35:コレを嫉妬と呼ばずなんと呼ぶ。
(宮田×一歩子/はじめの一歩)




お前が、あまりに儚く笑うから。


千堂武士が日本フェザー級王者になって数日。
宮田はいつものようにロードワークに出ていた。
帰国してからはずっと川沿いのあの道には近づいていなかった。
けれど、今日は何となく、行ってみてもいい気がした。
別に何を期待していたわけでもない。
ただ黙々と走るだけだ。
そう思っていたのに、彼女は居た。
たが、今までと違っていたのは、彼女はトレーニングウエアではなく、いつもどおりの洒落っけのないトレーナーにジーパンだった。
何より、彼女は晒しを巻いておらず、その豊かな胸には小さな赤子が抱かれていた。
宮田の存在にはまだ気付いていないらしく、一歩は土手をゆっくりと降りて行く。
声をかけるべきか。
いや、今更、何も言うことなどないだろう。
そう思いながらも通り過ぎようとすると、ふっと気配に気付いた一歩が振り返って見上げた。
ぱあっと明るくなる表情。足が止まる。
「宮田くん!」
「……」
「おはよう、宮田くん。あと、おかえりなさい」
にこりと笑うそれを無視して腕に抱く小さな人間を見下ろす。
産着を纏ったそれは、むにむにと唇を動かしながらも穏やかな眠りの中に居た。
「あ…えと…この子はね、歩む夢って書いて歩夢って言うんだよ。今、やっと三ヶ月を過ぎたばかりの女の子なんだ」
「…王座決定戦のとき一緒に居たヤツとのか」
すると一瞬一歩はきょとんとし、赤くなるかと思いきや、ふっとどこか哀しげに笑ってそれを否定した。
「沢村さんのこと?違うよ、沢村さんは千堂さんのお友だちで、たまたま一緒になっただけだよ」
「じゃあ、結婚してるわけじゃないのか…」
「んっと…ボクがこの子を産んだ事は、この子のお父さんには内緒にしてあるんだ。だから、結婚もしてないよ」
「……何で」
「ん…そうだなあ…足手まといに、なりたくなかったから。足枷になって、重荷になるのが嫌だったから」
それでいいのか、本当に。
そう問えば、彼女はいいんだ、と笑った。
その笑顔がとても幸せそうで、けれど儚くて。
「何でっ…!」
思わず、その胸倉を掴んでいた。
「み…」
「何でお前はっ!」

…ふ…ゃぁあああ…!

「っ」
「あっ」
掴んだ胸倉の下で泣き声が上がり、思わずその手を放してしまう。
すると一歩は慌てて腕の中の赤子をあやし始めた。
「あゆちゃん、ごめんね、だいじょうぶだよ、あゆちゃん、あーゆちゃん」
だいじょうぶだよ、と頬ずりする姿が母親のそれで、宮田は居てもたってもいられなくなってその場を駆け去った。
「宮田くん!」
一歩の引き止める声も振り切り、駆けていく。

――何でお前はっ!

自分はさっき、何を言おうとした?
何でお前は?何と続ける気だった?

何で裏切った。
何で俺を待っていなかった。
何でそんな幸せそうに笑うんだ。
何でそんな儚げにはにかむんだ。


オレ以外の男をそんな風に想うな!!


そんな事を自分に言う資格はない。
そんな事、わかっているんだ。
わかっているんだ。わかっているんだ!
だけどどうしようもなく心が乱される。
どうしてあの傍らに立っているのが自分じゃないんだ。
どうしてこの傍らに立っているのはあいつじゃないんだ。
どうして!


あの日、お前を手に入れたと思ったのは、俺の勘違いだったのか?





***
勘違いを勘違いしてますね、ええ。勝手にドツボに嵌るがいいさ。(爆)

 

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