浅瀬を歩む君の滑らかな脚
第三十一話「観月はじめの苛立ち」 氷帝学園対辰巴台東戦は氷帝学園のストレート勝ちだった。 大した運動にもならなかった、とぼやきながら去っていく宍戸たちの後姿を手塚と不二が見送っていると、すい、と見慣れた長身が前を横切った。 乾、と手塚が呼び止める前に彼は去っていこうとする宍戸たちの背に声をかけた。 「宍戸、跡部」 乾の声に宍戸と跡部、そして樺地が振り返った。 「「乾じゃねーか」」 跡部と宍戸の声がハモる。 二人はお互いをちらりと見たが、すぐに視線を逸らして乾に向き直った。 「青学も順調みたいだな」 「ああ、ありがとう」 宍戸につられて乾も小さく笑って樺地を見る。 「樺地君も、久しぶり」 「…ウス」 のんびりとした空気に跡部がふん、と鼻を鳴らした。 「嬉しそうにしてんじゃねーよ。レギュラー落ちしたくせに」 彼にしては珍しくその声音に棘は無く、寧ろ真剣みを帯びていた。 「大丈夫、関東までには復帰してるから」 平然としてそう返せば、跡部は「よく言うぜ」と漸く笑って乾の胸元を拳で叩いた。 「逃がすなよ?」 「ああ、わかってる。もう少しだ」 すると、氷帝のジャージを纏った少年が駆け寄ってきた。 「跡部さん!ミーティングお願いします!」 「わかった、すぐ行く。…というわけだ。悪ぃな」 「いや、俺こそ呼び止めてすまなかったね」 「気にするな。…夜、電話する」 「ああ。…宍戸もたまには宍戸の方からメール頂戴」 「気が向いたらな」 「樺地君も、またね」 「…ウス」 じゃあ、と手を振って三人を見送った乾は、ふと視線を感じて振り返った。 「…どうしたの、二人とも」 珍しくきょとんとしている不二と、不機嫌そうな手塚の姿に乾は小首を傾げた。 「乾って、跡部たちと知り合いなんだ?」 「まあ、そうだね」 それがどうかしたのかと言外に滲ませて答えれば、不二はいつもの笑みを浮かべてそう、と頷いた。 「ちょっと意外」 その言葉に乾はひょいと肩を竦めて見せた。 「少なくとも、不二や手塚よりは付き合いは長いよ」 観月は苛立っていた。 D1は勝ったものの、それは自分のシナリオ通りではなかった。 自らのシナリオを崩される事が、一番嫌いだ。 その少しの歪がどれだけの大きな誤差を生み出す事になるのか、あの馬鹿どもはわかっちゃいない。 このままでは、D2のシナリオも狂いかねない。 「審判」 観月はベンチを立ち上がると、審判台を見上げた。 「嫌な間合いでタイムを取るな」 乾がぱたり、とノートを閉じて小脇に抱える。 「桃の士気をうまく殺がれちゃったね」 不二の言葉に頷きながら、手塚は乾を見た。 「どうやら、他にも目的があるみたいだぞ、乾…」 箒を手にした観月がフェンス越しに近づいてくる。 観月は薄い笑みを浮かべ、乾を見ていた。 「残念ですね、乾君。せめてレギュラー落ちしていなければコート内で僕と競えたのに…」 挑発的な言葉も、しかし乾には通じない。 「君の相手は不二だよ」 「そんな事は、些細な事です」 ちらとも不二を見る事無く観月は言い捨てた。 そして審判に促され、観月はベンチへと戻っていった。 「約束、忘れないでくださいね」 勝ち誇った笑みを浮かべて。 「乾、約束って?」 観月がベンチに戻ると同時に不二が問いかけてきた。 先ほどの観月の物言いなど、全く眼中に無いような素振りだった。 「ああ、ルドルフが勝ったら付き合ってくれって言われた」 ぴくりと手塚が震えた。 しかしそれをちらりと見やったのは不二だけで、乾は相変わらずコートを見ている。 「へえ、観月も引っ掛けてたんだ」 「人聞きの悪いこと言うなよ」 「えー?だって事実だし。ねえ、手塚」 手塚はコートを見つめたまま微動だにしなかったが、眉間に刻まれた皺がその心情を表していた。 「詰まんないの」 D2は思わぬ形で幕を閉じた。 気絶した柳沢は暫くして目を覚ましたが、観月は見向きもしなかった。 着るつもりの無かったジャージを纏い、今日何度目か判らない舌打ちをする。 役立たずどもが。 しかし幸いにも祐太はあの馬鹿どもの中で一番御しやすい。 祐太には何としてでもあの一年を潰してもらわなければならない。 そして自分が不二を倒し、青学を下してやるのだ。 彼を、手に入れるために。 (2007/08/06) |