いつわりの花園





軟禁されていると言っても、屋敷から出たことが無いわけじゃなかった。
ガイの手引きでこっそり使用人用の出入り口から抜け出して外へ出たことがある。
と言っても昇降機の前には騎士がいるので、屋敷の裏の大木によじ登ってバチカルの街をそして広がる大地と海を眺めていた。

一度だけ、昇降機を使って下の層へ降りたことがある。

あれは、ヴァンが監視兼護衛として付き添うことを条件に許された、唯一の公式な外出だった。


そうだ、あれはルークが屋敷に来る半年ほど前のことだったはずだ。


どこかぼんやりとアッシュは思う。
初めての世界に、柄にも無くはしゃいでいたと思う。
些細な買い物を経験し、色々な店を見て周った。
しかし何故だろう。どうやって帰ってきたのか、記憶がない。
気が付いたら自室のベッドで寝ていた。
聞いた話では、疲れて眠ってしまった自分をヴァンが背負ってきたらしい。
はしゃぎ過ぎて疲れてしまったのね、と微笑む母の言葉に少々照れくさい思いをしたのを覚えている。
それから暫くしてルークが来て。アッシュは無理にでも外へ出たいとは余り思わなくなっていた。

けれど何故、こんなことを思い出しているのだろう。


――…きて…ぇ…シュ…


誰だ。誰かが呼んでいる。



――…ねえ、起きてったら!




「アッシュ!!」




「!!」
ぱちんと何かが弾けるようにアッシュは意識を覚醒させた。
半身を起こすと、傍らに膝を付いていた少女がほっと安堵の息を漏らしたの感じる。
「気が付いたようね…よかった」
そうだ、この女は!
「てめえ!」
「待って。言いたいことは良く分かるわ。でもこれは私とヴァンの問題なの。…貴方たちを巻き込んでこんな事になってしまったのは申し訳ないと思ってる。本当にごめんなさい。貴方たち二人は必ず屋敷まで送るから…」
「待て…貴方、たち?」
視界の端に白い塊があることに気付いたアッシュが己の隣を見下ろすと、そこには動物のように小さく体を丸めて意識を閉ざしているルークの姿があった。
「ルーク!!」
「安心して、眠っているだけだから。その子、さっきまで起きてたんだけど貴方が眼を覚まさないから待ちくたびれて寝てしまったの」
アッシュの慌てぶりに榛色の髪の少女が少々早口で状況を説明したのだが、アッシュの耳には全くと言って良いほど届いちゃいなかった。
「ルーク、おい、ルーク!」
抱き上げてそっとその頬を叩くと、ぱちりとルークは眼を覚ましてその翡翠の瞳でアッシュを見上げた。
「ルーク、怪我はないか?」
問いかけるとにこりと笑顔が返される。どうやら何処も不具合はないようだ。
「で、何がどうして俺たちはこんな所に居るんだ」
ルークが眼を覚まし、ようやく視野が通常に戻ったアッシュは辺りをぐるりと見渡してみる。剥き出しの岩肌、生え放題の草、鬱蒼と茂る木々。それらは月明かりに照らされて一層陰影を濃くしている。
「どうやら私と貴方の間で擬似超振動が起こったようなの。けれど普通、擬似超振動で飛ばされることはないのだけれど…擬似超振動が起こっている最中にその子が飛び込んできたから、恐らくその衝撃で何かおかしな音素反応が起きてしまったのだと思うの」
「ルークが?」
言われて見て記憶を反芻してみる。
中庭でヴァンに稽古をつけてもらっていたら突然歌が聞こえてきた。
そしてこの女がヴァンに斬りかかって行き、それを阻もうと自分が斬りかかって鍔迫り合いになり…そして頭の奥を劈くような、耳鳴りのような音が響き渡り、体が光に包まれて…。


――いかん、やめるんだルーク!!


そうだ、ヴァンが珍しく焦り、声を荒げていた。
その声でルークがこちらに駆け寄っていることに気付いて、来るなと叫ぼうとして。

光が、意識が…弾けとんだ。

「…それで、これからどうするつもりだ」
「一先ず、ここを抜けて海岸線を目指そうと思うの。街道に出られれば辻馬車もあるでしょうし…」
森の向こうには確かに海が広がっていた。それほど遠くはなさそうだ。
「ちっ…仕方ねえ。ルーク、歩けるか」
こくりと頷いてルークが立ち上がる。服の所々は土で汚れており、本来ならすぐにでも着替えさせてやりたいのだがそうも行かない。
「全く厄介な事になりやがった」
「ごめんなさい、必ず屋敷まで送り届けるから」
「当たり前だ」
苛々と返せばルークがじっと少女を見上げていた。
「な、なあに?」
何処か声が上擦っているのは気のせいだろうか。
アッシュは再び舌打ちした。ルークが何を言いたいのか嫌と言うほどよく分かる。
「おい女、てめえ、名は」
「え、あの、ティア、よ。貴方はアッシュよね?それで、この子はルーク。貴方の妹さん?」
妹かと問われ、一瞬どう答えたものか迷う。プランツ・ドールだと明かすのは何処か躊躇われた。
「…ああ、妹だ。生まれつき口が利けない」
喋れない事も取り敢えずそれで誤魔化し、近くに転がっていた自分の木刀を拾い上げた。無いよりマシである。
「とにかく、さっさとこの森を抜けるぞ」
「ええ、そうね。夜の森は危険だから」
しかも戦うことの出来ないルークも居る。
「…傍を離れるなよ」
いつに無く真剣みを帯びたアッシュの声に、ルークはこくりと力強く頷いた。






実戦は、況してや魔物と戦ったことなど初めてだった。
初戦では人とは違った動きに多少戸惑ったものの、数をこなしていく内に次第に体は思うとおりに動くようになっていた。
しかし、だからと言って無傷で居られるはずも無く。
「治療譜術を…」
「いや、いい」
魔物の攻撃を防いだ際、左手の甲に切り傷を負ってしまった。
しかしすぐに回復させようとするティアを止める。
グミもそうある訳ではないのだし、これくらいの掠り傷でいちいち回復していたらいざと言うとき譜術の使いすぎでスタミナ切れ、なんて事になりかねない。
「どうした」
ルークの小さな手が伸び、アッシュの傷ついた手を包み込んだ。ルークの手が汚れる、と引こうとしたが、それはやんわりと止められてしまった。
「…大丈夫だ。痛みも殆ど無い」
安心させるように言うが、ルークの表情は悲しげなままだ。
包み込まれた左手が温かい。ルークの体温は人と比べて低いはずだが、包まれている左手は血の気が引いている所為か、酷く安心する暖かさを感じた。
やがてそっとルークの手が離れていく。血で汚れたであろう手を拭いてやろうとするとルークはふるふると首を振ってそれを拒んだ。
「ルーク」
言い聞かせるように呼ぶと、渋々とルークが掌をアッシュに向けた。月明かりに照らされたその掌に、血の汚れは全くなかった。
既に血が固まっていたのだろうか?
もう良いだろうと言わんばかりにルークは手を引っ込めてしまった。
「行きましょう」
ティアの声にはっとする。
そうだ、今はここを抜けることを考えないと。



川を渡ったところで辻馬車の御者に出会った。
指定された金額にティアは眼を見張っていたが、相場の分からないアッシュはそんなものなのだろうかと思っていた。
何にせよ、自分たちには持ち合わせが殆ど無い。
歩くしかないのだろうか、とアッシュが考えていると、ティアが懐からペンダントを取り出して御者に見せていた。
「おい」
「…いいのよ」
アッシュでさえそれが質の良いと分かる宝石がはめ込まれたペンダントから視線を逸らさず、ティアは小さく呟く。
その声音から恐らく大切な物なのだろうと察する。肌身離さず持ち歩いているくらいなのだから。
しかしアッシュにはどうこうできるような持ち合わせは無く、ちっと舌打ちをしてそっぽを向くと、傍らで大人しくやり取りを見ていたルークが徐に御者へと歩み寄った。
「おい?」
ルークはクロークの懐をごそごそと探り、やがて小さな巾着袋を取り出して御者に掲げた。
「うん?何だい、お嬢ちゃん」
言葉を紡げないルークはその巾着を御者に押し付け、代わりにティアのペンダントをひったくった。
「おいおい…っておや?」
巾着の手触りで何か気付いたのか、御者がその中身を手のひらに落とす。すると巾着の中からは幾つかの指輪や宝石が転がり落ちてきた。
「こりゃあ…あんたたち、どっかの坊ちゃん嬢ちゃんかね」
「おい、あれはお前の…」
ふるふると首を横に振るルークにアッシュは黙った。
シュザンヌはルークにきらびやかな衣類や人形のほかにも宝石の類をルークに与えていた。御者の手の平にあるのは、ルークが特に気に入っていた物ばかりだ。
いつから持ち歩いていたのかは知らないが、ルークはティアのペンダントの代わりにそれを差し出したのだ。
ルークはティアの前に歩み寄ると、手にしたペンダントを差し出した。
「ルーク、良いのよ。あなたの大切な宝物を奪うことなんて出来ないわ」
しかしルークは先ほどアッシュにしたようにぶんぶんと首を横に振った。心なしかその表情には怒りが篭っている。
そして再びずいっとペンダントを差し出され、ティアは戸惑いながアッシュを見た。
アッシュは「好きにさせろ」と溜息をつくだけで、ティアはそっと戻ってきたペンダントを受け取った。
「…ありがとう…」
そっとそれを包み込むように握ると、ルークはにっこりと笑った。
「それにしても、こりゃあ値打ち物ばかりだな」
宝石を月明かりに照らして検分していた御者は、一つの宝石をつまみ、それ以外は全て巾着に戻してルークへと差し出した。
「こっちも商売だからタダってわけにゃ行かないけど、お嬢ちゃんに免じてサービスしてやるよ。じゃ、俺は水を汲みに行ってくるから、中で待っててくれや」
御者はからからと笑って川へと向かってしまい、その場には複雑そうな表情の男女と、満足そうに笑う少女が残された。











***
この世界では超振動はありますが、ゲーム本編のような破壊力のあるものではなく、たとえるならマイクとマイクを近づけるとキーンとクソ煩い音が鳴るのと同じです。では何故吹っ飛ばされたのかと言うと、それはルークの所為です。まあその辺は後々。(まだ詳しく考えてないだけなんだけどネ☆/爆)
あと、初盤から余りにもアッシュとルークがラブいので、最終的にアスルクにならないことにしました。(何だそれ)もうシスコン兄貴でいいよ。(爆)
なんかもうルークお役立ちすぎ?スミマセ、贔屓です。(さらりと認めおったこの女)
ていうかこの辺既にうろ覚えなんですが。(爆)






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