花咲く丘に涙して〜IF完結編〜
―私にはあなたがある―
貴方のいない平穏は、私に孤独を教える
僕は、旅をしました。
オパーサの浜で倒れて、眼が覚めた時には全てを思い出していました。
思い出した、というのは可笑しな言い方かもしれない。
でも、倒れる前までの僕と、後の僕は、違うんだと思いました。
同じなんだけど、多分、何かが違ってる。
あの旅の分だけ、僕は変わったんだと思う。
あの旅で、随分強くなった。
勿論、「ここ」へ戻ってくる前までの体力は無くなっていたけれど、戦い方は体が覚えていた。
レナが、「セルジュ、あっという間に強くなっちゃったね」って笑ってたけど、あっという間じゃあ、ないんだよ。
レナも天下無敵号で一緒に特訓、したのにね。
レナは、覚えていませんでした。
でも僕は、それを不思議に思いませんでした。
僕と一緒に旅をしたレナは、あっちの世界だからとか、そんな事じゃなくて。
父さんとミゲルさんは、今でも村にいます。
多分、戻って行った時間は、人それぞれなんだと思いました。
僕はあのオパーサで倒れた瞬間に。
父さんとミゲルさんはきっと、十四年前に。
レナやポシュル、ラディウス村長は…どこだろう?
きっと、僕の旅に巻き込まれる前までに。
それとも、ヤマネコを知る前までに。
今の世界は、フェイトのいない世界です。
運命の書もありません。
でも、ヤマネコは、どうなったんだろう。
この前、キッドに会いました。
キッドも覚えていました。
彼女は僕に言いました。
よお、覚えてたんだな。あのな、セルジュ。
凍てついた炎は、今もカーシュの中にいる。
じゃあ、カーシュも記憶があるんだろうか。
多分あるんだろうな、とキッドは言っていました。
ヤマネコは、どうなったんだろう。
ヤマネコを助けたい一心で凍てついた炎と融合してしまったカーシュ。
そのカーシュと炎が融合したまま「帰って」来てしまったのだったら、ヤマネコは?
多分、何処かに存在するんだろう。
そうキッドは言いました。
僕も、そう思いました。
フェイトはもういないけれど、父さんはちゃんと生きているけど…ヤマネコは存在する。
でもきっと、もうあの戦いの繰り返しは、無いと思う。
僕たちがあの旅で色々な事を知り、成長していったように。
ヤマネコも、「フェイト」ではなく、彼個人となっていた。
だからきっと、彼はもう世界をどうにかしようとか、思っていないんだと思う。
あの旅の事を思い出してから、少しだけ、日が経ちました。
一度、テルミナへ行ってみようかと思います。
きっと、カーシュは最後の戦いから四年前に戻っていると思います。
ヤマネコがこのエルニド諸島を訪れる、少し前にまで。
きっと、仲間の中で記憶を持っているのは、僕とキッドと、カーシュだけだと思う。
キッドはつい最近まで大陸にいたらしい。
ルッカさんと一緒に暮らしているんだって。
そろそろ僕たちが出会った頃になるからって、こっちに来たみたい。
僕があの旅を覚えているか、確かめたかったんだって。
カーシュとは、まだ会ってないって言ってた。
じゃあ、カーシュは僕が思い出すまで、ずっと一人で悩んだんだろうか。
キッドはいなくて、僕はまだ何も「知らない」時期で、マルチェラたちは全く覚えていない中で。
凍てついた炎の存在だけを拠り所に、ヤマネコの存在を信じているんだろうか。
「母さん、僕、ちょっとテルミナまで行ってくるよ」
久し振りに訪れたテルミナは、相変わらずの活気を見せていた。
「おじさん、それ、一つ頂戴」
「50Gだよ。毎度有り!」
「ありがとう」
大きめの蛇骨饅頭に齧り付きながら、セルジュはゆったりとした歩調で街を歩いて行く。
「今日は青菜が安く手に入ったんだ」
「そういえば小麦が残り少なかったな」
「この前、珊瑚の髪飾りを貰ったの」
耳に飛び込んでくる他愛の無い話にセルジュは耳を傾ける。
「そういえば、さっきビョウリョウ様が来たよ」
ふと他の話に混じって飛び込んで来た声にセルジュは足を止めた。
「へえ、こっちに帰って来るのは久し振りじゃないかい?」
「そうなんだよ。最近ちょっと忙しかったみたいでねえ。ほら、何だっけ?沼の方で密猟者がちょくちょく出てたみたいでねえ」
きょろきょろと声の出所を捜すと、花屋の女主人とその客からの声だった。
「あちらさんは大陸の方で夜でも周りが見える機械を仕入れて来てるらしくてねえ。ほら、なんかこう、ごっつい眼鏡みたいなヤツよ。でもこっちにはそんなモンありゃしないだろ」
「ああ、だからビョウリョウ様が…」
セルジュは残りの蛇骨饅頭を急いで食べると花屋へと足を進めた。
「すみません」
「あら、いらっしゃいませ」
声を掛けると、花屋の女主人は話を切り上げてにこやかにセルジュを見る。
「この青リンドウ、包んで下さい」
「はい畏まりました」
てきぱきと花束を作っていく女主人にセルジュは「あの」と問い掛けた。
「ビョウリョウ様って何ですか?」
「おや、ビョウリョウ様を知らないってことはこの辺の子じゃないね?」
話好きの彼女たちは、突然の質問に気を悪くした様子も無く教えてくれた。
「アカシア龍騎士団四天王のカーシュ様の事さ」
「カーシュが?!」
セルジュの驚きをどう取ったのかは分からないが、彼女たちはあのおばさん特有の叩くような手付きで「そうなのよ」と語った。
「カーシュ様は三年くらい前からカゲネコを手懐けて傍に置かれるようになってねえ」
「ほら、三年前にあっただろう?溺れ谷でカゲネコが行く手を阻んで幻を見せるって事件」
その事件はセルジュの記憶にもあった。
溺れ谷は北と南を結ぶ唯一の陸路だった為に、村の人々もあれこれ言っていたのを覚えている。
「そのカゲネコを退治にダリオ様とカーシュ様が向かったんだけど、どういう手品を使ったのか、そのカゲネコを手懐けて帰って来たんだよ」
「それ以来カーシュ様は、なんて言うんだろうねえ、使役って言うのかい?常に連れ歩いてらっしゃるのよ。そこで何時の間にやらついたあだ名が猫龍(ビョウリョウ)様、と言う訳さ」
「へー!そうだったんだ。ありがとう」
セルジュはお代を渡し、軽い会釈をしてその場を立ち去った。
向かう先はもう決まっている。
セルジュは青リンドウの花束をしっかりと抱え、人の波に逆らって歩いて行く。
やがて人通りは少なくなり、目的の場所への階段を降りる頃には人気は無くなっていた。
階段を降りきり、舗装のされていないその道を進んで行く。
思った通り、霊廟の墓の前には先客が居た。
一人は長身の優しげな表情をした男。
もう一人は、藤色の長い髪を背に垂らした男。
足音に気付いた彼らは視線を上げ、こちらを見た。
藤色の髪の男の、その鮮やかな緋の眼が大きく見開かれるのを見て、セルジュは微笑んだ。
「失礼します」
一礼をして蛇骨の執務室を出ると、昇降機の前でダリオが待っていた。
「何だ、待ってたのか」
「お前が帰って来たと聞いてな」
スイッチを押し、二人は二階へと降りていく。
「それで、密猟者は結局何人いたんだ?」
「四人だ」
今回カーシュが果たして来た任務はヒドラの密猟者を捕える事にあった。
ヒドラは今では絶滅危惧種であり、このエルニド諸島の沼にしか生息していない。
その希少価値を狙ってやってくる密猟者を捕えるのもアカシア龍騎士団の仕事だった。
「結構多かったな。お疲れさん」
「労いならこいつに言ってやってくれ」
カーシュはひょいと肩を竦め、己の足元を指差した。
「クローセルが幻を見せて足止めして、俺は動けなくなった四人を縄でふん縛っただけさ」
その言葉にダリオの表情がさっと翳るのを見たカーシュは「心配すんなっつーの」と苦笑した。
三年前、溺れ谷でカゲネコが行く手を阻み、幻を見せるという事件が起こった。
幻の内容は人それぞれで実害はなかったのだが、気味悪がった商人達のどうにかしてくれとの訴えが多く、ダリオとカーシュ、そして二名の騎士がその討伐に当たった。
だが、どういう訳かそのカゲネコはカーシュに懐き、彼もそれを良しとした。
モンスターを使役するなど、と囁かれたが、カーシュは万が一は自分が責任を取ると押し切った。
それから三年。そのカゲネコは実に有能だった。
大佐が極秘で大陸へ渡っている間は影武者として役立ち、夜闇を物ともしない為今回の様な視界の利かない任務も容易にこなす、影だから潜入・情報収集もお手の物。
騎士団の面々も不本意ながらも彼の使役するカゲネコへの見解を改めざるを得なかった。
ただ、時折カーシュの隙を突いて勝手に館内をうろうろする事だけが問題だったが。
「それより、墓参り、行くんだろ?」
「ああ、それの誘いに来たんだ」
二人は階段を降りると、そのままロビーを抜け、玄関へと向かう。
「テルミナへ行ってくる」
門の両脇に控えている二人の騎士にそう告げ、二人は館を後にした。
今日はガライの命日だ。
毎年、この日は霊廟へ足を運んでいる。
「親父が死んで、もう十三年か…」
「ん…」
ダリオの台詞にカーシュは曖昧な笑みと返事を返した。
新しいこの世界では自分達が亡者の島へ行く事は無かったし、ガライの念が留まっている事も無い。けれど、やはり今の自分にとっては、ここも辛い場所でしかない。
こうして隣りに立つダリオを見上げても、その優しい笑みを見ても、やはりあの時、ダリオを斬った感触は忘れられない。
ダリオが死んでからの三年間、ここへ来るのが辛かった。けれど、行かずにはいられなかった。
「…もう、そんなに経つんだな…」
カーシュはそう呟いて、ぼんやりと突き立った剣を眺めた。
「……」
まただ、と思った。
カーシュは時折、こんな表情をする。
どこか懐かしそうな、そして切なそうな視線を遠くへと向けている。
そんな表情を見るようになったのは、やはりあの、四年前からだと思う。
カーシュは四年前のある日、かなりの混乱を来していた事があった。
その日の朝、私はいつもの様にカーシュの部屋を訪れた。カーシュの、朝礼への寝坊防止の為だ。
訪れた私に、彼はとても驚いていた。
そして今はいつだと聞いて来た。
今でも日付を確認した時の彼の言葉は覚えている。
四年前に、戻ってる。そう、彼は呆然として呟いた。
最初は寝ぼけていたんだろうと思っていたのだが、やがてそうでない事が感じ取れた。
前日までの彼と、何かが違っていたのだ。
まず気付いたのは、視線の雰囲気。
いつもの明るさと強さの混じった視線に、憂いが見え隠れするようになった。
そして肉体的な強さ。
前日までとは明らかに動きが変わっていた。僅かな無駄も無くなり、些か体力が付いていっていない感が見られたが、それもやがて無くなっていき、今では私ですら互角に持ち込むので精一杯だ。
だが、彼はあの表情で言うのだ。
結局お前には勝てなかったんだ、と。
そして、何より変わったと思うのが、その柔軟性。
カーシュはどちらかといえば頑固な部類だ。一度こうだと決めたら自分が間違っていると納得しない限り考えを曲げなかった。今でもそれは相変わらずではあるが、前と比べると遥かに他の意見を取りいれるようになった。
餓鬼大将がそのまま大きくなったようなカーシュに、いつも私は彼が年上だという事を忘れていた。けれど、今は違う。姿もその豪胆さや優しさ、「前までのカーシュ」を全て持ったまま、彼は成長していた。
いや、成長というよりは、達観してしまった様な気がする。
まるで、蛹が蝶へと変わったように。幼虫から蛹、蛹から蝶は姿は違えど同じものだ。
けれど、それで例えるなら、カーシュはまだ飛び立っていない蝶だ。
じっと、何かを待っている。
例えるなら、それが一番近いような気がする。
…前に、ふと思った事がある。
もしかしてカーシュは、四年前のあの日、こことは違う世界へ行き、そこで旅をして来たのではないだろうか。そしてその旅が終ったから、またここに戻って来たのではないだろうか、と。
その旅が、彼の蛹の時期だったのではないだろうか。
そこまで考えて、私は自嘲した。
何をバカな事を考えているのだろう。そんな物は夢物語だ。
それ以来その事は考えない様にしていたが、やはりそんな気がしてならない。
ここにいるのは確かにカーシュだ。
けれど、彼の中には恐らく私の知らない日々の記憶がある。
私はそう思う反面、それでも良いではないかとも思う。
そう、ここにいるのは確かにカーシュなのだから。
「?」
不意にこちらへやってくる気配を感じ、二人はそれぞれの思いから顔を上げた。
足音のする方へ視線を向け、カーシュは我が目を疑う。
視線の先には、赤いバンダナを巻いた少年がいた。
少年がふわりと微笑む。
深い海の色をした髪も、眼も、記憶にあるままの、あの少年だ。
そして、その手には青リンドウ。
「…ま、さか……」
知り合いか?と問うダリオの声に気付かないほど、カーシュはその少年に見入っていた。
墓参りには普通、純白の花を使う。けれど、少年が手にしているのは紛れも無く、青リンドウで。
カーシュやダリオ達にとって、その花は特別な意味を持っていた。
それを、歩み寄る少年は知っている。
知っているのだ。
少年はカーシュたちのすぐ傍まで来ると、軽く会釈をしてカーシュたちの供えた青リンドウの隣りに同じように供え、暫しの黙祷を捧げた。
偶然だろうか、しかし。
黙祷を捧げる少年の姿に、カーシュは迷った。
四年前、彼は自分を覚えていなかった。
だが、黙祷を終えた少年はくるりとこちらを向き、にっこりと笑った。
「久し振り、カーシュ」
その途端、カーシュの中で何かが崩れた。
「カ、カーシュ?」
ここが厳粛なる霊廟だとか、ダリオが驚いた顔で見ているとか、そんな事はすっぱりと忘れてカーシュは少年を抱きしめていた。
「…っ…ぇてた…覚えてたんだな……」
微かに震えるその声に、少年は微笑んでその広い背中をぽんぽん、と叩いた。
「うん。…とは言っても、思い出したのはつい最近なんだけどね」
「独り、だったんだ、ずっと、誰も、覚えてなくて、四年も戻ってて…」
「うん、辛かったね、ごめんね」
全くだ、と返すカーシュに、少年はごめんごめん、と笑う。
すると、カーシュは「そうだ!」とがばっと身を起こした。
どうやら何とか泣くのは留まった様だ。
「キッド!アイツは?!」
「キッドはオパーサの浜で一度会っただけ。ピンクのワンピース来てて、凄く可愛かったよ」
にっこりと告げられた言葉に、カーシュは「はァ?!」と素っ頓狂な声を上げていた。
「ピンク?!ワンピース?!キッドが?!」
何の冗談だと叫ぶカーシュに、ホントだって、と少年は笑った。
「カーシュもあのキッド見たら、絶対可愛いって思うよ」
「どうだか。…てことは、あいつも覚えてんだな」
「うん、多分覚えてるのは僕とカーシュとキッドと…あの人」
セルジュは窺う様にカーシュを見る。
「あの、さ…」
言い難そうなセルジュに、カーシュは苦笑を浮かべる。
「ああ、俺もアイツが今何処に居るのか知らねえ」
四年も待ち惚けだ、と何処か諦めさえ感じさせる笑み。
「カーシュは…探しに行かないの?」
その問いにカーシュは「行かねえよ」と肩を竦めた。
「アイツが迎えに来るっつったんだ。だから、俺はここを離れねえ」
そんなカーシュをセルジュはじっと見上げていたが、
「…そう」
やがて、嬉しそうに微笑んだ。
(続く)
+−+◇+−+
ダリ兄、一人話しに付いていけません。(爆)
ダリオがカーシュに対して違う世界がどうの、と考えたのはカーシュ(凍てついた炎)と一緒に居るせいで、すこーしだけ、本当に少しだけ記憶が甦ったからです。まあそれについてはまた追々。因みにリデルとは婚約してません。
えー第二話はもう少し長い筈でした。予定ではキッドが出てくる辺りまでだった。が、思いの外長くなったのでここで切ってしまいました。余り下手な所出来るとサブタイトルに影響が出るので迷ったのですが、まあこの辺なら良いだろ、と。
さて、次は漸くヤマネコ様が出てきます。四年もの間、カーシュをほったらかして彼が何をしていたのか…考えてはありますが多分書かないと思います。(爆)いやだってそうするとまた長くなるし…無くても話し上それほど差し障り無いし…。書くとしても番外編?(またか)
(2003/10/03/高槻桂)