浅瀬を歩む君の滑らかな脚




第三十四話「宍戸亮」





From:乾貞治
Sub:今日、
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部活が終わったら
会いたい。



狙い済ましたかのようなメールに俺は小さな画面を凝視する。
ヤツか、と跡部を窺うが、跡部は忍足と何か話してて俺の視線には気付かない。
仕方ない。小さく溜息を吐いて携帯を鞄の上に放り投げ、着替える手を進めた。
「長太郎、ワリィが先帰るわ」
「え?でも、髪揃えないと…」
ざんばらに切った俺の髪を見て眉尻を下げる長太郎に、構わねえ、と返す。
「キャップ被っちまえばわかんねえよ。ちょっと急ぎなんだ」
すると長太郎はわかりました、とあっさり引いた。こいつのこういう素直な所は好きだ。
制服に着替え終わり、放りっ放しだった携帯を取り上げる。



To:乾貞治
Sub:Re:今日、
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今部活終わった。
これから帰る。



あいつにはこれだけで十分だ。
後は勝手に電車の時間だの何だのを計算して、俺が駅なり家なりに着く頃にひょっこり現れる。
あいつが来るときはいつもそんな感じだ。

俺が乾を知ったのは、一年の時だった。
他校のヤツラとは違い、堂々と偵察に来ていた。
しかも当時から有名だった跡部と気安く話していたのが興味を引いた。
跡部はあれでいて孤独だ。
常に人に囲まれ、注目を浴びていても、あいつ自身が樺地以外の人間と行動を共にしている所を見たことが無い。
誰をも跳ね除け、樺地以外の人間が自分の物に触れる事すら厭うくせに、乾にだけは自分から歩み寄り、声をかけていた。

あの跡部の友人。
それが俺の第一印象だった。





「宍戸」


電車を降り、改札口を通ると見慣れた長身がひらりと手を振った。
「よう。待たせたな」
「いや、丁度来た所だ。それに急に呼び出したのは俺だしね」
じゃあ行こうか、とまるで自分の家に行くかのように彼は歩き出した。
二人が話すのは専らテニスと学校に纏わることばかりだった。
跡部ともそんな話ばかりだ、と言っていた気がする。
跡部はどうなのかは知らないが、宍戸は余り部活の話をするのは好きではなかった。
乾自身に含むところは無いのだが、仮にも敵校で、今度の関東大会では初戦で当たる。
相手の手の内を探り合うような会話はしたくなかった。
乾もその点は同じ思いなのだろう、テニスの話はしても、部活中の話は殆どしない。
だから宍戸がレギュラーに復帰した事も、鳳とダブルスを組む事も言っていない。
ただ、と宍戸は乾を見上げる。
この髪に気付いているはずだ。
なのに乾は何も言わない。
やはり跡部が洩らしたのか、そう思いながら見ていると、視線に気付いた乾が小首を傾げて見下ろしてきた。
「どうかしたかい?」
「…いや、何でもねえ」
「あ、もしかして手土産にグランディールのチーズサンド買ってきたの、気付いた?」
全然見当違いだ。
が、グランディールのチーズサンドは好物なので黙っておくことにした。



「おかえり、亮…ってあなたどうしたのその髪!」
帰宅するなり、出迎えた母に悲鳴を上げられた。
説明するのが面倒で、適当に誤魔化していると乾がすっと間に割って入った。
「お久しぶりです」
「あら、乾君、お久しぶりね。また身長伸びたんじゃない?」
「ええ、184センチになりました。今日は用が済んだらすぐお暇しますのでお構いなく」
それじゃあ、と乾はさっさと宍戸を促して宍戸の部屋に向かった。
「さて」
部屋に二人きりになるなり乾は鞄から新聞紙の束を取り出し、唖然としている宍戸の目の前で床に敷いたかと思えば勉強机から椅子を引っ張りだして部屋の中央に据えた。
「宍戸、座って」
「はあ?」
意図が理解できずにいると、いいから、と無理やり椅子に座らされた。
「おい、乾?」
「いいから、じっとしてて」
問いかける間にも宍戸の首周りにタオルが巻かれ、その上にナイロン製のケープが巻かれた。
ここに至って漸く宍戸は乾の意図を悟った。
「……腕に自信あってのことだろうな?」
シュ、と水らしきスプレーを髪に吹きかけられ、一瞬目を閉じる。
「手先は器用な方だよ。それにさっきネットで切り方とか読んだから」
ぶっつけ本番かよ!
しかしそんな突っ込みも、しゃきしゃきと鋏を通される音がして飲み込んだ。
暫くの間、鋏が通る音だけが室内に響く。
櫛を通される感触に目を細めていると、「跡部に聞いたよ」と乾が呟いた。
「普通の鋏で切ったんだって?」
やはり跡部か、と思いながら、だからどうした、と返せば嘆かれた。
「折角の綺麗な髪なのに」
しかしこれは宍戸なりのけじめなのだ。
乾もそれを分かっているのだろう、それ以上は何も言わなかった。

それから暫くして、鋏の音が止んだ。
乾の手が髪を払うようにさっさと動いた後、ケープとタオルが外された。
「どう?」
手鏡が渡され、ざっと見てみる。
「…悪くねえんじゃねえ?」
プロほどとは行かないものの、十分見れるようになっている。
手鏡を返しながらそう言うと、良かった、と乾は笑った。
「宍戸」
「あ?」
彼はすいっと宍戸の前に回りこむと、切り立ての髪をくしゃりと撫でて笑った。


「レギュラー復帰、おめでとう」


宍戸は目を見開いて言葉を失った。



反則だろ、それ。








(2007/08/10)

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