花咲く丘に涙して〜IF〜
―又、嬉々として―
私が花咲く丘を知るならば
「ったく、何やってんだ……!」
彼と自分自身にそう吐き捨て、以前は職員達が使っていたのだろう大型洗濯機のドラム内へ濡れた服を放り込む。
「………ちっ」
何度目かの舌打ちをし、放り出されたままぴくりとも動かない少年へ近寄る。
相当な時間ああして漂っていたのだろう。あの後、再び意識を閉ざした彼は僅かに呼吸はしているものの、殆ど仮死状態に近い。
カーシュは水を吸って重くなった黒衣を脱がせ、軽く絞るとそれもドラムの仲へ放り込む。適当な目星を付け、ボタンを押してみると運良く電源を押したらしくそれは静かに動き出した。
「……俺、今すっげーマヌケ」
自分と同じく全裸の少年を抱き上げると隣接しているシャワールームへ向かう。
長い間使われていなかったシャワーは最初こそ鉄錆混じりの茶色い水が出ていたが、暫くすると透明な湯が出て来た。カーシュは頭から浴びると、全身の海水を流していく。片腕で抱えられた少年の瞳は未だ閉じられ、その青白い顔や冷え切った体はまるで死体を抱いているようだった。
「………」
カーシュは溜息を吐くと、狭いシャワールームの床に座り込んだ。程好い熱さの露が体を打ち付ける。それが少年の顔に掛からない様にし、彼の髪に纏わりつく海水を洗い流していく。
ふと、昔を思い出した。マルチェラをまだ自分達が風呂に入れてやっていた頃。
この少年の姿形の所為か、あの時の、まだ言葉も碌に分かっていないマルチェラと腕の中の存在が重なった。
海を漂う彼を見付けた時、一度は見捨てようとしたのだ。
けれど、どうしても見捨てる事はできなかった。
何か、とても弱い存在の様な気がして。
そしてふと思う。
何故、彼は未だかつて一度として自分たちに敵意を向けて来た事が無いのだろう。
いつも、まるでゲームを楽しむような雰囲気を纏っている。
「……調子狂うぜ」
昔から、敵意の無い相手を攻撃するのには抵抗があった。そのせいかカーシュはかなり流され易い。幼い頃から両親だけではなく、ダリオやリデルたちにもそう言われていた。
自分たちにとって、彼は敵だ。
だが、彼にとってはどうだろう。
自分たちは彼らの敵なのだろうか。
相手にするまでもないと思っているのか。
余興に過ぎないのか。
「わっけわかんねー…」
「カーシュ………」
小さな呟きにはっとする。先程まで閉ざされていたその赫い瞳が自分を見上げていた。
彼はのろのろと片腕を上げ、ぺたりとカーシュの頬に手を当てる。
「何故………」
「知るかボケ」
決まり悪げに言い放つカーシュに彼は血の気の戻って来た唇をくっと歪め、あどけなさより邪悪さを纏った笑みを浮かべる。
「そうか。なら礼をせねばならんな」
「要らん」
嫌そうに即否定したカーシュに彼はくつくつと笑い、体をずらして横抱きの状態から彼の腹に跨る形へ変える。
「そう遠慮するな」
さも可笑しそうに低く笑い、ちらりと視線をシャワーノブへ向ける。すると二人を打ち付けていた湯は止まり、ぽたぽたと雫を垂らし始めた。
「ふ…生身の人間がいなくなって久しいと言うのに、まだ使えたのだな、ここも…」
彼は何処か感慨深そうに呟くと、ぼそりと何かを呟いた。
「何だ?」
カーシュが驚きの声を上げる。
彼が何か呟いた途端、二人の周りの水滴は消えてシャワールームは数分前までの使用前の乾いた状態に戻り、二人はドラムに放り込まれたはずの服を纏っていた。
「っ…」
「おい?」
顔を顰め、頭を抱えてしまった少年にカーシュは微かに慌てた声を上げる。
「……やはり、人間の肉体では脳への負担が強すぎるか…」
僅かに脂汗を滲ませ、よろめきながらも彼はカーシュの上から退いて立ち上る。
「……まあ良い。どうせあと暫くの器だ」
そして彼は先程までの苦痛など無かったかの様な面持ちで、座り込んだままのカーシュを見下ろした。
「カーシュ」
「!」
カーシュの肩が僅かに揺れた。
声も姿も違えど、やはり、彼は彼だった。
違うのだ、彼は。他の誰とも違った雰囲気で彼はその名を呼ぶ。
イントネーションが違うわけでもない、特に違いなど無いはずなのに。
それでも、彼の自分を呼ぶ声は、それだけで彼であると分かる。
「来い」
少年がすっと手を差し伸べてくる。
その命令しなれた口調に、重ねてこの少年はやはり彼なのだと思う。
「カーシュ」
己の名が、まるで繰り糸のようにカーシュの右腕を吊り上げていく。
その手を取ってはいけないと、分かっている。
この手を取った先にあるものが何なのか、漠然と感じられる。
けれど、腕は導かれるまま彼の手に重ねられようとしている。
――ならば何故殺さぬ…
不意にマブーレでの事を思い出した。
何故、何故……否、知っているのではないのか。
答えは、当の昔に出ていたのではないのか。
本当は自分がどうしたかったかなど、知っていたのではなかったか。
けれど、その想いはあってはならぬと仕舞い込んだのではなかったのか。
しかしここまで来て、今更。
今更、心底の蓋を開けるなど。
手が、重なった。
「……」
彼は微かに口角を持ち上げると、何処か呆然とした面持ちのカーシュと共に最下層へと消えた。
やがて凍てついた炎の間に、どこからとも無く少年とカーシュの姿がふわりと舞い下りる。
「…ぅ…」
初めての空間転移が堪えたのだろう、カーシュは気を失ってその場に崩れ落ちてしまった。
「ぐっ……」
同時に少年の脳を激しい痛みが襲う。
けれど悲鳴を上げる頭を半ば無視してカーシュの枕元に腰を下ろし、その頬をそっと撫でた。
頬から額へと手を滑らして前髪を掻き上げてみると、思った以上に幼い表情になり、彼は苦痛の中で微かに微笑んだ。
「……ふっ……」
やがて込み上げて来た笑いを抑えようとせず、彼はくつくつと笑い出す。
夜の海に自分を見つけた時、あの男はどんな顔をしていたのだろう。
呆れていただろうか。
それとも節介な性分に屈し、助けてしまった自らを嗤いながらだろうか。
「……カーシュ……」
何よりも強く、脆く、誰よりも豪胆で甘い。
幼年期を心の内に抱えたままの青年。
「……」
彼はその視線をカーシュから巨大な球体、その中心に沈黙する凍てついた炎に移した。
「……漸く、全てが元通りになる……」
クロノポリス最下層にある、「フェイト」。そして、長い間リンクを拒んできた凍てついた炎。
「たったの十数年……存在し続けた時間に比べたら、ほんの僅かな、一瞬の様な時間……」
だが。
ふ、とカーシュを見下ろす。
「その一瞬が……続けば良いと思った時もあった」
自嘲とも何とも言えぬ表情で彼は青年を見下ろす。
「変わったな、お前」
直ぐ近くからかかった声に彼は視線を転じた。
ここから数歩離れた所に、眠らせておいた筈のキッドがじっとこちらを見ていた。だが、そこに居るのは普段の彼女ではなく、違う「キッド」だと彼は知っていた。
「まだ生きていたのか。とうに消え去ったものだと思っていたぞ」
髪を弄る手を下ろし、彼はキッドを嘲りの色で見下ろした。だが、キッドはただ無表情に彼を見上げている。
「………囚われたままだけど、それでも、変わった」
「……」
「お前も、変われるんだな…」
そう言うと、キッドは糸が切れた操り人形の様にその場に崩れ落ちてしまった。
「……変わった、か…」
崩れ落ちたキッドから視線を逸らし、彼は傍らの青年に声を掛ける。
「お前はどう思う」
未だ目覚める気配の無い男が答えるわけがない。
そんなこと、わかっているのだけれど。
「……お前だったら、何と……」
背後で、凍てついた炎が鳴いたような気配がした。
炎よ、私はなんと愚かなのだろう。
「運命」という役割に、そして、更なる進化への妄執に囚われ、それでもこの男に固執してしまう私を。
「……カーシュ……」
それでも、私は………
セルジュは目覚めると共にあれ?と思った。
ぼんやりとした思考のまま、固い床で仮眠を摂った所為で軋む体を起こしながら辺りを見回す。
「……カーシュ?」
「…ん…」
その声に反応してとなりで眠っていたマルチェラが目を醒ました。
「どうしたの、セル兄ちゃん」
「カーシュが居ないんだ」
「その辺うろついてるんじゃない?」
マルチェラの多少呆れたような物言いに、セルジュはそれならいいんだけど、とバンダナを巻き直す。
「グレン達の所に居るかもね」
そんな事を話しながら部屋を出ると、すぐそこに立ったカーシュがじっとこちらを見ていた。
「カーシュ、どうしたの?」
二人が近寄ると、「カードキーを」とカーシュがポツリと洩らした。
「え?」
「カードキーを捜せ。最下層、炎の間で待っている」
それだけを言うと「カーシュ」はふっと消えてしまった。
「え…今のって…」
「まさかあのバカ、捕まったとか言わないでよ?!」
マルチェラが焦りの混じった声を上げる。
「とにかく、イシトさんとグレンに知らせよう。もしかしたら二人の所に居るかもしれないし…」
そう頷きあって二人は駆け出した。
けれど、四人が集まった中にカーシュの姿を見つける事は出来なかった。
(続く)
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書くだけ書いてUPし忘れてたIF編。花咲く〜2の最後の方でカーシュとDセルが出会った場面からのスタートです。もしそこでお互いがもう少し素直になっていたら、の話です。
が、あの二人をラブラブ(…)へ持っていくには至難の技でして。ええ、私的に。なので強引に事を進めるので思い切りオリジナル要素満載になってくると思います。
それでも宜しければ読んでやって下さいませ。(爆)
(2003/02/04/高槻桂)