いつわりの花園





セントビナーに辿り着いたものの、そこにアニスの姿は無く、しかし残された手紙で彼女が無事であることが(十二分に)知れた。
すぐさまカイツールへ発つかと思われたが、イオンの体調を気遣い、宿で一泊することになった。

カイツールへはフーブラス川を直接渉って向かうことになった。
アッシュはルークを背負って渉るつもりだったが、結局背負ったのはガイだった。
足場の不安定な場所を渡る事に慣れていないアッシュが、子供一人背負って渉るのは危険だと口々に言われたからだ。
むっとしながらも、全神経を足元へ向けて水を掻き分けていく。確かに思っていたより遥かに歩き難い。
しかしルークというお荷物を背負っている筈のガイの方が足取りが軽いのはやはり経験の差というやつなのだろう。
何とか滑って転ぶという失態は侵さず渡りきったアッシュは、内心でほっと息を吐いた。
ガイの背中から降りたルークは詰まらなそうな顔をしている。どうやら自分も歩いて渉りたかったらしい。
しかしルークの背丈では歩くより泳いだ方が早そうだ。
いや、それ以前に足を滑らせる間もなく流されるだろう。
水面をべしべしと叩いて遊んでいるルークを尻目に、アッシュは靴を脱いで水を抜いた。

あと少しでここを抜ける、という頃になって何か大きな影が立ちふさがった。
ライガだ。
ルークを背後に庇い、柄に手を掛けるとジェイドが更なる追跡者の存在を告げた。
振り返れば、見覚えのある少女の姿。妖獣のアリエッタ。
イオンが説得を試みるが、アリエッタは是としなかった。
どうやらあのチーグルの森で倒したライガ・クイーンは、アリエッタにとって母親的存在だったらしい。オールドローズの瞳を揺らし、仇だと叫んだ。
アリエッタはアッシュへと視線を移した。否、その背後に庇われているルークを見ていた。
「…ルーク、どうしてアリエッタのママを殺した人と一緒にいる、ですか…ルークが助けてくれた子たち、みんなルークがいなくなって、寂しがってる、です…」
「助けた子たち?どういうことだ」
ガイが一同の問いを代弁するようにルークに問いかけるが、ルークは曖昧な表情を返すばかりだ。
何にせよ、とアッシュが剣を構える。
「てめえに導師もコイツも渡さねえよっ」
「あなたたちはアリエッタのママを殺してイオン様もルークも奪った!アリエッタはあなたたちを許さない!地の果てまで追いかけて…殺します!」
敵は一人と一頭。しかし挟み撃ちのこの状況で、更には中心にイオンとルークを庇いながらとなると、どう転ぶか分からない。
それでもやるしかないのだ。
ライガがアッシュたちを足止めし、アリエッタが詠唱に入る。
それを止めるためにガイが駆け出そうとしたところでジェイドが叫んだ。
「ガイ、アッシュ、下がりなさい!!」
「「!?」」
咄嗟に二人が飛び退いた瞬間、地面が揺れた。
「地震か?!」
ガイの声にアッシュはこれが地震なのかと思い、すぐさまその考えを打ち消した。今はそれどころではない。
体制を崩し、膝をついたアッシュは咄嗟にルークを庇う。
大地の揺れは地割れを引き起こし、そこから紫の気体が噴出した。
「瘴気だわ…!」
ティアが咄嗟に口元を手で覆いながら瞠目する。
「きゃっ…!」
瘴気をまともに浴びたアリエッタとライガが倒れ込んだ。
アッシュたちも逃げようにも左右は岩壁、前後は瘴気の壁。どうしようもない。


――クロア リョ ツェ トゥエ リョ レィ ネゥ リョ ツェ…


場違いな歌声に視線を向けると、ティアが杖を構えて歌っていた。
何を、と思うと同時にイオンが叫んだ。ユリアの譜歌だと。

光がティアを中心に広がり、瘴気は治まった。
ほっと体の力を抜いた途端、腕の中からルークが飛び出していく。
「おい?!」
向かうは、ジェイドと気を失っているアリエッタの間。
「どきなさい、ルーク」
しかしアリエッタを庇うように腕を広げ、ルークは首を左右に激しく振る。
「貴方とアリエッタの間に何があったか知りませんし興味もありません。しかし彼女を生かしておけばまた命を狙ってくるでしょう。それは面倒です」
しかし頑として退こうとしないルークをジェイドが押し退けようと手を伸ばした時、イオンがルークの味方をした。
どうやらアリエッタは元々イオン付きの導師守護役だったらしく、イオンとしても思うところがあるようだった。
「…まあ、いいでしょう」
ジェイドが槍を収めるのを見届けると、ルークはアッシュの元へと駆け戻ってその手を引いた。どうやらアリエッタを安全な場所へ移せと言いたいらしい。
アッシュがアリエッタを近くの木陰に寝かせに行くと、その間にルークは倒れているライガの元へと駆けていった。
ティアが危ないと止めるが、それを振り払ってライガの鼻っ面に手を翳す。
アリエッタを運び終わったアッシュは、それを見て微かに目を見開いた。
自分の傷を癒したアレだ、とアッシュは気付く。
暫く翳しているとライガの体がびくりと揺れ、その身を起こした。
それぞれが咄嗟に武器に手をやると、しかしルークは横たわるアリエッタを指差した。
わずかに数秒、ルークと見詰め合ったライガは意を得たようにちろりとルークの頬を舐め、ふらつきながらも立ち上がってアリエッタの元へと向かった。
「…これは、驚きましたね…」
さすがのジェイドも驚きに目を見開き、ルークを見下ろしている。
「ルークもアリエッタのように魔物の言葉が分かるのでしょうか?」
イオンの問いかけにガイはうーんと首を傾げる。
「屋敷に居た時は人間以外の生物と接する機会が無かったからなあ…」
「言葉が話せない分、そういった事に聡くなる事は有り得ますが…」
ジェイドが言葉を区切ってじっとルークを見下ろす。それは意思の疎通がどうこうより、ルークが手を翳したことによって突然ライガの意識が回復したことに気が行っているようにも思える。
「おい、それよりもさっさと行かなくていいのか」
アッシュは咄嗟にジェイドの思考を遮るかのように告げていた。
巻き込むようにティアにどうなんだ、と声をかけると、何やら考え込んでいたティアがはっとして頷いた。
「え、ええ、余り長くは持たないと思うわ…」
急ごう、とガイが続けてくれたのでアッシュは内心でほっとする。
ジェイドならもしかしたらルークのあの力を説明してくれるかもしれないが、そうなるとルークがプランツである事が露見してしまう。
「さっさと行くぞ」
ルークが傍らに戻ってくるのを確認してからアッシュは足早に歩き出した。

「……」
最後尾を歩きながら、ティアは己の手をじっと見つめた。
ユリアの譜歌は今までに数えるほどしか使ってこなかったが、あそこまで威力は無かったはずだ。しかも今回は咄嗟の事で集中が十分だったとは言えない。
それなのに、何故…。
己の思考に沈んでいたティアは、先を歩くルークがちらりと振り返った事に気付かなかった。








カイツールではアニスと、そしてヴァンと合流できた。
ガイのさり気ない一言のおかげで(「相変わらずアッシュ坊ちゃんは妹べったりですよ」)ヴァンも意図を悟り、ルークをアッシュの妹として話を合わせてくれた。
宿屋の一室でヴァンは六神将のことやあれやこれやと話していたが、アッシュはそれを右から左へとほぼ聞き流していた。否、聴こうとはしているのだが、どうしてもヴァンがルークの事を何か知っているのではないかと気をやってしまうのだ。
ルークの事を聞いてみるべきなのだろうか。
しかし彼に対してルークの事を迂闊に口にしていいものかとも思う。
ルークのヴァンに対する態度は相変わらずで、やはりルークとヴァンの間には何かがあり、しかしそれは決して良いものではないだろう気がしてならない。
…そうだ、バチカルに帰ったら、プランツの店へ行こう。
ルークを育てた「名人」なら何か知っているかもしれない。
アッシュはそう思いながら自分の腕にしがみ付いているルークを見下ろす。
いつもならすぐにアッシュの視線に気付き、柔らかな笑顔と共に見上げてくるはずのルークは、一瞬たりともヴァンから目を離そうとはしなかった。
まるで、監視するかのように。






アッシュたちはカイツールで一泊してから関所を抜け、港へと向かった。
ヴァンはアッシュたちに旅券を渡してすぐに関所を発ったため、アッシュたちが港につく頃には既に簡易宿舎の前に居た。
初めて目にする連絡船にルークが目を輝かせて駆け寄っていく。
「ルーク、上を見たまま走ると転ぶわよ」
ルークはティアの注意どころか、この時ばかりはヴァンの事すら眼中に無いようだった。
苦笑してそれを見ていると、ふっと空が翳った。
「ルーク!」
空から滑降してきた青いそれはルークを掴み、空へと舞い上がる。
ルークを捕らえた魔物はばさりと羽ばたいて仲間の元へと向かった。
ルークを攫ったそれと同じ魔物の脚には、陰鬱な顔をした少女がぶら下がっている。
アリエッタだ。
「アリエッタ!ルークを下ろしてください!」
イオンが空を見上げて呼びかける。しかしアリエッタはふるふると首を振ってそれを退けた。
「だめ、です…ルークはアリエッタと一緒に行く、です…イオン様のお願いでも、きけません…」
「アリエッタ!誰の命令だ!!」
「総長…ごめんなさい、ディストに頼まれたの…」
「ディストだと?」
ヴァンが訝しげな顔をする。その傍らでジェイドの頬が一瞬引きつったのは気のせいだろう。
「…ルークを返してほしければ、イオン様を連れてコーラル城へ来い、です…」
ばさりと一層大きな羽音を立て、二羽の魔物は空高く舞い上がっていく。
状況が理解できずにきょとんとしているルークの姿が徐々に小さくなっていき、それは東の方角へと消えていった。






整備の関係から出港は明朝となり、アッシュたちは簡易宿舎で一泊することになった。
ルークの奪回はヴァンの説得により彼に一任することになった。
見す見す導師を渡すわけには行かないし、自分が向かった方が六神将の説得もしやすいだろう。何よりお前は一刻も早く帰国してシュザンヌ様に無事な顔を見せてやりなさい、と。
始めは興奮状態でヴァンの言葉など聞こえていなかったアッシュも、時間と共に冷静さを取り戻しつつあった。
そう、確かに自分がコーラル城へ向かったところで、あの少女はルークを返してはくれないだろう。せめてイオンと交換でもしない限り。
しかしそれが出来ない相談だということはアッシュとて分かっている。
そう、自分がコーラル城へ向かった所で出来ることなど、何も無いのだ。

「眠れないのか」

防波堤に背を預け、俯いていたアッシュの頭上から声が振ってくる。
「夜の海風に当たるのは良くないぞ」
顔を上げると、ヴァンが見下ろしていた。暗くてその表情は見えない。
「ルークは必ず私が連れ帰る。約束しよう」
「……」
再び俯いてしまったアッシュに、ヴァンは苦笑したようだった。
「アッシュ、短気を起こすなよ。お前に万一の事があれば、病弱なシュザンヌ様はどうなってしまわれるか…」
「…ッわかってる!」
ちっ、と舌打ちして髪を掻き乱す。ヴァンはいつもそうだ。母上のことを出せば俺が素直に言う事を聞くと思ってやがる。
しかしそれが事実であることも、アッシュは嫌というほど自覚している。
「アッシュ、お前は自分のことを第一に考えるべきだ。お前は王位継承者。お前の代わりは誰もいないのだ」
「……わかってるさ、そんな事……」
しかし立ち上がる気配の無いアッシュに、ヴァンは小さく溜息を吐くと「余り思いつめるな」と言い残して宿舎へと戻っていった。
「…っくそ!」
だん、と傍らの地面を叩く。
わかっている、わかっているんだそんな事は!!
ヴァンの言う事が一番効率の良い事だと分かっている。
いくら自分がルークを大切にしても、ルークはプランツなのだ。プランツは人ではないから「一人」ではなく「一体」と数えられる。そう、一般的な価値は高価な人形と変わりは無いのだ。
ルークをプランツだと知る第三者の目から見れば、アッシュがルークを追う事は、奪われたお気に入りのおもちゃを取り返しに行くようにしか見えないのだろう。
「お人形さん」のためにお前は我が身を、何れは国を背負うこの身を危険に晒そうと言うのか。

「……」

アッシュは瞑目するようにきつく目を閉じ、そしてゆっくりと前を見据えた。
そうだ、わかっているんだ。そんなことは当の昔に。
立ち上がり、軽く服を叩いて砂埃を落とす。
そう、自分に何かあれば母上は嘆くだろう。
けれどルークに何かあっても母上はきっと嘆く。
あの人は、己の息子と「娘」が揃って無事帰還することを願っているはずだ。
何よりアッシュ自身が、ルークを置いて一人先に帰還することなど土台無理な話なのだ。
他人から見ればただの「プランツ」でも、自分にとっては何より大切な「妹」だ。
その妹が攫われたのだ。兄である自分が迎えに行かず、どうしろと。
王位継承権があるとか無いとかそんな事、関係ない。
アッシュの変わりはいないのだとヴァンは言った。そう、アッシュにしてみればそれと同じようにルークの代わりだって何処にも存在しないのだ。たとえ同じタイプのプランツがいたとして、しかしそれは「ルーク」ではない。アッシュが十歳の時に屋敷にやってきて、ずっと己の傍らで柔らかな笑みをアッシュに与えてくれたルークではないのだ。

アッシュは足早に、しかし足音を殺して簡易宿舎の傍らを通り過ぎる。
構うものか。例え一人でも辿り着いてみせる。
取り戻してみせる。

「!!」

港と外を隔てる魔物避けの門の前に複数の人影を見つけ、アッシュは咄嗟に柄に手を掛けた。斬り捨ててでも通る。
しかしその人影は一斉に飽きれた様な声を漏らした。
「おいおい、そりゃ無いだろアッシュ」
「そうですよぅ〜、せっかくお手伝いするために抜け出してきたのにぃ」
建物の作り出す陰から抜け出し、その姿を月明かりに晒した五人にアッシュは呆然と目を見開いた。
「お前ら…」
「僕も、ルークが心配ですから」
「ルークを助けに、行くんでしょう?」
イオンとティアの言葉にただただ頷くアッシュに、やれやれとジェイドが肩を竦める。
「漸くゆっくり出来ると思ったんですけどねえ」
「旦那もそう言うなって」
「ぱぱっとルークを取り戻して、あの根暗ッタをとっちめちゃいましょ!」
膳は急げ!と門を開けるアニスに漸くアッシュは我に帰った。
「待て、門の鍵は、いや、門番はどうした」
すると彼らはお互いに顔を見合わせ、ティア以外の四人はそれぞれ笑顔をアッシュに向けた。
イオンとガイは苦笑交じりに。
アニスとジェイドはとてもイイ笑顔で。(ティアは視線を逸らして溜息を吐いている)
「大丈夫ですよ、二、三日で目が覚める筈ですから」
本気で貴様ら何をした。
激しく問い詰めたい衝動を抑え込み、アッシュはティアに続いて溜息を吐く羽目になった。








***
ディストまで後一歩!!
つか、コーラル城って…東、です…よね…?あれ?東って、どっち…?(爆)
あ、あと港に確か…なんか、男の人…軍人さんか誰かがいた気がするのですが、名前も何を話してたもほとんど覚えてないので無かったことにしました。(爆)






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