オトメチックエゴイスト〜第壱拾五の夜〜


あなたの素顔が好き。
あなたの低い声が好き。
あなたの漆黒の眼が好き。
あなたの大きな手が好き。
あなたの優しい手つきが好き。

あなたの全てが私の安定剤。





浅瀬を歩む君の滑らかな脚




第15話「海堂薫」


「………あ」
ズボンのポケットに手を突っ込み、そこに在るべき物が無いことに海堂は立ち止まった。
(……鍵落とした……)
ポケットに穴が開いていないければ、外へ出した覚えも無い。
となると部室だ。着替えた時に滑り落ちたのだろう。
「……チッ…」
海堂は小さく舌打ちすると踵を返し、学校へと戻って行った。


「あれ、早かったね」
部室へ戻ってきた手塚を乾はそう迎え入れた。
「ああ…任せて済まない」
「気にする必要はないよ。もう部誌が書き終わるから」
「相変わらず早いな」
壁からパイプ椅子を取り、乾の向かいに座る。
「そういえば不二は?」
書き上がった部誌を手渡しながら問うと、手塚は部誌に目を通しながら「帰った」とだけ告げた。
「…申し分無い。やはりこういう事はお前の方が長けているな」
「そう?」
「ああ」
確認の終えた部誌を机に置くと、手塚は座ったばかりの椅子から立ちあがった。
「不二と何を話してたんだい?」
乾の傍らに立つなりそう問われ、手塚は苦笑する。
「珍しいな。お前がそういう質問をするのは」
「手塚が「話したいけど話せない」って顔してたから」
「……」
手塚は無言で乾の眼鏡を外す。そこには優しげに細められた眼が手塚を見上げていた。
どうしてこうもこの男は察しが良いのだろうか。
乾の言葉に手塚は苦笑するしかない。
「どうする?」
言うのであれば聞くし、言いたく無ければ言わなくて良い。
「止めておく」
手塚が小さく首を振る。
「そう。じゃあ、おいで」
椅子から体をずらし、手塚の腰を引き寄せると抵抗無く手塚の体は乾の膝の上に納まった。
「……これではどっちが子供なのかわからないな」
「それもそうだね」
乾の可笑しそうな声に手塚は体の力を抜き、乾の胸に背を預ける。
「手塚、気づいてる?」
「何が」
「不安になったりすると、俺の眼鏡外す癖」
俺の素顔が安定剤?
そう微笑う声に手塚は言い返せず押し黙る。
乾はむっつりと口を閉ざした手塚の眼鏡を取り上げ、自分の眼鏡の隣に置いた。
「何だ」
「だって俺一人だけ眼鏡取られてるのってなんだか癪じゃない」
「そういう物か?」
「そういう物だって」
釈然としない手塚の背後で小さく笑う声がする。何か文句を言ってやろうとするが、彼の手が自分の髪を梳き始めたので手塚は再び口を閉ざした。
「……」
乾の大きな手が一定の間隔で髪を梳いてゆくその心地良い感覚に、ふわりふわりと睡魔が湧き上がってくる。
寝てはならないと思いつつも、部活で疲れた体は睡眠欲に忠実で。
「……手塚?」
暫く梳いていた乾がそっと呼びかける頃には、腕の中の主は小さな寝息を立てるだけだった。
さてどうしたものかと思案していると、こちらへ向かう足音が聞こえてきた。
「手塚」
呼びかけても手塚が起きる気配は無い。
どちらにせよ足音は既に部室の近くまで来ている。今更起きた所で見られることに変わりは無いだろう。
さてどうしたものかと考えあぐねている内にカチャリとノブが回される。
…手塚、あとで怒るだろうなァ。



(第16話に続く)
(2001/11/18/初出)
(2007/07/29/改定)

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