花咲く丘に涙して〜IF〜
     ―又、嬉々として―





私の姿は貴方の傍に在るのです



「バカ!やめるんだカーシュ!!」
 その声にセルジュ達は一斉に球体の底へと視線を向けた。
 ガラスの前にはツクヨミが声を荒げて立っている。
「ツクヨミ…?」
 久し振りに姿を見せた彼女は彼女らしくない焦った声をしていた。
 カーシュは球体の底で頭を抱えて蹲っている。
 キィィィン…と何処からか音が聞えてくる。
「カー…」
 駆け寄ろうとした瞬間、眩い輝きが辺りを包み込み、セルジュ達は咄嗟に眼を閉じた。
 キシ、と何かが軋む音が聞えた。
 輝きが去り、そっと目を開けたそこには、カーシュがぼんやりとして立ち竦んでいる。
 彼とこちらを阻んで居た筈のガラスが大きく切り取られたように消失していた。
「カーシュ…?」
 マルチェラが息を飲む気配が伝わってくる。
 ぼんやりとしたカーシュの、その赤い瞳だけがぎらぎらとした輝きを宿している。
「ちぃッ!カーシュと凍てついた炎が融合しちまった!」
「「ええ?!」」
 セルジュたちの叫びが響き渡ると同時にカーシュががくりと膝を付いた。
「カーシュ!」
 慌ててセルジュたちが駆け寄ると、まるで高熱に浮かされたようにカーシュの呼吸は早かった。
「あ、ぅああっ…!」
「カーシュ!!」
 崩れ落ちるカーシュを抱き留めたセルジュは、そして仲間たちは彼の背に異様なものを見た。
 カーシュの背、その服の下で何かが突出しつつあるのだ。
「これは…!?」
 グレンの驚愕の声と同時に、びつっと布地の避ける音がしてそれが姿を現わした。
 それは何本もに枝別れをした赫い枝の様だった。
 または、一対の赫い鹿の角が、左右に生えた様と言うべきだろうか。
「まさか…凍てついた炎に乗っ取られてるとか言うんじゃないだろうな」
 呆然としたグレンの呟きに、そんな、とマルチェラが悲鳴のような声を上げる。
「……コ…」
 ふいにカーシュの声が響き、一同の声が止んだ。
 少しずつカーシュの呼吸が安定していき、それに伴うように赫枝の羽も成長を止める。
「カーシュ?」
 セルジュの支えの手は緩やかに押し退けられ、彼はふらりと立ち上った。
「……」
 彼はほんの微かに唇を動かして何かを囁いたが、それを聴き取れる者は居なかった。
 彼の視線は仲間の誰をも映してはおらず、ただ一点を見詰めている。
 かつん、と一歩。かつん、とまた一歩。ゆっくりと、ふらつきながらも彼は歩みを進める。
 その背負う赤い輝きに呑まれてか、皆は自然と道を開け、彼はその視線の先へと向かって行く。
「待て」
 だが、ただ一人、遮る者があった。
「ツクヨミ…」
 カーシュがゆるりと視線を移した。己の進行を妨げる存在へ。
「カーシュ、あんたがしようとしている事はしてはいけない事だ」
「退いてくれ」
「退かないね。凍てついた炎を…」
「ツクヨミ」
「!」
 名を呼ばれた途端、ツクヨミは言い表し様の無い思いに囚われ、先の言葉を継げなくなった。


――わかんなくて良いんだ。その時、思い出してくれれば…


 五年前、彼は燃え盛る炎の中でそう微笑んでいた。
 あの時は彼が誰なのかも、その言葉の意味も分からなかった。

――ツクヨミ、俺たちはお前を…

 けれど、ゼナン大陸からあのエルニド諸島へ渡り、あの館を訪れて驚いた。
 記憶そのまま、とは言えなかったけれど、彼はそこに居た。

――だから、ありがとうな…

 嬉しかったのだ。
 そして何より、救われた。
 セルジュと出会って、彼に惹かれる事で芽生えた罪悪感。
 彼らを利用している事に大きな罪悪感を覚えて。
 けれど、己の使命には背けない。
 だから、その言葉を免罪符に裏切り続けて来た。
「……」
 止めなくてはならない。そしてすぐに凍てついた炎を取り戻さなくては。
 けれどもう凍てついた炎はカーシュとの細胞融合を始めている。取り戻すには、カーシュを殺さなくてはならない。
 これは、感情で行動すべき事ではない。
 けれど。
 ツクヨミはきゅっと唇を噛むと、軽く跳躍して消えてしまった。
「……」
 カーシュは何事も無かったように視線を戻し、それの前に辿り着いた。
 異形の巨人の残骸の前に。
 彼はじっとそれを見詰めていたかと思うと、最早鉄屑と化してしまっているそれに手を掛けた。
 金属の割れ引き千切られる音が響いた。
 彼は人間に有るまじき力で次々とそれを剥ぎ、中のコードを引き千切っていく。
 やがて彼の手がぴたりと止まり、何かを引きずり出した。
「カーシュ、何を…あっ」
 息を詰めたセルジュだけでなく、その場に居る誰もが目を大きく見開いた。
 左の手首を掴まれ、軽々と持ち上げられた少年の体。
 それは、鼓動を失った「セルジュ」の体だった。
 彼がだらりと力の抜けた少年の体を天に捧げるように持ち上げると、彼の背中、その赫枝の羽根が淡く輝き始める。
「カーシュ!まさか!!」
 ふわりと少年の体が浮き上がり、何処からとも無くぽこぽこと水球がその体の周りに集まると、それは見る間に増殖していった。
「返してくれ…あいつを……」
 少年はその体を包む水球の中でゆらりと揺れ、その輪郭を崩していく。
 やがて完全に取り巻く水と一体化してしまい、今度は水球自体が人の形を象っていった。それはその光景をこの場で只一人微笑んで見詰める彼より大きく、少しずつその形がはっきりとしてくる。
「え…」
 その浮き上がってくる姿に何より驚きを見せたのはセルジュだった。
「まさか…」
 彼は目を大きく見開いて出来上っていく「人」を見詰めた。
 他の仲間たちも、予想した人物でない姿が浮き上がって来た事に微かな動揺が走る。
 水はやがて血となり肉となり、彼を包む衣服へと変わった。
 かつ、と爪先が床に振れる音が微かに響く。
「そんな…」
 信じられない、といった表情でセルジュは水球から「生まれた」男を凝視する。
 男の纏う衣服は、確かにヤマネコの物だ。
 けれど。
「と…父さん…?!」
 ふらり、と無意識に二人に近付いていく。
 ふ、とゆっくり開かれていく瞳。
 自分と同じ深い青の髪と瞳。幼い自分をいつも嬉しそうに連れ歩いていた顔を今でも覚えている。
「……?」
 男はぼんやりとした視線できょろりと辺りを見回し、徐々にその表情は驚きの色に染まっていく。
「こ…ここは……あの時の……何故私は…!」
 男ははっとして一点を凝視する。彼の視線の先には呆然と立ち竦むセルジュの姿がある。
「まさか…セルジュ、なのか…?どういうことだ…あれから何年経ったんだ…」
 掛けるべき言葉が見つからず、カーシュに縋るような視線を向けるが、彼は満足げな微笑みを男の背に向けるだけでセルジュの視線に気付く様子はない。
「……そうだ…私、は、あの、と…ぐ、ぁ、あああっ!!」
「父さん!」
 頭を抱え、悶え苦しみ始めた男に駆け寄ろうと踏み出した瞬間、セルジュの身体は凍り付いたように動かなくなった。
「近寄るな」
 それまで男をただ見守っていたカーシュの緋の眼がセルジュを睨み付けていた。
 敵対していた頃ですら見た事の無いくらいの敵意の眼差しにセルジュは本能的な恐怖を感じる。
「ぅ、ううっ、」
 頭を抱えて蹲っていた男に変化が現れた。
 顔を覆っている両の手が形を変え、見る間に体毛で覆われていく。その両の手から覗く耳も、明らかに形を変えていく。
 そして苦しみの声も、人のそれでなく、獰猛な唸り声に変わっている。
「……愚か者が…」
 男から漏れた声に、カーシュを除く他の者たちはぎくりとした。
 男がゆらりと立ち上がる。
 その姿は、正しく。
「ヤ、ヤマネコ…」
 グレンとマルチェラ、イシトが咄嗟に身構える中、セルジュは呆然とヤマネコを見詰めていた。
「どういう、事なの…?父さんが、ヤマネコなの…?」
「…十四年前、炎へのリンクがロックされたと気付いたフェイトはそのロックを解除する為の手足が必要になった。だから干渉できなくなったもう一つの世界を管理する為にミゲルを死海に据え、ワヅキには自分をダウンロードした」
「フェイトを、父さんに…?」
 信じられないといった表情のセルジュにヤマネコはそうだ、と告げる。
 ワヅキの脳にダウンロードされた「もう一つのフェイト」は徐々にワヅキの精神を蝕んでいき、その四年後、完全にその肉体を乗っ取り、「ヤマネコ」が生まれた。
「でも、どうして肉体まで…」
「恐怖の観念だ」
「恐怖?」
「十四年前の事件でワヅキにとってヒョウ鬼は息子の命を奪うもの…恐怖の象徴となった。ワヅキはお前を失う事を何より恐れていたが、フェイトはいずれお前を消すつもりだった。その精神の歪みが肉体に現れたのだ。…だが」
 男は一旦言葉を止め、自嘲するように続けた。
 肉体を得て、その宿主の意識を乗っ取ったが為に「フェイト」が「人の感情」を得てしまった。
「フェイトの中で人間は「管理すべきモノ」から「我が子」に変わっていった。だが、それと同時に憎悪が生まれた」
 私はこんなにお前たちを愛しているのに、お前たちは私を知らない。
 私は独り、この地下深くでお前たちを守っていかなければならない。
 ああ羨ましい、その笑顔が、涙が、怒りが。
 笑うとは、泣くとは、怒るとは、苦しむとはどんな気持ちだろう、どんな動きなのだろう。
「その想いに囚われたフェイトは新たな種族を作り上げる事を考え始めた」
 人と機械の同化した新たなる種を作り上げ、自分はその最たるものへと変わろうと思うようになった。
「その想いが、フェイトを狂わせていった」
 やがて凍てついた炎のロック解除の目的は、人類を守る為から自分の望みを叶える為へと変わっていった。
「だが、四年前、フェイトと私の間で齟齬が起きた」
 そこで漸く彼は傍らに立つカーシュへ視線を向けた。
「カーシュはどうした」
 ヤマネコの問いに、彼は緩やかに首を左右に振った。
「『カーシュ、お前、が、蘇った、同じ、眠ってしまった。それ、意識を保つ、凄まじい精神力』」
 彼は所々言葉を躓くような話し方をした。
 「彼」にしてみれば言葉を話す事など無かったから、発声という行為の加減が良く分からないのだ。
「さっさとその身体から出ていって貰おう」
「『拒否する。私、は、この者と生き、死ぬ、決めた。融合、始まっている。もう遅い』」
「何を考えている」
 彼は視線を斜めに伏せ、呟くように何も、と告げる。
「『ただ、人の言葉、言うのなら…そう、『疲れた』のだろう』」
「だがお前の力は大きすぎる。カーシュが世界の破滅を望めば容易く滅ぶ。覇権を望めば一瞬後にはカーシュは独裁者になれる。お前にはそれだけの力がある。だから隔離しなければならない」
 それでも彼は否、と続ける。
「『私はこの者、気に入った。この者、面白い』」
 私を受け入れて生きていられるのは余程の事だ、と彼は言う。
 大抵は力に耐え切れず肉体が滅びる筈が、幾ばか力が突出したのみで留まっている。これならば完全に融合が済んだ折には精神や肉体に異状を来す事も無く済むだろう。
「『この度量、余程の無欲か…それとも何も考える、しない』」
 救い様の無いバカだ、と間を置かずヤマネコが答える。
「私を蘇らせるくらいだからな」
「『納得』」
 それより、と彼はセルジュに向き直る。
「『セルジュ、もうここ、用は無い。船に戻る。そこの女、連れてくる、忘れるな。その女お前の「鍵」。ヤマネコ、お前はその姿、どうにかする。そのままでは反感を食らうだけ』」
 一方的に指示を与えて彼は炎の間から出ていってしまった。ぽかんとしているセルジュたちを尻目に、ヤマネコは溜息を吐くとその姿を大きなヒョウ鬼に変えて同じように出ていく。
 はっとしたセルジュたちは混乱しながらも彼らの後を追った。



「『お前たちは龍たちに躍らされていたのだよ』」
 天下無敵号の一室にて、ヒョウ鬼を従えた「カーシュ」はさも当たり前のように告げた。
 時間が経ち、背中の赤い枝が小さくなっていくに連れて彼の口調は滑らかになっていく。
「『フェイトは人類に讐なそうとする龍神を私を使って抑え込み、お前たちを守っていたのだ。だがそのフェイト本体が完全停止し、その支配から解放された龍神どもが星の塔を復活させた。龍神どもを止めねばならない』」
 それがフェイトを、世界の守人を倒してしまったお前達の役目だ。
 責めるでもなく、嘲るでもなく彼はそう告げる。
「『幸い、私が居ない事で彼らの形態は不完全だ。取り敢えずは、星の塔へ行く方法を見つける事だな』」
「お前の力でこの船飛ばすとかできねえのか?」
 ファルガの問いに、彼は否、と首を振る。
「『私は「叶える者」であり、宿主はカーシュである。自発的に何かをする事は無い』」
「じゃあ、カーシュが目を覚ませばどうにかなるのか?」
 その問いにも彼は否、と答えた。
「『星の塔へ行くという願いはカーシュの直接的な願いではない。星の塔へ向かう為の方法を見つけなくてはならない、お前たちが困る、それを見たカーシュが私の力を使って何とかしようとする。だが私は力を貸さない。その願いは間接的な願いだからだ』」
「結局は自分達で何とかしろってことか」
「『そういう事だ、人間』」
「それで…ソイツは本当にヤマネコなのか?」
 ファルガが未だ信じられないといった表情でヒョウ鬼へと視線を落す。
「『勿論。カーシュの望み通り寸分の互いも無く蘇らせたからな。セルジュたちは見ていただろう?』」
「ですが、カーシュは何故ヤマネコを蘇らせたのです?」
 リデルの問いに彼は「何を言っているのだコイツは」と言わんばかりの怪訝そうな表情を見せた。これが、彼が初めて見せた表情らしい表情だった。
「『お前たちを裏切ると分かっていてカーシュは私を求めた。お前たちが何故ヤマネコを倒そうとしていたか、それも分かった上でヤマネコを蘇らせた。それは何故か?私はその答えを知っている。だがそれは「私」に聞く事ではないだろう?お嬢様?』」
「そうですわね…」
「『人の心ほど複雑なものは無いのだよ、人間たちよ』」
 そう言って彼は足元で寝そべるヒョウ鬼へと視線を落とした。
「『人の感情を得てしまったが為に道を踏み外した「運命」が良い例だ』」
 当の本人は知らん振りをして寝そべっている。
「『それより、私からも聞いて良いか?お前たちから見て、カーシュとはどんな人間だ?』」
 突然の問いに一同はお互い顔を見合わせる。
「えっと…明るくって、強くて、豪快で、無鉄砲な所もあるけど頼りになる人、かな?」
「お気楽猪突猛進バカ」
「…餓鬼大将」
 どれが誰の意見かは敢えて伏せて置こう。
「『やはり中身と見た目が食い違っている』」
 どういう事だ?と集まる視線を特に気にしたようでもなく彼は続けた。
「『カーシュの心は罪悪感で充たされている』」
「罪悪感?」
「『人が多大な罪の意識を抱えたまま生きていくのは難しい。だが、こんな心で生き続け、それでもお前たちにプラスの印象を植え付けられるカーシュが気に入った。
 カーシュの心は表面は真っ白だが中は真っ暗だ。黒とは違う。暗いのだ。それが真っ二つに別れている。それも気に入った。だから私はカーシュに力を貸した』」
 彼は微かに小首を傾げてグレンを見る。
「『お前だけはカーシュのそれに微かに気付いていた。そしてそれに原因が有れば理由もあるという事も』」
 明らかに表情の変わったグレンに気付かぬかのような、相変わらずの無表情で、最も、と彼は続けた。
「『その原因は死んでしまったがね』」
「その辺にしておけ」
 聞き覚えのある低い声が彼の足元から響いた。
 今まで寝そべっていたヒョウ鬼がむくりと首を擡げ、彼を見上げていた。
「それはカーシュが私に従ってまで守り抜きたがっていた真実。お前の口から語るべき事ではないよ」
 すると彼は素直に謝った。
「『すまない。カーシュと私の記憶がまだ混乱していてね。何処まで話して良くて駄目なのかの境界線が上手く見えない』」
「あの、それでカーシュは大丈夫なのですか?」
 リデルの控え目な問いに、彼は小さく頷いた。
「『これが消えれば私はカーシュとなる。明日には眼が覚めよう』」
 これ、と彼は己の背に生えている「彼」の一部を指差した。
 始めは大きな翼のようであったそれも、今は両の手を広げた程度の大きさにまで小さくなっている。
「『では私は休ませてもらうよ。ああ人の体とは不便だな。力を使うだけで疲れる』」
 そう言って彼はヒョウ鬼を伴い、部屋を出ていった。






(続く)
+-+◇+-+
今回は長めでした。はい、オリジナル設定驀進中です。
いや〜、やっぱヤマネコ様には一度死んで頂かないと。(どんな理屈だ)
本当はもう少しワヅキを出したかったんですが、カーシュがそれを許さなかったので(笑)すぐにヤマネコ様へと変化させてしまいました。
ツクヨミはカーシュの事をセルジュに対しての好意とはまた微妙に違った意味で気に入ってます。蛇骨館に居候時代はよくカーシュをからかって遊んでました。(爆)
(2003/02/04/高槻桂)

 

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