オトメチックエゴイスト〜第参拾の夜〜
求めるものは恋でもなければ愛でもない。
欲するものは信頼でも尊敬でもない。
この手に掴みたいものは真実でもない。
唯一つ、事実が欲しい。
浅瀬を歩む君の滑らかな脚
第三十二話「跡部景吾」 俺たちはきっと、同じものを求めているのだ。 「跡部」 会場を出て行こうとする跡部と樺地を引き止めたのは、乾だった。 お互いジャージから制服に着替えており、帰り支度も済んでいる。 乾は辺りをちらりと見渡し、「宍戸は?」と問いかけてきた。 「知るかよ」 敗者に用は無い、と言わんばかりの口調に乾は肩を竦める。 「相手が悪かったね」 「誰であろうと負けは負けだ」 「宍戸はレギュラー落ち?」 「ああ」 「氷帝は厳しいね」 俺、氷帝行かなくてよかったよ、と笑う乾にそれで、と先を促した。 「うん、これからそっち、行ってもいいかな」 「アイツはどうした」 「手塚は今、機嫌が悪くてね。放っておくことにしたよ」 「いいのか?」 機嫌とらなくても、と言外に滲ませれば、いいんだ、と彼は笑う。 「何故自分が不機嫌なのか、それをよく考えてもらおうかと思って」 跡部は暫く乾の笑顔を見上げた後、お前にだけは捕まりたくない、と呟いて樺地を振り返った。 「樺地、携帯」 「ウス」 差し出された携帯電話を操り、耳に当てる。 すぐに出た相手に客を一人連れて帰る旨だけ伝え、返事も聞かずに電話を切った。 「泊まって行くのか?」 樺地に携帯を渡しながら問えば、笑顔のまま「そうなるんじゃないのかな?」と返してきた。 「着替えもちゃんとあるよ」 「…お前、ウチが負けるってわかってたな?」 「あは、だって跡部、不動峰が無名校だからってノーマークだっただろ?だからオーダー如何では82%の確立で負けると思ったんだよ」 「で?慰めてやろうとでも思ったのか?」 まさか、と乾は肩を竦めて笑った。 「跡部は別に落ち込んでないでしょう?どうせ慰めるなら宍戸の所へ行くよ」 「止めておけ。勘違いされるぞ」 「そう?でも俺、宍戸のこと好きだよ?」 「だから駄目だっつってんだろ」 するとピルルル、と甲高い電子音が二人の間に割って入った。 「樺地、取れ」 着信音で相手を理解した跡部は自分が出る必要も無い、と言わんばかりだ。 「ウス」 二つ背負ったテニスバッグの内、跡部のバッグから携帯電話を取り出すと(先程とは違うデザインだ)通話ボタンを押して耳に当てた。 そして一言だけ返事をして、あっという間に通話は終了した。 「…車が、到着したそうです」 「そうか。なら行くぞ」 さっさと踵を返した跡部に樺地が続き、乾もその後を追って歩き出した。 それがベッドの中であっても、彼らの会話は艶とは遠いものが多かった。 テニスの事、授業の事。専ら学校に纏わる話が多かった。 跡部は部長兼生徒会長として、乾は特進クラスで珍しい体育会系部活所属者としてお互いにストレスも多い。 それらを発散する事が第一の目的だった。 そもそも彼らは恋人同士でもないのだから、会話に艶を求める方が間違っているのだろう。 跡部が乾と出会ったのは、二人がそれぞれテニススクールに通っていた頃だった。 跡部が通っていたスクールが他のスクールとの交流という名目で練習試合を行った。 そこに乾はいた。 彼の噂は、跡部も知っていた。 ダブルスのパートナーが去って、シングルスプレイヤーに転向したらしい彼は一冊のノートを手に、ひっそりと立っていた。 試合をしている同世代の少年たちをじっと眺めては時折何か呟きながらノートに書き込んでいく姿は機械的で、空虚すら感じた。 「跡部?」 はっとして顔を上げると、シャワーから上がった乾が小首を傾げてこちらを見ていた。 「珍しいね、ぼんやりするなんて」 やっぱり負けたのが悔しかった?などと言いながら乾はベッドに腰掛けた。 「そんなわけあるかよ。コンソレーションに勝てば問題ねえし、そもそも負けたのは俺じゃねえ」 結局開いただけで読まなかった洋書を閉じ、ナイトテーブルの上に放り投げた。 「それもそうだね。あ、もっとそっち寄ってくれる?」 パジャマ代わりのシャツとスウェットパンツを纏った乾がシーツを捲り上げ、もそもそとベッドの中に入ってくる。 「オイ」 客間が用意されているというのに、図々しくもここで寝るつもりらしい。 「腰痛のため歩くのを拒否します」 「さっき平然と歩いてただろうが」 「気のせい気のせい」 さっさと自分のスペースを確保して丸くなってしまった乾に、こうなってはもう駄目だと知っている跡部は溜息を吐いてナイトテーブルに設置されたスイッチを押した。 途端、暗転する室内。 背もたれ代わりにしていた枕を直し、跡部も横になる。 「おやすみ、跡部」 「ああ」 二人で寝ても十分広いベッドは、あっさりと二人を眠りの世界へと導いた。 (2007/08/07) |