4:キスしてよ。
(阿含、雲水/アイシールド21)





何かのきっかけで、お互いの身体と魂が入れ替わってしまう。
そういう漫画や小説があるということは聞いたことがある。
クラスメイトが大昔のそういう映画のビデオを発掘してきて話題にしていたこともあった。
まあ、肉体と魂の定義が曖昧である以上、そういう類の話は尽きないのだろう。
所詮はフィクションである。
…その筈だったのだが。


兄、金剛雲水。一文字で喩えるなら「静」。坊主頭。
弟、金剛阿含。一文字で喩えるなら「暴」。ドレッドロック。
顔立ちはそっくりなのに、正反対の性格の所為で全くそう見えない二人。


突然ですが、中身が入れ替わってしまいました。




事件の前夜、雲水が眠りに就くより早く阿含は寮へと帰ってきた。
珍しく早く帰ってきた阿含は、しかしながら多分にアルコール臭を纏っていた。
つまり酔っ払っていたのだ。
二日ぶりに部屋に戻ってきた阿含はえらく上機嫌で、さっさと寝てしまおうとする雲水の腰にへばりついて離れなかった。
阿含を引き剥がすのを諦めた雲水は、そのままずるずると大の男を引きずって己のベッドへと潜り込む。当然のように一緒のベッドに入ってくる阿含。
言っても無駄、力付くでも無駄。
ならば阿含より忍耐を持ち合わせている雲水が折れるしかないわけで。
雲水は溜め息を吐きながら狭いベッドの中で布団を引き上げた。
すると阿含が雲水を呼びながら彼を抱きすくめた。
雲水が無駄と分かっていても文句を言おうと口を開きかけ、しかしその口は何も言葉を紡がないまま閉ざされた。
阿含はすっかり寝こけていた。
締まりの無い顔で眠る阿含に、雲水は微かな苦笑を漏らして目を閉じた。
寄り添って寝るのにはこのベッドは狭かったし、季節的にも少し暑かった。
それでも、その狭さも暑さも、不思議と不快感は無かったのだ。
お互いの心音が、呼吸音が重なっていく。
肉体の輪郭が曖昧になっていく。
雲水は雲水であり、しかし阿含でもあり。
阿含は阿含であり、しかし雲水でもあり。
二人であり、ひとつであった。
多分きっと、二人は同じ夢を見た。



そして、二人は同時に目覚めた。
雲水は阿含の中で。
阿含は雲水の中で。
「「………」」
目の前に己の姿があるという事態を、夢ではなく現実なのだと理解するまでの数十秒。
二人はただ呆然と見詰め合っていた。
「「………なっ、」」
朝錬に来ない雲水を一休が様子を見に来るまで、二人の小規模パニックは治まることを知らなかった。



「ほうほう、これはまた…ほっほ」
己の前に立つ阿含と雲水を見上げながら老人は愉快そうに笑った。
老人の目の前には、サングラスを外した直立不動の阿含と、片足重心で立ちながら忌々しげに舌打ちする雲水。
そしてそれを遠巻きに眺める、戸惑いと怯え、そして強い興味の入り混じった空気を纏う部員たち。
「面白いことになっておるの」
「面白くねえっつーの」
けっ、と吐き捨てるように言う阿含。しかし見た目は雲水だ。
「マジありえねえ」
それには周りの一同も大賛成だった。
誰が想像したであろう。
心持背を丸めた片足重心で立ちつつ文句をたれる雲水の姿など。
背筋を伸ばし、しゃきっと直立したまま何も言わない阿含の姿など。
誰が想像出来たであろう。
「して、部活は出来そうなのかの」
どうやらこの老人にとって目の前の超常現象よりアメフトのほうが大事のようだ。
阿含と雲水はちらりとお互いを見やり、同じように顔を顰めて視線を逸らした。
「幸い、身体的差異は殆ど無いのでそれほど不自由はしてませんが…」
部員の輪の中で「恐怖、敬語を話す阿含さん」という囁きが交わされる。
「ならばひとまずそのままやってみい」
どうにでもなるわい。老人は小愉快げに笑って二人に部活への参加を促した。


「……問題ねーんじゃねーの?」
老人の隣でだらしない座り方をした見た目雲水、中身阿含が呟く。
「そうさの」
二人の視線の先には、黙々と練習をこなす見た目阿含、中身雲水。
しかし阿含と雲水は同じような体格で、その上ヘルメットを付けているものだから傍から見ればいつもどおりの光景だ。
「おぬしはやらんのか?阿含よ」
「あ゛ーパス。なんかさっきからだりーんだよ」
「ふむ…」
老人は阿含と雲水、交互に見比べてからぽつりと呟いた。
「寧ろこのままの方が良いかもしれんのぉ」
阿含の身体能力と雲水の勤勉さ。それが交じり合ったものが目の前に存在しているのだ。
言いたいことを察した阿含が「あ゛ぁ?」と老人を睨む。
「フ・ザ・ケ・ン・ナっつーの。ぜってー元に戻ってやる」
そして再び雲水へと視線を向ける。
丁度一段落つけてこちらへと向かってきていた。
「やらないのか」
「やんねーよ、めんどくせぇ」
「…もう少し姿勢良く座れないのか」
「俺がどう座ろうが俺の勝手だろ」
「今はお前の勝手ではない。俺の身体なんだからな」
「へえへえ、わぁっかりましたよ」
殆どずり落ちかけていた身体を持ち上げ、広げていた足を閉じる。
「これで良いですか、オニーサマ」
「…まあ良いだろう」
「そりゃどーも。で、どうだったよ、俺の身体でのプレイは」
阿含にしてみれば特に深い意味を持ってそう口にしたのではない。
しかし雲水は視線を伏せ、曖昧な笑みを浮かべて「そうだな」と呟いた。
「軽いな、お前の身体は…」
(ヤバ)阿含は内心で舌打ちする。
もしかしなくとも自分は今、兄のコンプレックスの地雷を踏みつけたのではなかろうか。
「うんす…」
「阿含くーん、雲水くぅーん!」
しかし阿含の言葉は妙に媚を含んだ甲高い声に遮られた。
「ああ?」
サンゾーが手を振りながらこちらに駆けてくる。片方の手には何やら小さな紙袋を提げていた。
そういえば先ほどから姿が見えないと思っていたが、それを取りに行っていたのだろうか。
「二人に良いものがあるの、うふふ」
コ・レ、と紙袋の中から取り出したのは、ドレッドのウィッグ。
「これ着けちゃえば、前と殆ど変わらないんじゃなぁい?」
「おもしれーモン持ってんじゃないっすか」
受け取った阿含が向きを確かめて被ってみる。
「確かに…」
雲水がまじまじと阿含、ドレッドのウィッグを被った己の姿を見つめる。
ドレッドの長さは今の阿含より多少短いが、十分「阿含」で通用する。
「それで、雲水ちゃんにはこっち」
きゃっ、と語尾にハァトマークをつけて紙袋の中から雲水に差し出したのは。
バリカン。
「……」
「雲水、待て、待て待て待て手に取るなマジな目で見るな雲水!!」
「しかしだな、阿含。視界の端をぶらぶらぶらぶら邪魔なことこの上ないじゃないか」
「俺の体だっつーの!!」
「冗談だ」
「冗談に聞こえませんでしたけどオニーサマ」
「うわ、鬼スゲー!!」
騒ぎに寄ってきた一休が雲水と阿含のダブルドレッド(何それ)を見て声を上げる。
「阿含さんが二人いるみたいっす!」
さすが双子っすね!と騒ぐ一休の頭に、阿含が被っていたドレッドウィッグを。べしっと乗せた
「痛!なんすかー」
「部屋戻って寝る」
「あら、ウィッグはいらないの?」
「折角だけどいらねーわ。オンナと一緒に居る時外れたらシャレになんねーし」
「人の体で女性の元へ行くなバカ!!」
耳元で怒鳴られた阿含は「うるせーよバカ」と返して耳を塞ぐ。
「仕方ねーから暫くは大人しくしててやっけど、戻りそうもねーんなら好きにするっつーの」
んじゃ、おやすみ。
「阿含!!」
ひらりと手を振ってさっさとその場を離れていってしまう阿含の後姿に雲水の怒声が重なる。
阿含はそれをくつくつと笑いながら背中で受け止め、寮へと向かった。


「……だっりー」
部屋に辿り着くなり阿含は雲水のベッドに倒れこむように寝転んだ。
雲水たちと話しているときは何とも無かったに、また全身の倦怠感がぶり返してきたのだ。
グラウンドからここまで来るその一歩一歩を進むたびに少しずつそれは強くなっていき、空気が淀んでいるようなその感覚に阿含はすぐに起き上がって窓を開け放した。
しかし一向に変わらないそれ。
「雲水のヤツ、何か変なモンでも食ったのか?」
口の中で呟きながら、何か視線を感じて阿含はそちらを見た。
「あ゛ぁ?」
丁度視線の高さにある樹の枝々。そこに屯する数羽の雀。
それらがじっとこちらを見ているのだ。
阿含が不快げに顔を顰めると、ふわりとそよ風のような何かが身体を擽った。
不安、不信、戸惑い、誰何、疑い。
イツモノ子ジャナイ。
そんな「雰囲気」が阿含の身体のどこか遠くを通り抜けていく。
「鳥の分際でじろじろ見てんじゃねーよ」
毒づくとそれが聞こえたように鳥たちは逃げるように飛び去っていく。
「…ん?」
ふと何かを感じて振り返る。当然誰も居ない。
しかし、これは。
「…雲水?」
呟くと同時に扉が開かれる。
そこには、道着に着替えた自分…の姿をした兄がいた。
「阿含」
「部活抜けてきて良いのかよ」
「監督が、余り無理はするなと」
追い返されたらしい。雲水は軽く首を竦めて苦笑した。
自分の体なのに、雲水が使うとやはりその表情は雲水のもので。
そこに至って気付いた。
「……?」
体が、軽い。
つい先ほどまで全身を覆っていた倦怠感が綺麗に消え失せているのだ。
「阿含?」
じっと自分を見つめたまま動きを止めてしまった弟を雲水が呼ぶ。
阿含の脳裏に先ほどの光景が蘇る。
じっとこちらを見ていた鳥たち。体を通り抜ける疑惑の雰囲気。
グラウンドから遠ざかる毎に不快になっていく空気。
グラウンドから、雲水から……違う、「阿含」から、だ。


――軽いな、お前の身体は…


雲水の声が蘇る。
「そういう、ことか」
「阿含?」
ぽつりと呟く阿含に雲水が首を傾げる。
兄が、そういう何かを持っていることは知っていた。
小学校の帰り道、突然、怪我を負った猫が居る、と駆け出し、本当に傷を追った猫を見つけてしまう。
晴れた空を見上げて夕方には雨が降ると言い出し、夕方には本当に雨が降った。
お互いが全く違う場所に居ても、阿含に何かあれば兄は駆けつけてきた。
今ではそういう素振りを見せることは殆ど無いが、確かに兄にはそういう何かを持っていた。
そしてそれを兄が快く思って居ないことも阿含は知っていた。
「そりゃ、嫌にもなるわな…」
「??」
ひたすら自分を見つめながら何やらぶつぶつ言っている弟に雲水は首を傾げるばかりだ。
この身体が重いのは、そういったものたちが纏わりつくからなのかもしれない。
人や動物、何もかもの思念が複雑に絡み合い、他の人よりそういったものを察知する感覚が鋭い雲水にはそれが言い表しようの無い倦怠感として感じるのだろう。
なんて、重い身体。
「…なあ、雲水」
「何だ」
「………」
何かを言おうとして口を開くものの、その口からは躊躇うような沈黙ばかり漏れて雲水を苦笑させた。
「どうした、おかしなやつだな」
微笑む兄を、阿含は堪らずかき抱いた。
「阿含?」
ずっと昔から聞いてきた、阿含をあやす時の穏やかな声音。
阿含はひたすら兄を抱きしめる。
しかしいつもの腕に馴染んだ感触とは僅かに違うそれ。
(雲水、雲水…)
お前の身体は、重いな。
きっとお前は、俺の重みも受け止めてくれているのだろう。
だから俺の身体はあんなにも軽いのだ。
「雲水」
「ん?」
「寝よ。今日は一日中だらだらしよ」
雲水が沈黙する。恐らく授業がどうのとか考えているのだろう。
しかし阿含が何か言うより早く、雲水が口を開く。
「…そうだな」
思わず身体を離して雲水を見ると、自分の姿をした兄は穏やかに笑っていた。
「こんな時くらいは、そういうのも良いかもしれん」
そして二人は雲水のベッドで互いを抱き枕にしてその温もりに身をゆだねた。
「なあ、雲水」
「なんだ」
「いつか元に戻ったら、真っ先にキスして良い?」
「…周りに誰も居なければ」
そうしてそのまま、一日中眠り続けた。



結局、真夜中に目が覚めた二人はお互いに元の身体に戻っていることに気付いた。
そして翌朝、朝練前に二人の部屋をノックした一休の前に現れたのは、元の身体に戻ったらしい阿含だった。
では雲水も、と一休は部屋の中を覗こうとするが阿含がさっさとドアを閉じてしまい、それを遮った。
「雲水はまだ寝てっから入室禁止ー。で、俺ら今日も休むからジジイと先公どもに言っとけ」
にやにやとしてそう言う阿含に、雲水の体調が悪いのかと問えば、阿含の笑みが一層深くなる。
「ま、なんつーの?疲労?いやほらイロイロあっただろ?ゆっくり休ませてやろうぜ、なァ?」
イヒヒヒヒ、という笑い声まで聞こえてきそうな阿含に一休は一歩後退りし、「そ、そうすか、お大事に…」とかの鳴くような声で告げる
や否やダッシュで逃亡してしまった。
「さて、と」
虫を追い払った阿含はそろりと扉を開けて室内へと戻り、床に散らかった衣類を跨ぎながら部屋の奥へと向かう。
右側のベッドには、雲水が未だ微かな寝息を立てており、阿含は羽織っていた皺くちゃのシャツを再び脱ぎ捨て、ズボン一枚で雲水の隣へと潜り込む。
戻ってきた温もりに無意識に擦り寄ってきた雲水を抱き寄せ、阿含も目を閉じた。
「やっぱ、これだよなァ…」
それはとても、幸せそうに。









+−+◇+−+
途中からもう嫌になって投げ出し気味でした。プロットレベルの強引エンド。(爆)
どのジャンルでも一回はやりたい入れ替わりネタ。ベタ大好き。
サンゾーが何故ドレッドなウィッグを持っていたかというと…何ででしょうね。(爆)一人でこっそり阿含ごっこでもやってたんじゃないですか?(お前はサンゾーをどんなキャラだと思ってるんだ)
あと、この話書くまでは、私の中ではベッドは二段ベッドでした。が、私自身に二段ベッドに余り良い思い出が無いので普通のに変えました。ドアから見て、部屋の左右にベッドと勉強机でいいよもう。(爆)
ところで、某作家さんの阿雲本でもあったのですが、私も阿含って逆子だったんじゃないかなーと思うのですよ。私の阿雲イメージはインヤンのマーク(白と黒の勾玉が前後逆にくっついてるやつ)なので、あれって白が丸い方を下にしてて、黒の丸い方は上向きじゃないですか。少なくとも私の見たヤツはそうでした。そのイメージが強いのですよ。白が雲水、黒が阿含。双子が胎内に居た時はあんな感じだったんじゃないでしょうか。だからいくら見た目が似ていても同じ視線に立てることは無く、お互いにお互いを追いかけている、みたいな。
それにしても久しぶりにSSを書きました。最近はこれの三分の一程度の長さの話しか書いてないので久しぶりに書いたSSはとてつもなく面倒くさかったです。(爆)これでも頑張って削ったんだけどなあ…。真っ先にエロを消した自分が大好きです。(笑顔)
(2004/09/28/高槻桂)

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