浅瀬を歩む君の滑らかな脚




第五十七話「手塚国光が溺れる湖の名は」



乾を抱いた。
それは、乾に抱かれるのとは全く違った快楽を齎した。
乾の白く肌理の細かい肌に手を滑らせるのも、薄い皮膚を吸って朱を残すのも、そのしなやかな脚を割って全てを曝け出させるのも気分が良かった。
いつも全てにおいて手塚の手を引いてくれていた乾を組み伏せるのは、男としての本能的な征服感を擽った。
常に落ち着いていて何事にも動じない乾の体を暴いていくのは楽しかった。
しかしそこにテクニックが付いていくかどうかは別問題で。
乾以外の相手と全く経験が無く、そもそもそういった方面に殆ど興味がなかった手塚にとって、乾が己にしてくれた方法だけが唯一の知識で、乾が自分にどうやってくれていたかを必死で思い出しながら乾の体を開いていった。
受身に回った乾はしなやかで、艶やかだった。
いつからこういうことを覚えたのかは知らないが、少なくとも行為に対しての恐怖や怯えは全く見受けられず、寧ろ手塚を誘ってはリードするだけの余裕はあった。
乾の体は、抱かれる事に慣れていた。
何処をどうすればこちらが悦ぶか、そして自分の肉体に極力負担無く受け入れられるかを知り尽くしていた。
薄いゴム一枚越しに伝わってくる熱さと根元の締め付け、そして全体を飲み込むように包み込み、蠢く肉壁。
そこが本来そういう器官ではないということを忘れそうになるほどの快楽。
挿れただけで達してしまいそうになるのを必死で堪えながら腰を動かせば、そこに全神経が持っていかれたような痺れにも似た快感。
ベッドの軋む音と乾の甘い声、自分の荒い息遣い、そこに混じる卑猥な水音。
柔らかく、それでいてきつく締め付ける熱い肉壁を自身で擦ることに腰が止まらない。快楽に自我を持っていかれる。
イッて、と甘くねだる声に導かれて迎えた絶頂は思考を真っ白にした。
射精の余韻が引いていくと、荒い息の下で乾が未だ達してない事に気づいた。
自分だけが一人突っ走っていた事に気づいて赤面しながら謝罪すると、触って、と甘えた声でねだられた。
繋がったまま勃ちあがった乾自身をそっと握りこむと、その手に乾の手が重なった。
ここをね、こうすると気持ちイイんだよ。
自慰すらろくにした事のない手塚の手を操るように乾の手が動く。
それは間接的に乾の自慰を見せ付けられているのと同じで、手塚は下肢に再び熱が集まっていくのを感じた。
それは繋がっている乾も当然気付き、喉を鳴らして笑いながらもう一度する?と聞いていた。
未だ完全に勃ちあがっていないままゆっくりと腰を動かすと、くぷりとそこが粘着質な音を立てて手塚を煽った。
結局そのままもう一度してしまい、汗と精液で汚れた体をシャワーで洗い流して身なりを整える頃には夜の九時を回っていた。
途中まで送っていこうか、と余裕を見せる乾の申し出を断り、玄関先で乾とは別れた。


だから手塚は知りようもなかった。
手塚が帰ってすぐに乾が携帯電話を手に取ったことに。
「あ、乾だけど。今からそっち行ってもいい?」





乾と出会ったのは、中学一年の春だった。
入部してすぐに乾から声を掛けてきた。確か手塚のデータがどうとか言っていた気がするが、その頃の記憶は余り鮮明ではない。
ただ、元ジュニアテニス全国区の乾か、と思ったのは覚えてる。
それから何となく言葉を交わすようになって、少しずつ親しくなっていった。
一年が過ぎる頃にはもう、部活仲間という枠を超えて付き合うようになっていた。
乾は無表情、鉄面皮と言われる手塚の表情を読むことにも長けていて、確実に手塚の心情を読み取っていた。
感情を露にすることが苦手な手塚にとって、自然と読み取ってくれる乾の存在は有難かった。
乾は何でもない日々の雑談に交えて手塚に好きだと言い続けた。その明け透けな好意に慣れていない手塚はそれが気恥ずかしく、同時に嬉しかった。
だから不意に抱きしめられても、こめかみに唇を寄せられても、たとえ口付けられても不快に思ったことはなかった。人とのスキンシップを余り取った事のない手塚にとって、乾が当たり前に仕掛けてくるそれが不自然だとは思わなかったのだ。
そういうものなのだと思っていた。
二年になると乾は特進クラスに進み、部活以外で気軽に会える事は少なくなったが、それでも手塚と乾の関係が壊れることはなかった。
だから乾に「そういう相手」がいるかもしれないなどと考えたこともなかった。
今まで、乾が誰かと付き合っているという話は聞いたことがなかったし、乾自身もこれと言って特定の女子の話をしてきた事はない。
だが、その代わり二年になると乾は己のシンパサイザーを傍に置くようになった。
特に顕著だったのが不二祐太だった。
彼はすぐに乾に懐いたし、乾も彼を可愛がっていた。
それまで自分のポジションだった乾の隣が、不二祐太にあっさりと取って代わっていた。
乾が離れていく。
初めてそんな事を思ったのはいつだったか。
乾が手塚の傍らに居る時間が少しずつ減っていき、それに比例して乾と不二祐太が一緒に居る時間が増えていった。
手塚と一緒に居るより不二祐太と一緒に居るときの方が生き生きとしている乾の姿を見るのが苦痛だと自覚したのもいつだったか。
そして、自分と乾の関係に名を求めたのは。
不安で仕方なかった自分のそれを晴らしたのは、やはり乾だった。
好きだよと、そのたった一言で満たされるのを感じた。
けれど、同時に新たな不安を呼び起こされた。
乾の愛情は、明け透けでひたすら純粋だ。
好きは好きで、それ以上でもそれ以下でもない。
乾の愛情が歪んだ博愛だと気付くまで、そう時間は掛からなかった。
乾の愛情は、乾に好意を抱いている相手全てに注がれている。
乾を愛せば愛しただけ、求めれば求めるだけ、乾はそれに応えるのだ。
だから幾ら乾自身が手塚を「特別」だと囁いていても、それは簡単に揺らぐものなのだ。
特別だと囁きながらも乾は求められる方へと行ってしまう。
だから彼の言う「特別」にいつまでも胡坐をかいているわけには行かない。
このままでは乾は完全に他の相手の元へと行ってしまうだろう。
引き戻さなければ。
引き戻して、この手の中に閉じ込めておかなければならない。
そうすればきっと、乾はずっと自分の傍らに居てくれる。




「で?」
跡部は己の股間に顔を埋めている乾を見下ろしながら問いかけた。
「妙にサービスしてくれんのはこんな時間に突然押しかけてきたことに少しでも悪いと思っての事か?」
「んーてひゅうはへー」
「咥えたまま喋んなバカ」
指先で相手の眼鏡のフレームを弾くと、乾は屹立したそれから唇を離して中指でついっと眼鏡の位置を直して跡部を見上げた。
「ていうかね、俺が不完全燃焼なの」
「手塚か」
「当たり。やっと手塚が自分から動く気になってくれたのは良いんだけどね、手塚ってホラ、俺としか経験がないじゃない」
「下手だったのか」
傑作だ、と笑うと乾も「手塚の名誉のためにこれ以上は言わないでおく」と笑った。
「で、中途半端に燻ってて発散しに来たってとこか」
「ん。さすがにこの体提げて真田のところ行くわけにも行かないしねー。時間的にも失礼だし」
そう言う乾の裸体は明らかに鬱血痕が増えており、確かにコレでは「さっきまで他の男とヤッてましたー」と言わんばかりだ。
「俺はいいのかよ」
「跡部はいいの。それより、そろそろいい?」
ちろりと鈴口を舌先で突く仕草に、跡部は唇の端を歪めて笑った。
「いいぜ、来いよ。完全燃焼どころか、灰すら残らねえくらいイかせてやる」
「期待してるよ」
乾の白い歯がピッとコンドームの封を切る。
その仕草が妙に艶めかしくて、跡部は小さく己の唇を舐めた。





戻る