感心しませんねぇ? ――ああ? 「アッシュ…じゃあ、やっぱコイツが…」 ルークは自分が「アッシュ・フォン・ファブレ」という男のレプリカだと知っている。 自分がレプリカであると言うこと自体はエリスの中の情報から導き出したことだが、被験者が誰であるかは育ての親二人を問い詰めて知っていた。 自分の顔などもう何年も見ていないが、ルークにはすぐに彼が被験者だと気付いた。 今の自分もこんな顔をしているのだろうか。 ルークはそんな事を思いながら三人を眺めていた。 「あれ?」 ふと新しい感覚にルークは映像を切り替えた。 右舷昇降口を外側から開けようとしている者がいる。 魔物が引き裂く感覚ではない。 人間が小手先でどうにかしようとしている感じだ。 映像の中心には、金の髪が映っている。 頭上からの映像なのではっきりとは分からないが男性のようだ。 ――…早くアッシュと合流しないとな…しかしまた面倒なセキュリティを… やれやれ、と頭を掻く青年の声。 ルークは映像に手を伸ばし、指先を軽く潜らせる。 「中に入りたいのか?」 すると金の髪の青年はぎょっとしたように頭上を見上げた。青い瞳がまん丸に見開かれている。 ――……誰だ? 「俺、ルーク。アッシュを探してるの?」 ――…知ってるのか? 「今、左舷昇降口に向かってる」 逆かよ、と青年は己の額に手を当てて天を仰く。 その姿に、未だ失われていなかった好奇心が疼き、ルークは悪戯っ子の様な笑みを浮かべた。 「案内、してやろうか?」 *** 久しぶりのエル。というか久しぶりのSS。 もう何も言うまい・・・。 |