浅瀬を歩む君の滑らかな脚
第四十三話「柳蓮ニ」 その日の放課後、真田と蓮ニは部室に居残り、他の部員たちが帰るのを見計らって蓮ニから切り出してきた。 「それで、何があった」 「うむ…」 腕を組んで黙り込んでしまった真田に、彼の扱い方を心得ている蓮ニは黙って次の言葉を待った。 そうして長い沈黙の後、真田が意を決したように口を開いた。 「…恋仲でもない相手と肉体関係を結んでしまった場合、どうすればいいのだろうか」 「………」 今度は蓮ニの方が黙り込む番だった。 一見しただけではいつもと変わらぬ静かな面持ちだったが、内心ではそこそこに動揺していた。 何しろ、真田弦一郎という男は堅物と書いてイコールで結べるような男なのだ。 今まで女子とキスどころか手を握ったことすら、いや、交際したことすらない男が。 女子であろうと迂闊に近づけば平気で怒鳴りつける男が。 「…データが足りないな。どういう経緯でそうなったのか説明してくれ」 「う、うむ…」 真田は彼にしては珍しく、しどろもどろに説明し始めた。 曰く、相手の落し物を届けたところ、昨日になってその礼をするために相手がやってきたらしい。そして公園で話をしている最中に雨が降ってきたので相手を雨宿りさせるために家に連れ帰ったらしい。で、部屋で話している最中に相手が何かを取ろうと立ち上がろうとし、その際に浴衣の裾を踏んづけて真田諸共倒れこんでしまい、何故かキスされてそのまま以下略、というわけらしい。 「………」 蓮ニは暫く考え込んだ後、弦一郎、と真田を見据えた。 「相手が何を考えていたかはともかく、面識の少ない者を易々と部屋に上げるのはどうかと思うぞ」 「それは分かってはいたのだが…もう暫く、話がしてみたかったのだ。何というか、考えを覚らせないくせに眼を惹きつけて離さない、そんな不可思議なものを纏っている奴なのだ。大人びているかと思えば子供…否、寧ろ小動物のようにちょこまかしたりと見ていて飽きない」 「ふむ。ともあれ、向こうから仕掛けてきたのだろう?その理由を問わなかったのか?」 「それは…」 真田の視線が左右に揺れ、次第に俯いていったかと思えば口元を手で押さえて赤面した。 「照れてないでとっとと言え」 ごすっと真田の座っているパイプ椅子の足を蹴る。 気心知れた仲、と言えば聞こえは良いが、待つ必要の無い沈黙だと判断すれば蓮ニは真田に対して容赦は無い。 「その…………か、可愛かったから、と…」 「………」 蓮ニはついっとホワイトボードの上に掲げられた「確乎不抜」の文字を見上げ、もう一度真田を見た。 「……」 「……」 蓮ニは「可愛い」という言葉の一般的な定義を反芻しながら真田の帽子の先から爪先まで見る。 この男を捕まえてよくもまあ「可愛い」等と言えたものだ。 蓮ニは名も知らぬ相手を違う方向性で褒め称えながら「それで」と先を促す。 「それで、とは?」 「弦一郎としてはどうなのだ」 「どう、というと?」 「本末転倒ではあるが、その人と付き合いたいと思っているのか?」 「付きっ…?!」 「何を驚く。お前はその人の事が好きなのだろう?」 「な、何故そう思う!?」 「お前の性格からして帰ろうとする相手を引き止めた時点でかなりの興味を抱いていると統計は言う。そもそもそうでなければお前ともあろうものが流されるがまま相手を抱いてしまうというのも有り得ない話だ」 淡々と返され、真田はぐっと言葉を詰まらせ、やがて吐き出すように告げた。 「……そう、なのかもしれん」 「それで、相手の連絡先は知っているのか?」 「……」 「……」 「……」 「…知らないんだな」 やれやれ、と溜息を吐くと真田は「幸村なら、知っているかもしれん」と小さく呟いた。 「精市の知り合いなのか?」 「よく幸村の病室を訪れているような事を言っていた」 「ならば精市に聞いてみる事だ。精市も知らないようならば精市に聞いてもらえ」 「うむ…しかし、もう一度会ったとして、何を言って良いのかわからん」 「相手の真意を問うも、お前の思いを告げるも好きにすればいい。どちらにせよ、向こうがお前に好意を持っているのなら自然と話は進む」 「…そういうものなのか?」 「そういうものだ」 そう言って蓮ニは立ち上がるとロッカーに立てかけておいたテニスバッグを担いだ。 「今日はこの辺にしておこう。あと十二分で校門が閉まる」 「あ、ああ…」 真田も同じ様に立ち上がり、パイプ椅子を畳んで部屋の隅に立てかける。 「また何かあれば教えてくれ。俺でよければアドバイスしよう」 「ああ。すまない、蓮ニ」 弦一郎の色恋沙汰ほどレアで愉快なものは無い、と内心では思いつつも「気にするな」と微笑を浮かべた。 蓮ニは後に後悔する事になる。 もしこの時、相手について詳しく聞いていたのなら。 せめて、真田の背を押すような真似をしなければ。 誰も、傷付かずに済んだのかもしれない。 (2007/08/20) |