予め失われし、燭

(後編)





「……………」
 微かにカチカチとフォークと皿のぶつかる音が室内に響く。
「……………」
 宿屋の食堂でセルジュとマルチェラ、そしてカーシュは朝食を摂っていた。
「……………」
 先程から二人の間に会話は無く、ただ黙々と薄味の料理を片付けていく三人。
「……ねえ、何で何も喋らないんだ?」
 マルチェラが沈黙に耐え切れなかったマルチェラが恐る恐るといった様に口を開く。
「「別に…」」
 二人の声が見事にハモり、お互いに顔を見合わせる。
「「……」」
 お互いに何かを言いかけるが、相手も何か言おうとしているのに気付くと言うのを止めてしまう。
 そして再び訪れる沈黙。
「ああもう!何なのよ!」
 次第にイライラとしだしたマルチェラは僅かに残っていたサラダをさっさと平らげるとかたりと席を立った。
「御馳走様!あたしはちょっとダリオのトコ行ってくるからちゃんと待っててよね!」
 マルチェラは他の客に迷惑になりかねないくらいの声量でそう言うと軽い足音を立ててさっさと出て行ってしまった。
「あ、うん……」
 多少なりとも呆気に取られたセルジュは目を丸くして少女の消えていった扉に返事返す。
「………あ、あの、僕も外散歩してくるね」
「おう。…小僧」
「え?」
 立ち上ると、手で「こっちに来い」と示してくるカーシュにセルジュは近寄る。カーシュはそのバンダナの巻かれた頭をポンポンと軽く叩き、軽く笑った。
「迷子になんじゃねえぞ」
「ちょっと、僕を何歳だと思ってるんだよ〜」
 むぅっと唇を尖らせるセルジュにカーシュはくくっと喉の奥で笑う。
「もう、カーシュのバカ」
 セルジュはぷいっと拗ねたように踵を返すと、足早に食堂を出ていった。
「………」
 セルジュが出ていくと同時に手にしていたフォークをカタリと置く。
 既にその表情には笑みはなく、ただ、微かに苦みを帯びた色をしていた。




「もう、カーシュってば子供扱いして…」
 ぶつぶつと文句を言いながらセルジュはテルミナの街並みをざかざかと歩いて行く。特に何処へ行くという目的はなかったが、あの重い空気から抜け出せるならそれで良かった。
「………」
 橋に差し掛かった所でセルジュは足を止め、はあ、と溜息を吐いた。
(やっぱ、気味悪いだろうな……)
 数日前、自分の夢遊病のような癖をカーシュに知られてしまった。彼はそれでもセルジュを好きだと言ってくれたし、抱きしめてくれる。
 だが、先程の様にどうしても気まずさは拭えなかった。
 セルジュにはセルジュの、カーシュにはカーシュの後ろめたい所がぶつかってお互いをまるで壊れ物を扱うかのような、おどおどとした関係にしてしまっているのだ。
「セルジュ」
 橋に体重を預け、ぼうっとしていると背後から名を呼ばれる。聞き覚えのある声に振り返ればそこにはイシトが穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「イシトさん…」
「どうかしたのか?落ち込んでるようだったが…」
「うん……」
 そう頷いて黙り込むセルジュのその顔を覗き込む様にイシトは視線を合わせる。
「もし、私でも良ければ相談に乗るよ。大した解決は出来ないだろうが…・」
「イシトさん…ありがとう……」
 セルジュは橋の下の水流に視線を落とし、「ねえ?」と口を開く。
「イシトさんは絶対に誰にも知られたくない秘密ってある?」
「秘密、ですか…無い事も無いですが…」
「僕にもね、一つだけ在るんだ…」
 それがカーシュにばれちゃった。
 セルジュは苦笑しながらそう言った。
「絶対、軽蔑されると思って誰にも言わなかったのに…」
「…カーシュに何か言われたのか?」
 セルジュとカーシュの仲を知っているイシトの、固くなった声にセルジュは「ううん」と困ったように笑う。
「カーシュってば、バカだよね。それでも僕を好きだって言ってくれるんだ」
「なら、何をそんなに憂いているんだい?」
 ぴくりとセルジュの顔が強張り、微かに辛そうな表情になる。
「怖いんだ。カーシュと一緒に居るのが」
「怖い?」
「今は僕を好きだと言ってくれているけど、もしかしたら明日は違うかもしれない。明日も僕を好きで居てくれても、ある日突然嫌になるのかもしれない…」
 それが怖い、と小さく呟くセルジュの憂いを帯びた表情。イシトはそんな表情をさせるカーシュを妬ましく思う。
「…私だったら不安を感じさせないほど想ってあげるのに」
「え…?」
 セルジュがイシトを見上げると、その唇にイシトのそれが重なる。
「?!」
 セルジュは目を見開きイシトの整った顔を凝視する。
 柔らかく触れたその唇はすぐに離れ、キスされた事を漸く認識し、一気に頬を朱に染めて行くセルジュにイシトは苦笑する。
「すまない。余りにも君がカーシュを想っているものだから妬けてしまった様だ」
「イ、イシトさん…!」
「さあ、もう帰った方がいい」
 きっと彼が心配しているだろうからと背を押され、セルジュは熱の上った顔を抑えるようにいつも通りに話そうとする。
「あ、あの、イシトさんは?」
「私はまだ調べ物があるからもう少し後に戻るよ」
 セルジュはそうですか、と動揺している所為で少々引き攣ってしまった笑みを浮かべるとぺこりとお辞儀をして来た道を駆け戻っていった。
「私もまだまだだな」
 イシトはセルジュの後姿を眺めながら小さな溜息を吐いた。




 勢い良く座り、ぎぎっと悲鳴を上げるベッドを無視してカーシュは壁に身を預ける。壁はひんやりとしていて心地良く、カーシュは目を閉じる。
「まだ寝足りないのか?」
「?!」
 びくりとして声のした方を見ると、そこには見下したような笑みを口元に浮かべたフェイトが立っていた。
「何の用だ」
 顔を顰め、睨み付けてくるカーシュにフェイトはくすくすと嗤う。
「暇潰しも兼ねて少々悪戯を、な」
「失せろ」
 苛々と怒りを押し殺した様な声色に、フェイトは益々嬉々としているようだ。それが余計気に障る。
「何だ、掛かってこないのか?」
「てめえを倒すのは小僧の役目だ」
 あいつが括らなきゃ何ねえ事だと低く言うカーシュの体にフェイトはそっと腕を回し、そのまま凭れ掛かるようにその厚い胸板に頬を寄せる。
「つれないな。一度は肌を合わせた仲だと言うのに…それとも、あの男…ダリオと言ったか…彼奴に抱かれる方がイイのか?」
 自分の頭上でカーシュがあからさまに嫌そうな顔をしているだろう事が手に取るように分かり、フェイトはくつくつと沸き上がる笑みを噛み殺す。
(結局、甘いのだ。この男は)
 野生の動物が自分に敵意を持たない相手を無闇に攻撃しない様に、この男も自分に敵意を向けていない相手を攻撃する事に躊躇いを感じているのだ。
 例えそれが誰であろうと。
「愛想の無い男は疎んじられるぞ?…そう思わぬか?セルジュ」
「小僧?!」
 カーシュがばっと扉の方を見ると、そこには驚愕に見開かれた零れ落ちそうなほどの瞳のセルジュが立っていた。
「な、んで………」
 セルジュは掠れた声でそう言うと、弾かれたように踵を返して出て行ってしまう。
「セルジュ!!」
 カーシュはフェイトを引き剥がすとセルジュの後を追っていった。
「……くっ…くくくっ……」
 部屋に取り残されたフェイトはきゅっと唇を吊り上げて小さく嗤う。
「さて、愛しいセルジュの様子でも見に行くか」
 冗談めかしてそう言うと、フェイトの姿はふわりと霧散した。



(何…何なんだよ…!)
「…っは、はあ…はあ…」
 セルジュは脚を止めると酸素を求める体の欲求に従ってゼイゼイと肩で息をする。
「…っ…はあ……」
 大きく深呼吸をして一通り落ち着くと、辺りを見回す。
(…こんなトコ、来ちゃった……)
 でたらめに走っていたセルジュは自分が海岸にまで降りて来ているのに気付いていなかったのだ。
 海岸と街を仕切っている壁を見上げると、テルミナの活気に満ちた空気が伝わってくる。
「………」
 セルジュは唇を噛むと俯く。
 不安が、現実となったのか。
 いつ壊れるかと脅えていた事が、現実となってしまったのか。
「……っ……」
 じわりと溢れそうになる涙を堪え、セルジュはもう一度深呼吸をする。
「あっ…!」
 突如目の前に闇が現れたかと思うとそれは人の形を象り、自分と同じ肉体を持つ相手が現れた。
「ヤマネコ!」
 セルジュは慌てて踵を返そうとするがその腕を掴まれ適わない。
「離せ!」
「まあ待て。そんなに急ぐ事もあるまい」
 フェイトはその腕を強く引き寄せ、セルジュを逃がさぬ様きつく抱きしめる。
「くそぉっ…!」
 自分の体を戒めるその腕の力は同じ肉体の筈なのに逃れる事所か身を捩る事すら許してはくれない。
 フェイトはくつくつと可笑しそうに喉を鳴らすと片手をセルジュの内股へと滑らす。
「あっ…!」
 びくりと反応してしまったセルジュは羞恥に顔を紅くしながら唇を噛んでそれに堪える。フェイトの手はゆっくりと内股を撫で上げ、指を滑らしていく。
「ココが感じるのだろう?」
「違…ぁ…!」
「くくっ…違わないだろう?カーシュはここを執拗に愛撫してきたぞ?」
 カーシュの名にセルジュはびくりと震える。それは、カーシュがフェイトを抱いたのだと言う事を現わしていた。
「ゃ、やめ…っ……」
 セルジュはぎゅっと目を閉じると首を左右に振る。フェイトは可笑しそうにセルジュの中心に指を這わせる。
「あの男と同じやり方で抱いてやろうか…」
「やっ…かーしゅ……カーシュ!」
 妖しく蠢くフェイトの指に、セルジュが溢れそうな涙を抑えて叫ぶ。
「セルジュ!」
 その声が届いたのか、頭上から求めていた声が振ってくる。
「カーシュ!」
 セルジュが見上げると、カーシュは柵の向うからこちらを見下ろしていた。
「てめえ!セルジュを離しやがれ!」
「お前に指図される謂れはないが?」
 フェイトがつっとセルジュの中心を撫で上げると、カーシュは「ざけんな!」と叫んで柵に足をかける。
「か、カーシュ!」
 がしゃんと裂くが揺れる音が聞える。そしてそれと同時にカーシュは飛び降りてきた。
「…これだから体育会系は…」
 さすがにフェイトも呆れ、脱力した声にはっとしたセルジュは慌ててフェイトの腕から逃れる。
「カーシュ!」
 セルジュはカーシュに飛び付くと二度とフェイトに囚われぬ様きつくその逞しい体にしがみ付く。
「カーシュ、カーシュッ…」
「コイツは返してもらう。もう、俺らの前に現れるんじゃねえ」
 次、会う時はてめえをぶっ倒す時だ。
 カーシュはそう言うとセルジュを抱きかかえて街へ戻る為の階段へと向かう。
「カーシュ」
 フェイトは一度だけその名を呼ぶ。
 だが、カーシュは聞えなかったかのようにセルジュを抱え、街へと戻っていった。
「……精神が違えど、肉体は同じだと言うのに…」
 それは誰に向けた言葉だったのか。
 微かな呟きを残してフェイトはその場から消えていった。



「…ね、ねえ…もう下ろしてよ…」
「ダメだ」
 四天王で名高いカーシュに抱えられたまま街中を連れられているセルジュは当然の様に注目を浴び、宿屋に着くまでその視線から隠れるようにカーシュの首筋に顔を埋めていた。
「ほら、着いたぞ」
 どさりと体をベッドらしき場所に下ろされ、セルジュはそっと目を開く。
「あれ…?」
 そこは宿屋の一室ではなく、カーシュの部屋だった。
「あっちだとマルチェラ達が居るからな」
 そう言いながら自分もベッドに上るとゆっくりとセルジュを押し倒す。
「か、カーシュ……」
 セルジュが焦りながら覆い被さってきたカーシュを見上げると、カーシュはセルジュの身体を抱きしめてきた。
「……いい訳はしねえ。ダリオに抱かれたのも、フェイトを抱いたのも事実だ」
「……」
 全身にその男の重みを感じながらセルジュは言葉の続きを待った。カーシュは暫し沈黙した後、その言葉を綴る。
「全部、俺の弱さだ。お前を救ってやりたくて、結局何も出来ない自分が嫌で、少しの間でも自分の非力さを忘れたくてダリオに抱かれたし、フェイトも抱いた」
「……カーシュ…」
「許してくれないのはわかってる。俺を想ってくれたお前に対して最低な事をしたと…」
「カーシュ…もう、いいよ…」
 セルジュはカーシュの言葉を遮ると、その身体をぎゅうっと抱きしめる。
「カーシュ…カーシュは、僕の事、好き?」
「ああ、誰より、何よりも好きだ」
 即答される答えにセルジュはくすりと笑みを零す。
「リデルさんや、フェイト…ダリオさんより?」
「俺が愛してるのはお前だけだ…」
「なら、いいよ…僕だってカーシュが大好きだもん…」
 セルジュはそっとカーシュの髪に口付け、失うのは嫌だよと呟く。
「セルジュ……」
 カーシュは苦笑するセルジュの唇にそっと口付ける。
「んっ…かぁしゅ…」
 ちろりとその微かに開かれた唇を舌先でなぞると、そこから甘い声が漏れてくる。
「ずっと、傍に居てね…何があっても、僕の事、忘れないで……」
「ああ、ぜってえ忘れねえ…ずっと、傍に居る」
「僕が僕でいられるようにちゃんと捕まえていて…」
 眼の色、髪の一筋、細胞の一つ一つまでも…その全てを記憶しておくから…
「約束だよ、カーシュ……」














 そして。

「カーシュ!!!」

 時を喰らうものは闇へと消え、二人はお互いの世界へと戻っていった。









 約束したんだ。



 ずっと忘れない。



 約束した。



 ずっと一緒だと。







 ……約束したんだ……










「カーシュ?起きてる?!」
 マルチェラはいつもより強めにその扉をノックする。
 返答はない。
「もう、カーシュってば…」
 マルチェラは溜息を吐きながら合鍵をポケットから取り出す。
 朝の会議に定時を過ぎてもやってこなかったカーシュを叩き起こしに来たのだ。
「入るわよ!」
 扉を乱暴に開け、室内に足を踏み入れると案の定カーシュはベッドの上で横になっていた。
「カーシュ!」
 ベッドサイドに駆け寄り、カーシュの名を彼の耳元で叫んでやる。
 だが、カーシュは身じろき一つせず眠ったままだ。
「起きなさいよ!」
 頬を抓ったり、肩を揺すってみるがそれでも彼は目を覚まさなかった。
「……カーシュ?」
 そこでマルチェラはふと手を止める。
 おかしい。
 カーシュは元々寝起きは良い筈だ。遅刻する事ですら珍しい。いや、初めてではないだろうか。
 なのに、ここまでしても起きないのはどう考えても妙だ。
「………息はあるわね」
 マルチェラは自分が物騒な事を言ってしまった事に片眉を跳ね上げる。
「……………」
 ゾアを呼んでこよう。
 マルチェラは小走りに部屋から出ていった。


 マルチェラの足音が遠ざかると、カーシュの瞼がぴくりと揺れてその緋の眼が開かれる。それと同時に、先程までマルチェラの立っていた場所にまるで空気がにじみ出るようにその姿を現わす少年。

――カーシュ…

 蒼い髪にバンダナを巻き付けた軽装の少年は、覚えてる?と不安げにカーシュを見下ろしてくる。カーシュは何と無く重く感じる腕を持ち上げると、触れられない筈の少年の頬に手を添える。
「当たり前だろ、小僧」
 いつもの様にそう呼んでやると彼はあの向日葵のような笑顔になり、頬に添えられたカーシュの手に自らの手を重ねる。
「ずっと一緒だっつったろ」
――うん、約束した。
 セルジュはゆっくりとカーシュに覆い被さると瞼を閉じてそっと口付ける。
――カーシュ、大好きだよ
 すぐ眼前でセルジュが閉じていた瞳をゆっくりと開く。
 その蒼く澄んでいた瞳は暗く淀み、紫暗を帯びていた。
「………」
 その色にカーシュは微かに痛ましそうに顔を顰めると、実態無きセルジュの身体を包み込むように腕を回す。
「…俺はお前を救ってやる事は出来なかった…」
 だからせめて。
「ずっと、お前の傍に居てやる」
 その言葉にセルジュはくすくすと嗤うとカーシュの体に寄り添うように身を伏せた。
――大好き、カーシュ
 楽しそうな声音を残し、セルジュはまるで水に沈むようにカーシュの中へと消えていく。
「……セルジュ」
 それに引き摺られる様にカーシュの意識も沈んでいき、静かに目を閉じた。






(了)
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カーシュは死んでませんからね?(爆)ああ、やっと終った…たらたら書いてんじゃないよ俺(死)そして報告。まず最初、エンディングは二通りありました。実際書きました。が、どうもアルフがうそ臭いのと終わり方が某アンソロ用に書いた原稿と似ていた為に削除。それと同時にアルフの登場もさようなら。ギャダランは当初セルジュを殺す役でした(ハイ?!)最初のエンディングは、セルジュがギャダに殺してもらうって予定だったがこれも最終的に「ヒエログリフ」と似たような終わり方になったので削除。そして更に省かれたフェイト戦。書いていて、「あ、蛇足にしかならねえ」と気付きこれも削除。そしてカーセルのエロ。ブーイング飛んできそうですね。ダリカーやカーDセルは思いっきり書いておいてそりゃないだろという声が聞えてきそうです。実際俺の頭の中で騒いでます。(爆)これはサイズの問題と話のまとまりの問題から削除しました。
わー!削除しまくりー!!さすが高槻!どんな長い文もてめえに掛かっちゃ形無しだね!(爆)フェイトの考えは敢えて語らなかったけどね。
それではえりっこ様、長らくお待たせしまして申し訳ないです!煮るなり焼くなりお好きにどうぞ!あ、でも刺し身は止めて欲しい☆(←殴)
(2000/09/30/高槻桂)

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