浅瀬を歩む君の滑らかな脚




第24話:「越前リョーマとCOOL」



他の部員たちは粗方帰り、手塚も書き終った部誌と荷物を手に立ち上った。
「それじゃあ、行こうか」
向かいに座っていた乾も席を立ち、並んで部室を後にする。
「ねえ」
部室を出てすぐ声が掛かった。
幾ばか離れた場所に見覚えのある少年が立っている。
確か、部活見学に来ている一年だ。
「アンタが、クニミツ・テヅカ?」
まるで日本の名前に馴れていないような、僅かにイントネーションのずれた呼び方に手塚は微かに眉を寄せる。
「そうだが」
「写真で見た時は似てないって思ったけど、実際に見てみると案外似てるモンだね」
「?」
腑に落ちない表情の手塚に、彼は「知らない?」と首を傾げた。
「クニカゼ・テヅカ。従兄弟なんでしょ?」
思いも寄らぬ所で出された従兄弟の名に、手塚は微かに目を見開いた。
「知っているが…」
「宜しく伝えておいて、って」
それだけ、と踵を返して去っていく少年の後姿を手塚は困惑げな表情で見送った。
「知り合い?」
「…あいつは知らんな…」
すると乾は鞄からいつも持ち歩いているノートを取り出すと、一番新しいページを開いた。
「えーっと、越前リョーマ、一年二組。帰国子女との噂あり。三月に行われた柿ノ坂ジュニアテニストーナメント十六歳の部に登録するも遅刻のため失格」
「……」
昨日出会ったばかりの相手を既にチェックしている所が乾らしい。
「その内、暇ができたらまた『JAM』へ行こうか」
『JAM』というのは国風が経営する喫茶店の名だ。
手塚はこくりと小さく頷き返し、二人は並んで職員室へと歩き出した。




カラン、と店の扉が開かれる音にその喫茶店の若きマスターは顔を上げた。
「やあ、いらっしゃい」
入って来た見知った少年に、彼はグラスを拭く手を止める。
「クニカゼ、クニミツに会ったよ」
そう言って彼の目の前のカウンター席に座った少年に、コトリとファンタグレープの入ったグラスとストローを置く。
少年がファンタが好きだと知った彼が、少年の為だけに置いているものだ。
「へえ、どうだった?元気そうだったかい」
「それなり」
細身のストローから一口、二口と中身を吸い上げ、ばたばたと聞えて来た足音に少年は嫌そうな顔をした。
「ッリョーォォッマ!!」
ばたーんと軽快な音を立ててスタッフルームから一人の男が飛び出してくる。

思わず他人の振りをしたくなる極彩色且つびらびらとした服を纏い、左目の下には泣き黒子のように赤いハートマークが描かれている、長髪の男。
「マイスウィート、良く来てくれたね!ああそんな顔をしないで、俺がすぐ君の元へ来なかったのが不満なのかい?!」
何と嬉しい…!と大袈裟によろめく男に「違うし」と短く切り捨ててリョーマは溜息を吐く。
「そんなに照れなくてもいいんだよ!大丈夫、わかってるから!」
「…KAL、煩い…」
「KALだなんて他人行儀な!!さぁ、呼んでご覧、藤・一・郎、と!」
「……」
いい加減バカらしくなってきたリョーマは、一人喋り続ける男を無視してファンタを飲み干した。
「ねえ、今日はアイツ、いないの?」
「そう、レンタル中」
にっこり笑う国風に、リョーマはふうん、と微かに詰らなそうな色を称えた。
「こんにちはー!あ、リョーマ君とKALも居る〜!」
ベルがカララン、と少々騒々しい音を立ててながら扉が開いた。
「おや、笑子ちゃん、それにCOOLも」
入って来たのは明るい印象を与える女子高校生と、むっつりとした長身の男だった。
「そこの交差点でCOOLの車見掛けたから、走ってきちゃった」
僅かに頬を紅潮させた笑子はそう笑う。
「首尾はどうでした」
「……」
国風の問いに、男はこくりと頷くだけでスタッフルームへと消えてしまった。
「ハン、相変わらず愛想の無い男だね」
ちゃっかりリョーマの隣りの席に座っているKALがひょいと肩を竦める。
「今日はKALも居るんだね。DONちゃんはレンタル中?」
「ええ。明日には帰って来ると思いますよ」
バイト開始まで時間が有るから、と笑子は紅茶を注文する。
「リョーマ君は青学、どうだった?」
笑子は近くの公立高校に通う二年だ。距離的には青春学園の方が近いのだが、私立か公立か、と言われ、特に青春学園でしか学べない!というものを目指しているわけではない笑子は即座に公立を選んでいた。
「別に。恥かしい学園名だと思ったくらい」
「あー、青春学園だしねー」
確かにあれは恥かしい、と笑子もうんうんと肯いた。
「でもこの辺では一番の学校だからねえ〜。それくらいは見逃してあげなよ」
だがバイトや就職の面接、親戚、知人との交流の中で何度も「青春学園に通ってます(ました)」等といわなくてはならないと言うのは正直な話、恥かしい。
「あ」
不意にリョーマが視線を上げた。笑子たちがそれにつられて視線を向けると、スタッフルームからCOOLが出て来た所だった。
「御馳走様」
「またね」
明らかに社交辞令といった声音で立ち上るリョーマに気を概した様子も無く、国風がにっこりと笑う。
「リョーマ、また俺に逢いに来ておくれ!」
「リョーマ君バイバーイ!」
KALと笑子の声を背にリョーマが出ていき、それに続いてCOOLも出ていった。
「ああ…あんなむっつりなんかより俺の方が楽しい帰路に就けるのに!」
リョーマの身辺警護は契約を交わしたCOOLの仕事だ。
口惜しそうに言うKALの言葉に、笑子はねえ、と国風に視線を向ける。
「マスター、ずっと気になってたんだけど、リョーマ君とCOOLって、どういう関係?」
「そうですねえ…COOLにとって、リョーマ君は大切な王子様って所かな?」
にっこり笑ってそう答えた国風に、KALはチチチ、と舌を鳴らして人差し指を振った。
「『俺たちの』大切な王子様だ」



その日、桃城武はいつもとは違ったルートで自宅への帰路に就いていた。
友人から最近発売されたばかりのゲームソフトを借りに行っていた為だ。
「あれ?」
しゃかしゃかとペダルを踏む足を弛め、桃城は見覚えのあるオープンカーに視線を向ける。
「やっぱ越前だよな」
反対車線の路肩に止められたその車に、やはり見知った顔を見出して更に減速していく。
リョーマは車から降り、目の前の一軒家への門を潜った所だった。そこが彼の家なのだろう。
やがて、止まっていた車は再び動き出して車線へと戻っていく。
運転しているのはやはりあの時の不愛想な男だ。
家族かと思っていたが、少なくとも一緒には住んでいない様だ。
「……わっかんねえなあ、わっかんねえよ…」
ぽつりとそう呟いて、桃城は再びペダルを漕ぎ出した。
「やっぱりミステリアス系だよな」






(25話に続く)
(2002/08/18/初出)
(2007/07/31/改定)

戻る