浅瀬を歩む君の滑らかな脚




第四十八話「柳蓮ニと跡部景吾」



なあ、跡部。
今まで関係を持ってきたヤツラ全員、俺は信じちゃいなかった。
だから別に離れていっても、別にどうだってよかった。
次を探せばいいだけだったし。幸い、相手に困ったことも無かったし。
でもね。
真田がね、俺にもう一度信じるって事を思い出させてくれるんだって。
馬鹿な事言ってるなあ、って思ってたんだけどね。
真田ってあの通り頑固で真っ直ぐデショ?
だから、少しだけ、信じてもいいかなあ、って思っちゃうんだ。
真田ならきっと、俺から離れるときもちゃんと言ってくれるんじゃないかな、って。
期待しちゃ、ダメだって分かってるんだけどね。
だけど、真田なら、って思ってる自分が居る。
手塚みたいに俺がそうするように仕向けたわけじゃなく、始めからああだから、もしかしたら、なんて思っちゃうんだ。

なあ、跡部。

俺、今からでも間に合うかなあ。







関東大会は青学の優勝で幕を閉じた。
越前を中心に未だ騒いでいるメンバーの話から離れ、乾は一人東屋のベンチで目を閉じていた。
膝の上には古びた分厚いノート。
その表紙を指先でとん、とん、と叩きながら乾はじっと目を閉じている。
「……」
とん、とん、と叩いていた指がふと止まる。
人の気配を感じた乾が視線を上げると、そこには見知った姿が立っていた。
「…やあ」
乾は穏やかな笑みを浮かべ、その顔を見つめた。




蓮ニは乾を探していた。
青学メンバーの輪の中からはいつの間にか消えており、蓮ニは会場内を探した。
そして試合前に真田と話していた東屋が見えてくると、そこに探していた姿が見えて蓮ニは歩みを速めた。

「それ以上乾に近づくんじゃねえ。柳蓮ニ」

しかし背後からかけられた声に蓮ニの足は止まった。
「…跡部か」
そこに立っていたのは樺地を従えた跡部だった。
しかしそこにいつもの人を見下したような笑みは無く、蓮ニを睨みつけていた。
「乾の為を思うなら、二度と乾に関わるな」
「…どういう事だ」
「そんなモン、テメエが一番良くわかってんだろ?」
「……」
「あいつはもうテメエが知ってる乾貞治じゃねえ。張り付いた笑顔浮かべて誰にでも愛想振りまいて身体を開くくせに誰も信じちゃいねえ。あいつの中身は空っぽだ」
テメエがそうしたんだ、と続ければ蓮ニはふっと微かな笑みを浮かべた。
「…それでも構わん、と言ったら?」
「やめておけ。あいつは真田と出会って大分落ち着いてきたんだ。これ以上あいつを壊すんじゃねえよ」
「……」
蓮ニが東屋を振り返ると、丁度乾が立ち上がった所だった。
こちらには気付かず、彼の視線は目の前に立つ後輩に向けられている。
ここからでは聞こえないが、何か言葉を交わしながら二人はこちらに背を向けて歩き出した。
「…俺は」
遠くなっていくその背を見つめながら蓮ニは呟くように告げる。
「貞治が誰を選ぼうと、どれだけ壊れようと、穢されようと、それでも最後には必ず俺を呼ぶと信じている」
そうして跡部を見つめ、言い切った。
「あいつの還るところは、俺だ」
失礼する、と跡部の傍らを通りすぎ、乾の去った方とは正反対の方向へ去っていく蓮ニの姿を見送り、跡部はちっと舌打ちした。
「…バカどもが…!」
チクショウ、と吐き捨てて跡部は傍らに立つ樺地の胸元に額を押し付ける。
「なんであいつらはああいう愛し方しか出来ねえんだよ…!」
跡部さん、と気遣うような樺地の声に、跡部は強く目を閉じた。





探していた人は、東屋のベンチでじっと目を閉じていた。
眠っているのかと思ったが、よく見るとノートの上に置かれた手が規則的に動いている。
声をかけようと近づくと、気配で気付いたようで乾先輩はふっと顔を上げた。
「…やあ」
口元が微かに笑みの形を象っている。
この人の表情の変化は未だに見抜きにくい。こうして笑っていても本当にそうなのか分からない時があるし、それ以外の感情は更に読み取らせてくれない。
「どうしたの、海堂」
けれど声音は穏やかで、その笑みを信じていいようだった。
「センパイの姿が、見えなかったんで…」
「探しに来てくれたんだ。ありがとう、海堂」
そう言って笑う乾先輩は、いつもの薄い張り付いたような笑みじゃなくて、ホントに、何処か穏やかさを感じる笑みだった。

だけど、何故かそれが余計不安に感じる。

「戻ろうか」
そう言って立ち上がり、俺の前を歩き始めるその長身を追いかけて隣に並ぶ。
「ねえ、海堂」
「はい」

「俺とダブルスを組んでくれて、ありがとう」

思わず傍らを歩く乾先輩の顔を見上げると、乾先輩もこちらを見下ろして笑った。
いつもの淡々とした口調からは想像できないくらい、優しい声だった。
「……っす」
何故かその顔を見ていられなくて視線を落とした。
何で、そんな事、言うんすか。
そう問いかけたくて、でも答えを知りたくなくて口にすることは出来なかった。

なんでそんな、まるでこれが最後みたいな言い方、するんすか。










(2007/08/26)

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