『そんなキミにレッドカード』

 

「元気でな。いい仕事しろよ」
「もう少し、ましなものを書くようにするよ」
私がぎこちないながらも僅かな微笑を浮かべると、石町もほんの少しだけ口角を歪めた。
「またな、やで。さよならやないからな」
一歩、彼に近付く。呼吸の度にお互いの衣服が微かに触れ合うほどの距離で私は石町を見詰めた。
「……ああ」
彼の右手が上がり、氷の温度をした指が私の前髪を優しく掻き回す。
そして、私の頭に巻かれたその包帯の上にそっと触れるか触れないかの位置に手を添えた。
「すまなかった…」
「…済んだ事や。そんな事より、ほんまに、さよならは御免被るで」
「ああ…約束だ、アリス」
彼の方が余程辛いだろうに、それでも私を労わろうとするその色に私は耐えられず、目の前の肩口に顔を埋めた。
「絶対やで。絶対、また話そう」
次はどんな話だこの前の誰それの作品はどうだ。
電話で、飲み屋で、出版社で。
「約束やぶったら、針千本飲むんやからな」
「了解」
ぎゅ、と一度抱きしめられ、ぽんぽんと子供をあやすように優しく背中を叩かれた。
「さ、お迎えだ」
少し離れた所から車の止まる音が聞えた。刑事たちが来たのだろう。
彼はそっと私から離れると、現れた鵜飼と小山内にそっと一礼をした。
私はその背中をじっと見つめた。
酷く、小さい後姿だと、思った。


結局何やかんやで出立は翌朝となった。
さすがにその日の夕餉は静かなもので、早々と席を立つ者が多かった。
「アリス」
部屋に戻り、横着にもベッドの上で荷造りをしている私の隣りに火村がどかっと腰掛けた。
「なん、君もう終わったん」
荷造りを始めたのは同じ頃合いだったというのに、彼の荷物はちょこんと壁にその身を寄せている。
因みに私は漸く三分の二が終わった程度だ。
「元々誰かさんみたいに散らかしてねえんでな」
「ひっ散らかしてて悪かったな」
「全くだ」
「……君、何不機嫌なっとんのや」
別に、とひらりと手を振る男に私は片眉を吊り上げる。
何が言いたいのだ、この男は。
「ただ、少しばかり妬けただけだ」
「は?」
何が、と言いかけて私は口を噤んだ。
石町との事か。
「なん、親愛表現やん」
人が悲愴な思いでいた時にコイツはヤキモキしていたという事か。
こういう所も可愛いと思ってしまう自分。
「親愛、ねえ……なら、俺の時はキスの一つは貰えるのかな?」
「ピッピー!火村クンにレッドカード!」
お帰りはあちらでーす!とぐいーっと火村を彼のベッドへと押し戻す。
「こらアリス」
「こらやあらへんわボケ。君の時なんかあらへんに決まっとるやろ」
何の為に私がこの男の傍らに在ると思っているのだ。
「ボケるんはまだ早いで、センセ」
つい、と顎を逸らし、細めた眼で見下すと彼はくつりと笑った。
「ああ、そうだったな」
アリス、と彼が微笑って呼ぶものだから、つい腕の力を抜いてなんや、と応えてしまう。
「アリス…」
もう一度私の名を呼んで、私の腰に腕を回して抱き着いて来た。
なんやでっかい子供が甘えてきとる、などと考えていると、その「でっかい子供」はすり、と私の腹部に顔を寄せて眼を閉じた。
「ありがとう」
「なんや今日はえらいしおらしいやん」
元からだとほざく男の髪をゆったりと撫で、私はくつくつと笑った。





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ン年ぶりに「46番目の密室」を読み返して何となく思い浮かんだので。
あ、モロネタバレなんで。
アリスの口調は私の口調がベースなので微妙に関西弁じゃないですゴメンナサイ。(爆)

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