花咲く丘に涙して〜IF〜
―又、嬉々として―
密やかに、また、嬉々として
時喰いの眠る場所へ行けるのは、三人が限度だと精霊たちが教えてくれた。
そしてそこへ行くのは調停者であるセルジュ、そしてキッド、カーシュに決まった。
「ちょっと、良いか?」
準備が整い次第、オパーサの浜へと向かおうとセルジュが告げた頃、カーシュが口を挟んだ。
「一個所、行きたい所が在るんだけどよ」
「何処?」
カーシュは僅かに視線をさ迷わせ、ぽつりと告げた。
「亡者の島へ」
亡者の島、その最奥にカーシュは一人で立っていた。
「………」
石碑の前で片膝をつくと、そっと手を滑らす。
「……ガライ様」
辺りの空気が見る間に重苦しくなっていく。
視線を上げると、切り立った崖の向こうにガライが立っていた。
その視線は冷たく、じっとカーシュを見下ろしている。
「……お久し振りです」
カーシュは立ち上がると最敬礼の形を取る。
「あなたを、解放するために参りました」
ガライは何も応えない。
まるで、ただそこに映し出されている虚像の様に。
「ダリオはグランドリオンから解放されました。グランドリオン自体も浄化され、今は形を変えて我々の元に有ります」
けれど、カーシュは構う事無く語り掛ける。
「私の全ては、貴方から始まりました。だから、こんな事になってしまった貴方を私は解放したい…ダリオを斬った私がこんな事を言うのは傲慢だと分かって居ます。けれど、それでも私は…」
――カーシュ……
「!」
初めてガライが言葉を発した。
≪お前がダリオを斬らねばならぬよう仕向けたのはこの私だ。それでもお前は私を敬うと申すか≫
ガライの問いに、カーシュは視線を合わせたまま「はい」と頷いた。
「あの時、他の手立てを思い付かずダリオを斬ってしまったのは、他でもない私自身の未熟です」
≪……≫
ガライはカーシュから視線を外して伏せる。
強くなった、と思う。
心許した者にしか自然な笑みをかける事すら侭ならなかったあの少年が。
≪…浄化の必要は無い≫
ガライ様、とカーシュの唇から己の名が漏れる。
ああ、私は……
自身を取り巻いていた重苦しい空気が消えていく。
≪浄化されるには、既に遅すぎるのだ……≫
ガライの足が、まるで砂が零れるように崩れていく。
それは天へ逝くことなく、花の咲き乱れる遥か下方の大地へと降り注がれる。
≪私に残るは浄化ではなく、消滅のみ……≫
魂として在るには、この十三年は長すぎたのだ。
本当ならグランドリオンに解放されたその瞬間、消滅している筈だった。
けれど、今この瞬間まで留まり続けたのは…。
「ガライ様!!」
緋の眼に涙を滲ませ、それでも懸命に自分を見上げてくるカーシュに昔の姿が重なる。
――ガライ様に、海と大地の御加護を…!
幼年期の終わりを知らぬまま大人になってしまった幼子。
お前を傍に置いたのは、友の息子だからではない。
何にも囚われない、自由で奔放なその魂に惹かれたのだ。
だから囚えたかった。疾うに捨てた筈の征服欲は憎しみと共に目覚め、息子の体を奪った。
≪カーシュ……お前に咎は無い……≫
真に咎があるのは、私だ…。
もう、お前が苦しむ事はない。
己を、責めるな。
「誰より…誰より敬愛しておりました…!!」
この幼子の苦しみが、私と共に消えてくれる事を……
ガライは祈るように天を仰ぎ、消えていった。
ただ残るは降り注ぐ光の粒のみ。
だが、やがてそれさえも消えてしまった。
「ガライ様…!」
震える声を紡ぎ、それを断ち切るようにカーシュは唇を噛み締めて首を垂れた。
ぎゅっと拳を握り締め、濡れた目元を手荒く拭うと垂れた頭を上げる。
そして一礼し、踵を返した。
「気は済んだか」
低い声に視線を上げる。少し前まで鏡の様な壁があった場所に、ヤマネコが佇んでいた。
ガライが逝った今、その壁も姿を消していた。
カーシュは微かに笑みを浮かべ、男の傍らに立った。
「これで心置きなく行ける」
時の闇の彼方へ。
六つのエレメントがクロノクロスによって奏でられ、闇に響き渡る。
時喰いはまるでその音に聞き入るように動きを止めた。
やがてキッドに酷似した少女を捕らえていたそれが澄んだ音を立てて砕け散る。
少女はふわりと闇を舞い、セルジュ達の前へと降り立った。
ただ一つキッドと違っていたのは、そうっと開かれたその瞳が海の色ではなく、緑灰色だった事。
「姉上…」
不意に背後から響いた声に三人は振り返った。
「アルフ!ヤマネコまで…!」
そこには仮面の男と数日振りに亜人としての姿を見せたヤマネコが立っていた。
「どうやってここに…」
「此奴の持っていたペンダントが導いた」
確かにアルフは手から銀のチェーンが垂れている。
「漸く、逢えた」
アルフは仲間の前ですら一度も外した事の無かったその仮面を外し、少女と向き合う。
少女の緑灰色の瞳が大きく見開かれた。
「ジャキ…!」
キッドより僅かにトーンの高い声が響く。
彼が歩み寄ると同時に少女は駆け出し、アルフの腕の中へと飛び込んだ。
「ああっ…ジャキ、また貴方に逢えるなんて…!」
「姉上…せめてあの時、貴方の手に届いていれば独り囚われる事も無かっただろうに…!」
「いいえ、いいえ、私の事なんて良いのです。けれどまだ幼かった貴方が何処へ飛ばされたのか、それだけが心配で…」
「これからは、俺が姉上を守ります。かつて俺をジールから守ってくれたように」
「ジャキ…!ああ…!」
きつく抱き合う二人に、『おめでとう』と声が掛かる。
「ルッカ姉ちゃん!!」
何時の間にかそこにはルッカと、彼女と共にオパーサの浜に居た少年少女が立っていた。
そして、英雄グレンも。
『キッド』
ルッカはキッドに向き直って笑いかける。
『良く頑張ったわね。さすが私の妹』
駆け寄ったキッドの頭を撫でるように、闇の透けた腕がそっと添えられる。
『キッド、あなたの本当の名前は、サラ・キッド・ジール』
「オレの、名前…?」
そう、とルッカは頷く。
『これであなたは自分の秘密を全て知った』
サラの事、キッド・プロジェクトの事、そして自分の本当の名前。
『でも、忘れないで。あなたの人生を決めるのはサラさんじゃなくてあなた自身という事を』
ルッカの言葉に、キッドは「当たり前だろ!」と笑った。
「オレはオレの生きたい様に生きる。今ここに居るのも、それが役目だからとかじゃなくて、自分でカタを付けるって決めた事なんだ。だから大丈夫だって、ルッカ姉ちゃん」
ルッカは『そうね』と穏かな笑みを浮かべる。
『あなたは私の自慢の妹だものね』
元気でね、とルッカはキッドを抱きしめた。
それは実際には触れる事の出来ないものだったけれど、キッドは確かにルッカの温もりを感じた。
「ルッカ姉ちゃんも、元気でな」
ルッカがキッドから離れると、彼らの背後で闇が割れた。
その先には、かつて死海で見たリーネ広場が広がっている。
だが、あの廃虚の様な姿ではなく、緑と活気に満ちた姿だった。
『さあ、帰ろう。俺たちの始まりの地へ』
赤い髪の少年が告げる。
『マールディアの鐘を、永久に鳴らし続ける為に』
金の髪を高く結い上げた少女が赤い髪の少年と一緒に闇の向こうへと駆けて行く。
ルッカも彼らの後を追い、グレンもその後に続く。
サラと並んだアルフは爪先をこちらに向け、振り返った。
「セルジュ、そしてカーシュ」
アルフは二人をじっと見詰めた後、ほんの僅かな笑みを浮かべた。
「ありがとう」
そしてサラの手を取り、彼らも闇の割れた先へと行ってしまった。
「またな」
カーシュの呟きと同時にその割れ目は閉じ、辺りは再び静寂が戻る。
「これで…終わったの…?」
セルジュの何処へとも付かない問いかけに、キッドが「そうだ」と答えた。
「分かれた時は、今一度ひとつになる」
別れの時が来た、と。
「え…」
「おまえはこの旅の記憶を失い、自分の時間に帰るんだ…今度こそ、自分の生を生きろ」
そんな、とセルジュが呟く。
「確かにオレ達は世界の全ての謎を解く事も、全ての哀しみを癒す事も出来ないだろう」
それでも、とキッドは微笑む。
「お前に会えて、オレは嬉しかった。生まれてきてくれて、ありがとう、セルジュ…」
これで…さよならだな……
そう告げるキッドの体が少しずつ透き通っていくのが分かる。
待って。
セルジュはそう叫ぼうとして声が出ない事に気付いた。
自分の体を見下ろすと、自分の体まで透けていた。
カーシュもそれに気付き、咄嗟に傍らに立つ男を見上げる。
「カーシュ」
自分を呼ぶその声すらも、頬に添えられた手の感触も、何処かぼやけているようで。
「必ず迎えに行く。お前はあの館で大人しく待っていろ」
「ヤマ…」
男の名を呼ぶより早く、その姿は闇の中へと消えてしまう。
そしてカーシュ自身も朧げになり、やがて同じ様に闇の中へと消えてしまった。
でも…
会いにゆくよ。
いつか、きっと……。
お前がいつの時代、どんな世界で生きてようと、会いに行くから……。
きっと……
きっと、会いに行くから……。
ふわりと意識が浮上する。
「………」
カーシュは薄らと目を開け、ぼんやりと己の眼が映し出す光景を眺めていた。
直ぐ近くには真っ白なシーツと、少し離れた所には見慣れた室内。
「?!」
思考がクリアになっていくと同時にカーシュは飛び起きた。
これ以上に無く大きく目を見開き、彼は部屋中を見廻す。
間違いない。蛇骨館の自室だ。
「どう、なってんだ…?」
カーシュは呆然として呟く。
時喰いを解放し、アルフがサラたちと共に消え、セルジュやキッド、そして
――カーシュ……
ヤマネコも、自分自身すら消えて。
キッドはそれぞれの始まりの時間へ戻るのだと言った。
始まりの時間?どういう事だ?
混乱して空回りを繰り返す思考にノック音が響いた。
カーシュがはっとして顔を上げると同時に扉が開く。
「ああ、今日はちゃんと起きていたんだな」
穏かな笑顔と共に入って来たのは、ダリオだった。
「…ダリオ…?」
けれど、何かが違う。
「うん?」
そうだ、違和感の理由が分かった。
「お前、若返ってねえ?」
そう、記憶にある彼より幾分か若い気がするのだ。
だが、彼はきょとんとして小首を傾げる。
「寝ぼけているのか?」
そんなダリオの姿に、まさか、とカーシュは問い掛ける。
「なあダリオ、今日は、いつ、いや、何年だ」
「今は…」
時は、A.D.1016年。
「…四年前に、戻ってる…だと…?」
カーシュはまだ、二十三の歳を迎えたばかりだった。
(終)
+−+◇+−+
最終話なのに快速列車(寧ろ特急列車)の如くかっ飛ばしてて済みません。ゲームに添った話で各駅停車にしようと思うとどうしてもだらだらとゲーム中のセリフをコピーしないとならなくなるのでそれが嫌で飛ばしました。
今回のサブタイトルのベースは高村光太郎の智恵子抄に収録されている「人に(遊びぢやない)」の最後の一節、「又嬉嬉として」と、「おそれ」の後半にある「私の魂は永遠をおもひ」を使わせて頂きました。
始めは与謝野晶子の「君、死に給うことなかれ」を使う方向で進めていたのですが、どうも段落毎の文章がつっけんどんな文章になってしまったので没りました。
あと、「我」から「私」、「彼の者」から「貴方」に変えてみました。ハッピーエンド版なのでこっちも柔らかくしようと思って。因みに乙女カーシュ視点。(笑)
意味としては「私がこの想いを受け入れた時、私は永久に貴方の傍に居ましょう。そして私は貴方を支える存在になりたいと、密かにそう微笑むのです」みたいな雰囲気を出したいな〜と。
あくまで「花咲く〜2」をベースに書き換えていったので、強引な部分があるとは思いますが…まあ、見逃して下さいませ。(苦笑)
ていうかね、元々あの結末しか浮かばなかった話を無理矢理ハッピーエンドにしようとすると、こう、むっちゃくちゃな展開にしないと出来ませんでした。という事でまさかの凍てついた炎キューピット化。
そして最後の最後になって、今まで何度も没ってきたガライ×カーシュ復活。だってこのシーンが一番、タイトルである「花咲く丘に涙して」に添った内容なんだもの!(爆)
あと、とにかく魔王を幸せにしてあげたかった。(またか)彼の一人称ですが、魔王もアルフも「俺」なので「俺」に統一しようかと思ったのですが、予言者の時は「私」って言ってたので素に戻った時だけ「俺」にしよう、ということになりました。
本当はマヨネー達三人も出したかった。というか予定ではアルフ達がリーネ広場へと帰って行くシーン、あそこに出てくる予定でした。「ああん魔王様ぁ!アタシたちも連れて行ってぇ!え?人間と馴れ合うヤツなんか主じゃないって言った事?やっだァそんな昔のコ・ト!あれは倦怠期ってヤツゥ?ホラ、アタシたちって魔王様一筋だからぁ」みたいな感じで。(笑)
あと、クロノ達がリーネ広場に戻っていったのは、リーネ広場がタイムクラッシュ爆心地だからです。色々細かい事も考えていたのですが、書いている内にどうでもよくなりました。(爆)
さて、漸く本編が終わりました。微妙な終わり方ですけどね。(笑)こなおに「零とIF完結編、どっちを先に進めて欲しい?」と聞いた所、IF完結編を、との事だったのでIF完結編を続けて書いていこうかと思います。
(2003/09/27/高槻桂)