3:君じゃなきゃダメなんだ・・・
(ファルコ、キャシアス/奴隷市場)




ファルネリウス・カラブリアは、若いながらも商人として素晴らしい手腕を発揮している。
同時に、大勢の奴隷や使用人たちの主としても理想といえるであろう。
決して彼らに対して優しさや真心を以って接しているわけではない。
しかし己の欲や感情に任せて彼らを虐げたり、殺めたりする事はしなかったし、優柔不断で彼らを戸惑わせることも無かった。
能力のある者はそれに応じた地位を与えられたし、不当な何かを押し付けられることは無かった。
しかし、それはあくまで普段は、という頭書きがつく。
彼の理性があっさりと傾く相手が二人、存在する。
一人は彼の姉であるカテリーナである。
これは姉への愛情と、彼女の脚の怪我の原因が己であるという罪悪感からであり、「姉思いの弟」の典型的な形だ。
しかしもう一人。
キャシアス・ジレ・パルヴィス。
遠縁に当たる、一つ年下の彼をファルネリウスはこれ以上に無く溺愛していた。
彼を前にしている時のファルネリウスは、脂下がる、という言葉がよく似合う。
その秀麗な顔を緩め、春の陽気を撒き散らしながら彼を見つめるのだ。
しかしその彼に何かあればそれは一転し、雷神の槌の如く周りを叱り飛ばし、彼の元へ馳せ参じるのだ。
きっと彼がファルネリウスの手をそっと握り、その目を見つめながら「世界を二人で征しよう」と言えば一瞬の迷いも無く「勿論だよキャス!」とその手を握り返して即答することだろう。
それ程ファルネリウスに愛されているキャシアスだが、先だっての戦争が幕を閉じた時、彼は元老院の地位を打診されたのだがそれを辞退し、更には長男であるクリストフォロの戦死によって転がり込んできたパルヴィス家当主の座も弟のアロイスに譲り渡し、僅かな荷物と財産だけを手にファルネリウスの元へとやってきた。
キャシアスは戦時中、地雷によって片足を無くしており、ファルネリウスの前に数年ぶりに姿を現した彼の片足は、ファルネリウスの姉以上に無粋な義足と歩行杖が彼の身体の半分を支えていた。
元々、キャシアスが彼の屋敷を訪れたのは静養に来いと言う彼の言葉に甘えてのことであり、そのまま住み着くつもりなど無論、無かった。しかしファルネリウスはお得意の話術で巧みにキャシアスを丸め込み、とうとう彼を屋敷の住人としてしまったのだ。
しかし、もう一人の主となってからもキャシアスは使用人や奴隷たちに命令を下したことは無かった。
パルヴィス家にも使用人は大勢居たであろうに、それでも彼は出来るだけ自分で動こうとしたし、使用人たちに何かしらさせる時も「命令」ではなく、「頼んで」いた。
ファルネリウスはそんな場面に出くわすたびに使用人たちに彼の意を汲めと叱咤し、好きでやっていることだからとキャシアスに宥められるのだ。そしてそんな所もキャシアスらしい、とファルネリウスは苦笑するのだった。
そして今更ではあるが、ファルネリウスはキャシアスを愛している。
それは親友として、そして一人の人間としての意味であり、常に彼に触れていたいという欲求を押しとどめる事が彼の内心での日課である。キャシアスさえ許してくれれば何処までも貪欲に彼の全てを求めてしまいたいと常日頃から彼は妄想、いや思案している。
しかしそのキャシアスは鈍感という土を純粋無垢という水で練り上げて形にしたのではないかというほどそういった感情に疎い。
当然、ファルネリウスが自分に対してそんな欲を抱いているなどとは思いもよらないのだろう。
それでも彼がファルネリウスに寄せる親愛と信頼は何よりも大きく、深いものであり、ファルネリウスもそれを熟知しているからこそ欲に流されること無く彼の傍らに寄り添えるのだ。
キャシアスは自分の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれる親友に対して溢れんばかりの感謝の気持ちを抱いており、時折それを口にすることがある。
そんな時、ファルネリウスは笑顔で彼の肩を抱き、頬を寄せて想いを示すのだ。
キャス、君の為ならなんだってするさ。
言っておくけどね、僕は誰にだってそんなお優しいわけじゃないんだ。
キャス、君だからだよ。
君じゃなきゃダメなんだ。
そう囁かれたキャシアスは、そういった言葉にいつまでも慣れる事無く、その頬をほんのりと朱に染めるのだ。
そんなキャシアスを、ファルネリウスは心から愛しいと思う。
そして彼が自分の前から姿を消さなくてはならなくなるようなことがもう二度と起こらないよう手を回す事が、ファルネリウスの何よりも優先順位の高い仕事となった。

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