41:悲劇のヒロインぶるなよ・・・
(宮田×一歩子/はじめの一歩)




こんなつもりじゃ、なかったんだ。


ずっと男だと思っていた幕之内一歩が女だと知り、暫くが過ぎた。
色々な葛藤はあったものの、今ではそれを受け入れている、と思う。
というか受け入れざるを得ない。
何せ、どうやら自分は幕之内を少なからず好ましく思っているようなのだ。
などと畏まってみたが、有態に言うなら、恋してるかもしれない、ということだ。

彼、否、彼女は今でも鴨川ジムで男としてボクシングをやっているらしい。
というのは、彼女自身から聞いたことだ。
自分が川原ジムに移ってから、ロードワークの道順も変わった。
だから彼女を始めとする鴨川の人間と遭遇することは無くなっていた。
しかし、ある時、考え事をしていた所為だろうか、気付けば慣れ親しんだ道を走っていた。
どうやらいつも曲がる角をうっかり反対に曲がってしまったらしい。
幼い頃からは走っていた道とはいえ、習慣とは恐ろしいものだ。
そんな事を思いながらもあの川沿いの道を走っていると、向こうから同じように走ってくる人物が映った。
幕之内だった。
あ!宮田くん、奇遇だね!
そんな事を言いながら駆け寄ってきた記憶がある。
なにやら捲くし立てていた彼女を適当にあしらいながらも、視線を合わせられずに居た。
気恥ずかしかったのもあったし、何より、彼女を「女」として認識してしまうのが嫌だった。

それから、そんな事が何度か続いた頃、幕之内が無邪気に告げた。
最近、よく会うね、と。
そんなに毎回毎回こちらの道を走っていただろうか、と思い、そしてそういえばここ最近はずっとこちらのルートばかりを走っていたことに今更ながらに気づく。
そして、自分がロードに出るとき、何を考えていた?
ああ、そろそろアイツもロードに出る時間だな。
そんな事を無意識に考えてはいなかったか。
そんな動揺にも気付かず、彼女は本当に嬉しそうに笑った。
宮田くんに会えて嬉しいな、と。
その笑顔に、何かが音を立てて崩れた。

気付いたら、幕之内にキスをしていた。

自分は今、何をしている?
はっと我に返り、呆然と自分を見上げている一歩に背を向けて駆け出した。
きっと今の自分の顔は赤く染まっているのだろう。
こみ上げる羞恥を抑えきれない。
キスをした。
幕之内一歩と、キスをした。

その日はもう練習なんて身に入らなくて、帰って頭を冷やせ、と父親に手をしっしと振られてしまった。
それから暫くはあの道へは行けなかった。
何故、彼女にキスをしたのか。
そんなことはわかりきっている。
幕之内一歩が、好き、だから、だ。
ただ、何故あんな所で、あんな時に、してしまったのか。
迂闊としか言いようが無い。
けれど、と思い返してみる。
ボクサーのクセに、女だからなのか、柔らかだった唇。
キスを、してしまったのだ。
そう思うと居ても立っても居られなくなって、またあの道へ足を向けていた。
そこには、やはり彼女が居た。
やはり気にしているのだろう、いつも以上にどもりながらも彼女はもじもじと何か言いたげにこちらを見ていた。

そんな仕草が愛らしくて、思わずまたキスをしてしまった。

二度目だったからか、あ、やっちまった、程度の気分だった。
少しだけ唇を離して、幕之内、と呼べばあう、と言葉にならない声が漏れ、それを塞ぐようにもう一度口付けてみた。
今思えばただつたないの仕草のそれを、幕之内は首筋まで真っ赤にしながら受け入れていた。

思えば、あの頃が一番幸せだったのではないだろうか。

回を重ねていけば、少しずつ慣れてきたのか、そっと身を強張らせながらも自分を受け入れてくれていた幕之内。
言葉にしなくとも幕之内は全て受け入れてくれたし、自分自身、満たされていた。

けれどあの日。

海外に行くと告げたあの日。
彼女を家に上げたのは、ただ純粋に、その身体が冷え切っていたからだった。
自室に招き入れたのだって、普通の流れだろう。
ただ間が悪かった。
彼女も卒業式の帰りで、象印高校の制服を纏っていた。
元々膝丈のスカートに白の上着。赤いスカーフがリボン結びにされていて、それがやけに目にちらついた。
そして気付いてしまった。
その日、彼女は晒しを巻いていなかった。
形よい山を描くそこに、目が行かないわけには行かなかった。
自分だって年頃の男だ。そういったことに興味が無いわけじゃない。
そもそも男の視線というものは自然と胸に向かうようになっていて、女の胸もそもそもそれをアピールするものなのだと保健の授業で習った気がする。
だからといって、それを直視するだけの無神経さも愚直さも持ち合わせていなかった。
啜っているはずのカフェ・オレの味もよく分からない。
ただ、今時分の隣に居るのは幕之内一歩という女で、己の好きな女である、ということだけがぴりぴりと全身を静電気のように包んでいた。
自分は今、何を喋っている?ちゃんと話せているのだろうか。
そう思いながら幕之内を観ると、目がばちりと合った。
そのまま、吸い寄せられるようにキスをした。
軽く抱き寄せた胸元に、柔らかな感触が当たる。
どこか遠くで声がする。
やめろと声がする。
けれど手は勝手に動き、彼女を押し倒していた。



こんなつもりじゃ、なかったんだ。



涙で濡れたその視線から逃れたくて部屋を出た。
そのままバスルームに向かう。
手荒く衣類を籠に押し込み、シャワーのコックを捻った。
冷たい水が頭から浴びせられる。
こんなつもりじゃなかったこんなつもりじゃなかったこんなつもりじゃ…!
熱が引くと同時に押し寄せてきた後悔。
越えるつもりの無かった一線。

だって、そうだろ?

越えてしまったら、もう、離せない。
これから自分は己を鍛えなおすために海外へ行こうとしているのに。
そんなときに、こんな。
けれど同時に沸きあがってくる歓喜。
手に入れた。
とうとう、自分は幕之内一歩を手に入れたのだ。
自分を叱咤しても、抑えきれないその喜色。
渦巻く後悔と歓喜。
それを鎮めようと浴び続ける冷水。

だから気付かなかった。

幕之内がそっとこの家を立ち去ったことに。
その涙に。


気付かなかった。






***
悲劇のヒーローぶるなよ。(爆)
宮田は勝手に勘違いしてる、という設定上、その様に書かなければならないのですが、もうイライラ腹が立ってきてもうテメエ蹴t以下略。orz

 

戻る