浅瀬を歩む君の滑らかな脚




第三十六話「乾貞治の見る夢」



あれは、一年生の夏の事だった。

「乾君。手塚君の事は好きですか?」

不意に大和部長がそう聞いてきた事があった。
情事の後だったか、俺はベッドの中で寝転んでいて、彼はベッドサイドに座っていた。
「はい、好きです」
俺は特に考えることも無く答えた。
この際、どう答えたって同じなのだ。ならば障りの無い答えを言っておくのが妥当だと判断した。
「なら、手塚君を支えてあげてくれませんか。彼はいずれ部長の座に着く子です。その傍らを、あなたが支えてあげてください」
大和部長の言葉に少し考え込んで、それは、と返した。
「副部長の座を目指せ、ということですか?」
「そう取ってもらっても構いません」
「お断りします」
考えるより先に応えが口をついていた。
「俺にはそういう責任のある役職は向きませんし、面倒事は真っ平御免です。大石君あたりの方が適任でしょう」
第一、と続ける。

「俺はきっと、手塚を壊します」

俺の予定通りに進めば、手塚は俺の私利私欲の為に壊れるだろう。
俺の求める条件の全てを満たしているのは、今のところ手塚だけなのだから。
「それでも構いません」
しかし彼はあっさりとそれを認めた。
この人は俺が手塚に何を求めているか、きっと知っている。
それでも尚、俺を手塚の傍に置こうというのか。
「良いんですか」
構いません、と彼はもう一度言った。
「君一人に壊されるようなら、手塚君もそれまでなのでしょう」
ですが、と彼は笑った。
「ボクが思うに、手塚君はそれほど弱くは無いですよ」


途端、大和部長の声が遠くなる。



――ねえ、乾君。



君は、手塚君が欲しいんでしょうか。それとも……を……のかな?



大和部長?よく聞こえません。
大和部長?





――…どっちなんでしょうね?







「……」
眼を開けてから暫く、ぼんやりとしていた。
懐かしい夢を見た。
最近は彼の事などすっかり忘れていたというのに。

乾にセックスを教えたのは大和だった。
知識でしかなかったそれを、大和は一つ一つ丁寧に乾の体に刻み込んだ。
キスの仕方も、身体の開き方も、誘い方も全て彼との付き合いで学んだといえるだろう。
抱かれる事に差して抵抗は無かったし、何より大和は乾を愛してはいなかったが優しかったので丁度良かった。
しかし大和との関係は彼の卒業と同時に自然と終わり、その後好奇心で女と付き合ったこともあったが、どれも長続きしなかった。
そもそも乾は女の体に知的好奇心はあっても、性的興味を抱けなかった。
あの女独特の柔らかい体が苦手だった。
あの肉の柔らかさが嫌だ。
簡単に折れそうな骨格が嫌だ。
きゃあきゃあとはしゃぐ甲高い声が嫌だ。
それらは乾に性的衝動よりも破壊衝動を湧き上がらせた。
その細い手首がどれ位の圧力でへし折れるか試してみたかったし、あの括れた腰をどの程度の脚力で蹴りつけたら壊れるか知りたかった。
大人の女性の化粧は見ていて楽しめたが、中学生や高校生の肌を痛めるだけのそれは見ているだけでタワシで擦り落としてやりたくなる。
だから女は、主に同世代の女子は苦手だった。
「……」
そこまで思いを廻らせ、徐に暗闇の中で身を起こした。
布団が重力に従ってずるずると腰元に落ちる。
何故か無性に苛立っている自分に気づいた。
時間を確認しようとして、ここが自室ではないことを思い出す。
ここは手塚の部屋だ。
夜明けにはまだ早いのだろう、傍らのベッドでは手塚が寝息を立てている。
身を乗り出して腕を伸ばせば、簡単に手塚に届いた。
そして手塚の頬に触れる直前でその手を止める。

ああ、そうだ、手塚を抱いたんだった。

然したる感慨も無く、ただそう思う。
今度こそ、自分は手に入れる事が出来るだろうか。
愛情でも信頼でもない。真摯なものでもない。
ただ一つの事実を。

「…手塚」

小さく囁いてその頬に触れる。
指を滑らせてその細い髪に潜らせれば、気配が動いた。
「……いぬい?」
ぼんやりとした声に、ごめん、と謝る。
「起こしちゃったね」
髪を梳きながら言うと、いや、と小さな応えが返ってくる。
「体、大丈夫?」
「…大丈夫だ」
「そう、良かった。ねえ、手塚、そっち行っても良い?」
甘えを含んだ声で囁けば、暫くの沈黙の後、了承を得た。
シングルサイズのベッドに男二人は狭かったが、構わず潜り込んで手塚の体を抱きしめる。
「…夢みたいだ」
不意に呟かれた声に、何が?と返す。
「乾が、傍にいてくれることが」
「一年の時からずっと傍にいたじゃない」
そうじゃなくて、と手塚は乾の胸に額をすり寄せながら呟く。
「お前は糸の切れた凧みたいに気まぐれだから」
「あは、それって俺がふらふらしてるって事?」
否定はしないけど、と笑えば、手塚の腕が背に回された。
「…もう、何処にも行かないでくれ」
悲壮ささえ含んだその低い声に突き動かされ、手塚の上に圧し掛かるようにしてその体を組み敷いた。
「いぬ、んっ…ぅ…」
衝動のままにその唇を貪り、舌で口内を侵せば手塚の手が乾のシャツを握り締める。
「んっ…」
手塚の脚を割るように己の体を滑り込ませると、びくりと手塚の体が震えた。
「ぁっ、い、ぬいっ…」
ぐい、と己の中心を手塚のそこに擦り付け、刺激を加える。
「だったら、俺を離しちゃダメだよ」
次第に形の変わってきたそこに指を滑らせ、パジャマ越しに撫で上げれば手塚の体は面白いほどに跳ねた。
「俺をちゃんと捕まえておいて。独りにしないで。じゃないと俺、また何処かへ行っちゃうよ?」
「や、ぁ、いぬいっ…」
ふるふると首を横に振る手塚の耳元で乾は低く囁く。
「何?ちゃんと言って?」
「ぁっ…いる、から…乾の傍に、ずっと…」
だから、と続ける手塚の唇を己の唇で塞ぎ、続く言葉を飲み込んだ。
「…ねえ、手塚。もう一回、抱いてもいい?」
短い逡巡の後、小さく頷いた手塚の目尻に唇を落とした。

夜明けには、まだ遠い。






(2007/08/13)

戻る