38:もう絶対離さないから。
(ホーク×一歩/はじめの一歩)




街へ行ってみませんか?
そう切り出したのは、ホークが来日して丁度一ヶ月を迎えた頃だった。
当然、ホークは嫌がった。
というより、嫌いな食べ物を目の前に差し出された子供のような顔をした。
そんなホークの手を握り、大丈夫だと言い聞かせる。
この一ヶ月でわかったのは、ホークはスキンシップに飢えているということ。
悪い意味ではなく、本当に彼の心はまだ子供だったのだ。
ちゃんと教えてやれば自分で布団も敷いたし、些細な事で誉めて頭を撫でてやれば嬉しそうな顔をした。
しかし誰でも良い訳ではなく、心を許せる相手に触れて欲しいのだということ。
一歩自身は人との接触は元来、基本的に苦手だったのだが、ホークに対してのみは自然と触れるようになっていた。

嬉しかったのだ。

あのホークが、自分に信頼を寄せてくれている。
それがありありと分かる。
幼い子供の親とはこういう気分なのだろうか、母の背を見ながら思う。
その信頼に自分は応えなくてはならない。
ただの自己満足なのかもしれなかったが、それがとても嬉しかった。
だからもっと彼に知って欲しかった。
この世界はこんなに広くて、沢山のものがあって、興味深いのだと。
その大きくて小さな手を引いて、教えてあげたかった。


ただそれだけだったのに。


一歩は慌てていた。
街に出るといっても、デパート内にあるスポーツ店でロードワーク用のシューズを買うだけの予定だった。
初めてなのだから手短に、近場で、と選んだ場所だった。
本当なら行きつけのスポーツ店の方が近いし、値段も勉強してくれるのだが、何せ一歩もホークも顔を知られすぎている。
連れて行けば間違いなく鴨川メンバーに伝わってしまうだろう。
そんなことになってしまっては訪れる災厄を想像するだけでも恐ろしいし、何より今まで協力してくれている板垣にも申し訳が立たない。
ということで某有名デパートにやってきたのだが。
買い物を済ませ、さて帰ろうと言う時になってホークと逸れたのだ。
まさかあの目立つ彼と逸れる等と思ってもみなかったので、気付いた瞬間、一歩は理解し損ねた。
振り向いた形から硬直して数秒後、我に帰って辺りを見回してみる。しかしあのふわっと逆立った金の髪も、天然の筋肉に包まれた褐色の肌も見当たらない。
まずい、と思った。
慌ててスポーツ店まで引き返し、連れを見なかったかと問う。
さすがに印象に残っていたのか、店員は一歩もその連れも覚えていたが、生憎彼らが去ってからは見ていないと言った。
どうしよう、どうしよう!
ここに至って一歩はホークを人ごみに連れ出すことの危険性に気付いた。
ホークは今、まともな状態ではないのだ。
あの一戦以来、アメリカでは外に出ることも無く酒浸りだったと聞く。
それがここに来て漸く人ごみに出られるようになったばかりなのだ。
しかもここは日本だ。
確かにこの国で突然ピストルで撃たれる様な事はそうそうなくとも、不躾な視線はいとも簡単に彼を貫くだろう。
背後からナイフで刺されなくても、囁かれる声が容易く彼を切り裂くだろう。
何故そんな簡単な事に気づかなかったのだ。
自分はバカだ。
余りにも順調すぎて舞い上がっていたんだ。
彼の心は幼く弱くとも、外見しか見ることのできない者たちは彼を助けようとはしないだろう。
寧ろ排除しようとするかもしれない。

今ここで彼を守ってやれるのは自分しかいないのだ。

それが自惚れであればどれほどよかったろう。
それが自意識過剰であればどれほど安心できただろう。
しかしそれは自惚れでも自意識過剰でもなく、ただ事実だった。

もしかしたら下に下りたのかもしれない。
一歩はそう思い立ってエスカレーターへと向かう。
エレベーターは有り得なかった。彼はまだ、一歩以外の他人と狭い空間を共有することが出来ない。

「ホークさん!!」

すると、彼はエスカレーター脇のベンチに腰掛けていた。
頭は項垂れ、膝と膝の間で祈る様に握り合わされた拳が震えていた。
それを通り過ぎていく人々が胡散臭そうな目で眺め、しかしすぐに無関心に通り過ぎていく。
一歩の声にばっと音がしそうなくらいの勢いで彼が顔を上げる。
一歩は彼に駆け寄ると、視線を合わせるようにしゃがみこんで彼の手をとった。
彼の手は冷や汗を掻いており、異常なほどに冷たかった。
「ごめんなさい、ごめんなさいホークさん!大丈夫ですか?気分、悪いですか?」
見開かれた目がやがて色を宿していき、ぎゅっと握った拳から少しずつ力が抜けていく。
震えが治まってくるのを掌を通して感じながら、一歩は漸く日本語で捲くし立てていたことに気づいた。
『ゴメンナサイ、ボクガ悪イ、ゴメンナサイ』
握っていた拳が解かれ、逆に握り返される。
「……っ……」
歪んだ表情。その弱い眼光が怒りと不安に揺れている。
ああ、なんて迂闊だったのだろう。
ごめんなさい、ともう一度彼の母国語で繰り返すと、一言。

『帰りたい』

と呟いた。
何処へ、なんて決まっている。
握り返された手を再び握り返し、一歩は立ち上がった。
「はい…家に、帰りましょう、ホークさん」
ぎゅっと握った彼の左手。
まだ冷たいその手を引いて一歩はエスカレーターへと向かった。
デパートを出るまでも、出てからも、ずっとその手は繋がれたままだった。
人目なんてどうでもよかった。頭の外にあった。
ただ彼を守りたかった。
連れ出したいと願ったこの世界から。

彼にもっと知って欲しかった。
この世界はこんなに広くて、沢山のものがあって、興味深いのだと。
その大きくて小さな手を引いて、教えてあげたかった。

なのに、逆に思い知らされた。
この世界はこんなに広くて、沢山のものがあって。
だからこそ彼は恐怖を覚えているのだと。
その大きくて小さな手を引いて、教えられた。

ボクの認識が、甘かったんだ。

ごめんなさい。
ごめんなさい、不安にさせて。



守ります。



ボクがホークさんを守ります。


もう絶対に、この手を放すものか。


ぎゅっと握り返されるその弱々しく、しかし痛いほどのその力強さに、一歩は唇をかみ締めてその手を引いた。







***
WB○の試合(/l|嶋VSミ/\レス)観ながら書いてました。(笑)
そしたら思いのほか長くなってしまい、ホーク視点が入りませんでした。(試合のせいにするな)
花嫁は勿論一歩のことですヨ。守りますよ旦那兼息子を。(笑)

 

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