オトメチックエゴイスト〜第壱拾の夜〜


あなたが好きでした。
誰よりあなたが好きでした。
あなたは私の世界でした。
あなたは私の心の中心でした。

どうか、私を忘れないでいて。





浅瀬を歩む君の滑らかな脚




第十話「さよならは永遠(とわ)の別れでなく」


それは、秋の暮れの事だった。
「乾さん」
聞き知った声に振り返ると、フェンスの向こうで裕太が自分を呼んでいた。
「裕太君?珍しいね。君がコートへ来るなんて」
いつもは兄の存在が一番強いここへ、裕太が近付く事はなかったというのに。
「あの…部活が終わったら……少し、良いですか?」
「うん、良いよ」
乾の返答にほっとした裕太は待ち合わせ場所を告げ、やはりこの場に長居はしたくないのだろう、足早にその場を立ち去った。
その後姿を見送り、コートへと視線を戻す。
何となく不二と視線がかち合った。
一瞬、不二は何か言いたげな色を浮かべたが、次の瞬間にはいつもの笑顔にかき消されてしまう。
「……なに?乾」
「いや、別に」
何となく居心地が悪く感じて、乾は手塚の元へと向かった。


「待たせたね」
部活が終わり、着替えも終えた乾が図書館へと赴くと、そこには裕太しか居なかった。
扉の開かれる音で乾の訪問に気付いた裕太は開いていたテニス雑誌から視線を上げ、いえ、と小さく笑った。
「司書も居ないなんて珍しいね」
「職員会議らしいです。さっきまで図書委員が居たんすけど放送で呼び出されて…」
「そう」
乾は裕太の向かいに腰掛けると「それで、」と切り出した。
「話って何だい?」
「……俺、ルドルフへ行きます」
裕太の決断に、乾は暫く沈黙した後「うん」と小さく頷いた。
「俺もそうする方が良いと思うよ」
「もう、手続きも済ませてきました。来週から、寮へ入ります」
同時に、聖ルドルフのテニス部員となる。

この人と、敵対する。

いつか、この人と戦いたいと思っていた。
こんな形になるなどとは思ってもみなかったけれど。
本当は、まだ離れたく無いと思っている。
それこそが依存なのだと気付いた今尚、離れるのが辛いと感じる。
「在り来たりな事しか言えなくて悪いけど、頑張って」
「ありがとう、ございます……」
無理に笑おうとし、それは失敗に終わる。

この人には快く送り出して欲しかった。

現に、この人はこうやって送り出してくれているではないか。


けれど、本当は。


「裕太君の選んだ道だ。俺は止めないよ」



引き止めて、欲しかった。



傍に居てくれと、言って欲しかった。



何故、こんなにもそれを願ってしまうのかは分からなかったけれど、そう願わずにはいられなかった。
もし、これが自分ではなく手塚だったらどうだったのだろう。
同じように、笑って見送っただろうか。
それとも。
「今まで、ありがとうございました」
席を立ち、頭を下げる。気にしないでいいよと微かに笑う乾に、それじゃあ失礼しますともう一度礼をして裕太はその場を立ち去った。

乾が追いかけてくる事は、無かった。





「おかえり、裕太」
一足早く帰宅していた周助が彼の足音に気付いて部屋を訪れた。
「何だよ」
入って来るなり裕太の顔を見て微かに笑った兄をきつく睨む。
「泣きそうな顔、してるよ」
「っ!」
裕太は咄嗟に顔を背けた。周助はそんな裕太に近寄ると、その隣に座り込む。
「乾に引き止めて欲しかった?」
「………」
「手塚だったら、とか思ったんでしょ」
何も答えない裕太に、周助は苦笑いを浮かべるとそっとその体を抱き寄せた。
「なにすっ…」
「泣いて良いんだよ」
哀しかったら、泣いて良いんだよ。
「………ぁ……」
まるでその言葉が涙腺の鍵だった様に、裕太の目尻から一筋の涙が零れ落ちる。
「……っ……」
そうなってしまえば、後はなし崩しに涙は溢れた。
「……裕太は、乾の事が本当に好きだったんだね」
労わるようなその言葉に、裕太は兄の服をきつく握り締める。

兄の言葉で、漸く気付いた。


「…ぃさん…っ……」


好きだった。

尊敬だけからでもなく、依存からでもなく。

純粋に、ただ好きだった。



俺はあの人に、恋をしてたんだ。







(第11話に続く)
(2001/10/26/初出)
(2007/07/29/改定)

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