月如凛光



景虎が謙信に呼ばれた翌朝、景虎は景勝の目の前で昏倒した。
朝の軍義で顔を合わせた景虎のその顔色は真っ青で、景勝らの視線にも全く気付いていない様子だった。
そして軍議が終わり、早々に場を辞した景虎を追いかけたのは何か予感があったのだろう。
二人だけの廊下。
景虎、と呼びかけると焦点の合っていない目が振り返る。
まずい、と思った瞬間には手を差し伸べていた。
腕に圧し掛かる人の重み。
かくりと反らされた真っ白な喉元。
景勝は慌てて空いた方の手で頭を支えると声を上げた。
「誰かおらぬか!!」


義息子が倒れたと聞いた謙信の反応は、奇妙な事に何処か嬉しそうでもあった。
「そうですか。ほうじゅが」
「…父上、某には父上が何故嬉しそうな顔をするのかが分かりませぬ」
遠慮の無い景勝の指摘に、謙信は一層嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ほうじゅがぶじ、びしゃもんてんのこをはらんだからです」
穏やかな笑みを浮かべた口から紡がれた言葉に景勝は一瞬、何を言われたのか分からなかった。
景虎は、そう、今まで男だと思ってきた「兄」は女だった。
倒れた景虎を抱き上げた時から違和感を感じていた景勝は、布団に寝かせた景虎の直垂を脱がせたときに気付いた。
小袖の合わせをずらせばそこから覗く胸元を締め付けるさらしと、その下に息づく膨らみ。
何故。父上はこの事実を知っているのか。知っているはずだ。あの方は景虎をこれ以上に無いくらい寵愛している。その父上が知らぬはずもない。
恐らくは景勝が姉、華との婚儀が流れたあの時に。否、それがお互いの間で公になったのが婚儀の件であっただけであり、謙信自身は景虎が越後にやってきた時から知っていたのだろう。
謙信を問い詰めたいことは沢山あった。
しかし今は彼が告げた言葉の方が重大だった。
「どういう、事ですか」
「こどばどおりのいみです、わたくしのたてよ。ほうじゅにはさくやびしゃもんてんとちぎりをむすんでもらいました。そのふたんゆえのこんとうでしょう」
だから心配することではないと言わんばかりの謙信に、景勝は言葉を失った。
景勝は毘沙門天を信じていないわけではない。
しかし、神が人の子を孕ませる事が出来るとは思っていない。
そんな景勝が謙信からの少ない情報から導き出せる答えは一つしかなかった。
「…父上、」
「かげかつ」
しかし謙信は景勝の言葉を遮り、緩く首を振った。
「なにもしんぱいすることはありません。すべてはびしゃもんてんのみちびきなればこそ」
「……はっ」
さががりなさい。その言葉に景勝は無言で部屋を後にする。
その足で景虎の部屋へと向かいながら景勝は苦虫を噛み潰したような表情で先ほどのやり取りを思い出していた。
最後、明らかに父は景勝の言葉を制していた。
景勝が何を言おうとしていたのか気付いた上で。
(……三郎…)
父は景虎が毘沙門天の子を孕んだと言った。
そして毘沙門天の化身である謙信。
ならば。
ならば、景虎が孕んだという子は、謙信の子ではないのか?




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