浅瀬を歩む君の滑らかな脚




第四十五話「乾貞治の戯れ」



ざっと藁の寸断される音が響き、真田はゆっくりと白刃を鞘に納めた。
「手塚…随分と面白いモンを残してくれたじゃないか」
薄らと唇に笑みを浮かべ呟くと、襖の向こうに人の気配がして視線を上げた。
「真田、入るよ」
すらりと襖を引いて現れたのは、白地に水色の映えるジャージに身を包んだ乾だった。
「早かったな」
刀を片付けながら言うと、乾は「真田に早く会いたくて」とへらりと笑った。
「いつもより速いペースで走ってきちゃった」
「そ、そうか」
手伝おうか?との申し出を断り、真田は真っ二つになった藁束を小脇に抱えて部屋を出る。
「始末してくるから先に部屋に行っていろ」
「了解。あ、ついでに風呂も入ってきたら?おばさんが後でスイカ切ってくれるって」
「わかった」
すっかり母と打ち解けたらしい。この部屋に通したのも彼女だろう。
迷う事無く真田の部屋へと向かう乾の背を見送り、真田は縁側から外に出た。



風呂から上がると母がスイカの盛られた皿を押し付けてきた。
それを片手に自室に行くと、既に二組の布団が敷かれており、乾はその片方の上でノートを広げていた。
隙間無く並べられた布団に意味を見出そうとするのは不埒だろうか。
「あ、お帰り」
真田の心中など知る由も無いといった態で、乾はよいしょと身を起こし、広げた数冊のノートを閉じて枕元に固めて置いた。
隅に寄せられている長方形の卓袱台の上にスイカの盛られた皿を置くと、早速乾が嬉々として寄って来た。
「わあ、一口サイズにカットされてる。ウチだと普通に半円のまま出されるからこういうのって新鮮」
「母が先日テレビで見て以来やりだしたのだが、風情が無い」
「でも俺としては食べやすいからこっちの方が好きだな」
フォークで一欠けら刺し、はい、とこちらに差し出してくる。
「ほら、早くしないと汁が垂れちゃうよ」
「む…」
逡巡の後、真田は差し出されたそれを口に含んだ。
しゃり、と噛めば甘さが口内に広がり、気恥ずかしくなって視線を落とした。
しかし当の乾はと言えば、満足したのかさっさと自分も一欠け口に放り込んで「わ、甘くておいしい」とご満悦だ。
「今キスしたらスイカ味だね」
「っ…」
喉が妙な音を立ててスイカを飲み下し、真田は思わず乾を見た。
「…してみる?」
「乾っ」
その声音に笑いが滲んでいる事に気づいた真田が声を荒げると、乾は声を上げて笑い出した。
「わー真田が怒ったー!」
「人をからかうなどけしからん!」
「からかってないよ?」
途端、乾の顔が近づいたかと思えば口付けられて真田は硬直した。
「…うん、やっぱりスイカ味」
二人とも食べてたし当然だよねーと笑いながら身を引く乾に、真田はどうやっても勝てる気がしなかった。
「ああ、そういえば今日、お前の所の一年に会ったぞ」
ごほん、と一つ咳払いをして言うと、彼はきょとんとした後「ああ」と得心がいったように頷いた。
「越前の事だね。ちょっと用があって神奈川まで走らせたから」
「赤也と試合をしたらしいのだが、俺たちが駆けつけたと同時に眠ってしまったのだ。だからジャッカルに送らせようと思ったのだが…」
真田は夕方の出来事を思い出して眉根を寄せる。
「妙な男が現れてな。長髪で全く喋らんラジカセを持った男だ。その男が越前とやらを連れて行ってしまったのだ」
すると乾はスイカを齧りつつ、あっさりと「それ越前の親戚」と言い当てた。
「手塚の従兄弟の店で働いてるらしいよ。後輩の証言によると、越前は下校については大抵その親戚の車で帰っているらしいね」
「車で下校などたるんどる」
「つまり真田は越前を見知らぬ人に任せてしまったことを心配してたわけだ」
「…そんなつもりは無い」
憮然として言う真田に、乾は「優しいね」と微笑んだ。
「真田のそういうところ、好きだよ。はい、もう一つ、あーん」
「む…」
言われるがまま差し出されたスイカを口にすると、乾はご満悦と言わんばかりの笑みで真田を見ていた。
結局、二本用意されたフォークは一本しか使われなかった。








(2007/08/23)

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