花咲く丘に涙して〜IF完結編〜
     ―私にはあなたがある―





そして愛しき人々に別れを告げる





ヤマネコが新たな司書として蛇骨館にやってきてから二十年が過ぎた。
先日、先代の蛇骨である、蛇骨大佐が亡くなった。
その葬儀は盛大なもので、エルニドの民は蛇骨大佐の死を悼んだ。
喪主は娘のリデルでもその夫のグレンでもなく、現蛇骨であるダリオだった。
ダリオは未だに独身だった。リデルからの求愛を断り、蛇骨大佐の養子となることで蛇骨の名を継いだのだ。
ダリオには結婚の意思はなかった。いつか良い人が現れたら、などと言ってはいたが、そんな相手はそうそう現れるはずがないのだと彼は知っていた。
リデルは十六年前にグレンと結婚し、一年後、一人の男の子を産んだ。それがサイラスだった。
ダリオが誰とも婚姻を結ばない以上、次の蛇骨はサイラスが継ぐことになるだろう。
カーシュはあれから何も変わっていない。
朝は時折ダリオに起こされて、鍛練をし、指導をし、龍の世話を焼いて毎日を過ごしていた。
周りの兵士たちがやがて年を取り、騎士を引退していく。まだ少年騎士だった少年も今では一家の主だ。
けれどカーシュは何も変わらない。
二十代半ばの外見のまま、何も変わらなかった。
異質となってしまったはずのカーシュに騎士やテルミナの民は寛容だった。
何より異質となった事実を隠そうとせず、聞かれればきちんと教えてくれるカーシュに人々は信頼を寄せた。
猫龍様、猫龍様、と慕ってくれている。カーシュにとって、それが何よりも有難かった。
そして司書はというと、一日の大半を図書館に籠っているようだった。
相変わらず一般騎士の居住区には近づかなかったので、今でも一般騎士にとっては司書殿と言えば近づき難い、畏怖する存在だった。
そんな彼も老いてはいないという事実にどれだけの人が気付いているだろうか。
例え老いたところで亜人の老いは人間には分かり辛い。そういった意識が手伝ってか、司書もまたいつまでも変わらぬことに誰も疑問を覚えないようだった。
そうしてこの二十年をカーシュは平和なエルニドと共に過ごしてきた。
そんな中、不穏な噂が飛び交ったのは蛇骨大佐の葬儀から一か月と経たぬ内だった。
パレポリが、このエルニドに進駐してくるというのだ。
名目上、このエルニドは大国パレポリの領地である。しかし自治が認められているこのエルニドに一体何の用なのか。
そして噂は真実となった。何隻もの軍艦が押し寄せ、テルミナの手前に留まった。
やがてテルミナの港に一艇の船が辿り着き、数人の軍人が下りてきた。
それを迎えたのは、現エルニド領主であるダリオと四天王の一人であるカーシュだった。
隊長格の男がつらつらと目的を述べていく。どうやらこの島に駐屯所を置きたいらしい。
最近、ゼナン大陸では大国パレポリと新興国チョラスとの諍いが絶えないらしい。
その為、チョラス国より南に位置するこのエルニドに目を付けたというわけだ。
補給所としてテルミナを借り受けたい、とそういう事だった。
ダリオはそれを拒否した。この地は十五年前から永世中立地域として宣言している。よって、どちらかの国につくことはない、と。
しかし当然相手もそうですかと帰るわけにもいかない。元々パレポリの領地であるのだから従うのは当然だ、という姿勢だ。
そこに口を挟んだのがカーシュだ。
「あんたらの事はあんたらで片づけてくれねえかなあ。今このエルニドは平和なわけよ。それを乱されたくないんだよ」
「若造は黙っていてもらおう。私は領主殿と話をしているのだ」
「若造って言うけど、俺これでもダリオより年上なんだけどね」
ぎょっとした様な軍人の反応がおかしかったのか、くつくつとカーシュは喉を鳴らして笑った。
「まあ、とにかく帰んな。余り聞き分けがないとこっちも実力行使で行かせてもらうぜ?」
すっと隊長格の男が手を挙げると背後に控えていた軍人たちが一斉に立ち上がって銃を構えた。
「銃すら持っていない辺境民のお前たちが我々にどう力を行使するというのかね」
するとカーシュは平然としたまま彼らから見えない位置で指をちょいと動かした。途端、彼らの持っていた銃がさらさらと砂になって消えていく。
「なっ……どういうことだ……!」
「この島には不思議なことがたくさんあるからな。罰当たんないうちに帰んな」
だが、と尚も言い募ろうとした軍人を軽く手を挙げて制止し、犬を追い払うような手付きで手を振って退場を促した。
「あんまこのエルニドにちょっかいかけると、帰る船もなくなっちまうぜ?」
カーシュの浮かべた薄い笑みに怯んだ軍人たちは捨て台詞を吐いて去って行った。
「大国パレポリに盾突いた事、後悔させてやる!」
慌ただしく出て行った軍人たちを見送り、だとさ、と傍らのダリオを見る。
「お前はまたああいう挑発的なことを……」
ダリオの溜息交じりの言葉に仕方ねえだろ、と肩を竦める。
「ああでもしなきゃ、帰ってくれなかったぜ」
「そうかもしれないが……どう出ると思う」
「そりゃあちらさんも実力行使で来るんじゃねえの」
「だろうな。カーシュ、頼まれてくれるか」
ダリオの頼みに、カーシュは笑顔で応じた。
「ああ、その為に俺がいるんだ」
翌日、パレポリの一団は這う這うの体で本国に逃げ帰ることになる。
突然全艦の船内にモンスターが現れ、船員を襲ったからである。
突然モンスターが湧いた原因はわからなかったが、一つだけわかったことがあった。
エルニドを侵すべからず。
彼らが本国に報告できるのは、それだけであった。


 
そして、エルニド諸島が永世中立地域となって五十年が過ぎた。
パレポリもエルニド諸島はアカシア龍騎士団による完全自治を公式に認めざるを得なくなって久しく、エルニド諸島はパレポリの領地でありながら独立したシステムを以てして成り立っていた。
今はダリオは一線を退き、甥のサイラスに蛇骨の座を明け渡していた。
そのサイラスにも既に妻がおり、子供も男の子ばかり三人も受けていた。名は上からシグムント、シグルス、リジルと言った。
子供たちは蛇骨館の最上階で暮らしており、基本的に階下に降りてくることはそうそうなかった。
子供たちが遊ぶに困ることなかった。自由に行き来できるのは最上階のみとはいえども蛇骨館は広かったし、屋上庭園もある。
彼らは毎日一定の時間学問を学び、剣術の稽古も受けている。
子供たちの稽古をつけるのは、カーシュの役目の一つでもあった。
カーシュは現在、元帥という地位を得ており、蛇骨に継ぐ権力の持ち主となっていた。
騎士団全体の総指揮を採り、四天王に指示を出し、このエルニド諸島の平和を保つことが彼の役割であった。
現在の四天王はガレスという名の騎士を筆頭にガラハド、パーシヴァル、ランスローで編成されていた。
ガレスはテルミナ出身で、三十半ばの気の良い騎士だった。ガラハドも同じくテルミナ出身で、その性格は豪胆で四天王の中では一番年嵩だ。
パーシヴァルは元々チョラス国の王族だったが性に合わないと国を出奔。偶然やってきたエルニド諸島を気に入り、そのまま居ついてしまった。
そしてランスローもまた大陸の出だった。流れの傭兵をしていたが、仕事でエルニドに訪れ、偶然にも出会った人物に一目惚れしてその人物を追いかけて入団してしまった。
ランスローの想い人とは、カーシュのことだった。
テルミナで偶々見かけたカーシュを一目で気に入り、その場で剣を捧げた。けれどカーシュはそれは自分のためではなく、このエルニドのために捧げてくれ、と願った。
その願いを叶えるべくランスローは騎士団に入団し、あっという間に四天王に上り詰めたのだった。
そしてこのランスロー、カーシュへの好意を隠そうともしないことでも有名だった。
カーシュが普通とは異なる体であることを知っても、ヤマネコという存在を知ってもなおランスローはカーシュに自分をアピールし続けた。
ある日、カーシュの部屋を訪れたランスローはこんな事を言い出した。
「カーシュ様、俺も不老不死にしてください」
カーシュは目を真ん丸にした後、はあ?と首を傾げた。
「不老不死になれば俺だってずっと貴方のお傍にいられます。俺は、ずっと貴方のお傍に居たいんです」
カーシュはどうしたものかと思案した。カーシュにとってランスローは自分を慕ってくれる可愛い部下ではあるが、あくまで部下は部下だ。
蛇骨総統閣下から預かった騎士を正しく導くこと。それが自身の役割であると思っている。それ以上の事はこの手に余る。
カーシュは時間に取り残されていくことがどれだけ孤独かを説いた。しかしそれはランスローにとっては逆効果だったようだ。
「だったらなおさら俺がカーシュ様のお傍に居ます。世界の果てだってお供します」
そう膝をつくランスローに、カーシュはありがとうなと笑った。
「けど、俺にはヤマネコがいる。それだけで、十分なんだ」
ぐっと言葉を詰まらせたランスローは、それでも諦めませんから、と呟いてカーシュの部屋を出て行った。
それと入れ替わるようにしてヤマネコがやってきた。
「黒騎士が来ていたようだが」
恐らくすれ違ったのだろう、開口一番に彼はそう言った。
ランスローは見事なまでの漆黒の髪と眼をしていた。このエルニドでは黒に近い髪や眼の色はあっても純然たる漆黒は珍しい。
その上、彼は鎧も黒で統一されたものを纏っている為、黒騎士と呼ばれていた。
「ん、ああ」
カーシュが事の経緯を説明すると、ヤマネコは意外な事を言い出した。
「望みどおりにしてやればいい」
「はあ?何でだよ」
「お前を守る砦は一つでも多い方が良い」
カーシュは己が凍てついた炎であるという事に関して無防備だった。
今ではカーシュの存在はこのエルニドでは周知の事であり、この地に凍てついた炎があるからこそのこの平和なのだと誰もが理解していた。
しかしそれと同時にカーシュを利用しようとエルニドに侵入してくる他国の輩も後を絶たない。
その為、今ではカーシュは定期的にテルミナや他の村々を周る以外では滅多に蛇骨館から出ることはなかった。
カーシュがこのエルニドを守るのと同様に、蛇骨館がカーシュを守る要塞と化していた。
だがカーシュも全く蛇骨館を出ないというわけにもいかない。テルミナや他の村々を周る際は無防備だ。
クローセルという使役がいるとはいえ、それだけでは心許ない。ヤマネコだっていつも付いていくわけにもいかない。
となるとカーシュ専属の騎士がいた方が何かと便利だ、というのがヤマネコの意見だった。
今まではこれという人材がいなかったので黙っていたが、ヤマネコから見てもランスローの剣の腕は一流であったしカーシュ自身への忠誠心も篤い。
カーシュへの恋慕だけは余計だったが、いざという時は全てを捨ててでもカーシュを守ろうとするだろう。
カーシュは自分の身くらい自分で守れる、と反論したが、先日の失態を出されてはそれ以上の反論もない。
先日、カーシュはヒドラの沼の調査に出ていた。現在のヒドラの沼ではヒドラとドワッフ、そして少数の妖精が共存していた。
そこを纏める役目を負っているラズリーと話をし、ヒドラたちの様子を見て蛇骨館に帰還するその途中、複数の軍人に囲まれて麻酔銃を撃ち込まれたのだ。
凍てついた炎の力を使うにはカーシュの意識があって初めて成立する。解毒するにしても一瞬にして意識がブラックアウトしてしまったカーシュにそれは叶わなかった。
あわや大陸に連れ攫われるというところを救い出したのがランスローだった。
カーシュが意識の途切れる寸前に送った思念でその危機を察したヤマネコはランスローに指示を出し、テルミナ港から秘密裏に運び出されようとしていたカーシュを救い出したのだ。
「あれは、ちょっと油断しただけで……」
「その油断が命取りになるのだ。余り炎の力を過信するな」
もごもごと言い繕ったカーシュの言葉を切り捨て、お前には手駒が少なすぎる、とヤマネコは言った。
「黒騎士をこちら側に引き入れることに関して、私は反対しない」
お前の好きにしろ、と最終的には判断を任せられ、カーシュは一晩中悩んだ。
翌日、サイラスにも相談した後にランスローを呼び出すと告げた。
「お前はまだ二十歳を過ぎたばかりで若い。だからもし十年経ってもお前が変わらず俺に忠誠を誓ってくれるなら、俺はお前を俺個人の騎士として迎える」
そして十年後、カーシュは一人の騎士を得ることになる。


 
カーシュがランスローを自身の騎士として迎えてから暫くして、ダリオが亡くなった。
エルニドの民の平均寿命から考えると長生きした方で、大往生と言っていいだろう。
弟のグレンはダリオより数年早く病死していた。それでもやはり長生きした方だった。
リデルとサイラス、その子供たちに囲まれてダリオは幸せそうだった。
その最期の時間を過ごしたのはカーシュだった。
ダリオは生涯、独身を貫いた。
忘れられない人がいるのだ、と一度だけサイラスにそう漏らしたことがあった。そしてその相手がカーシュだという事も、サイラスは今では何となく気付いている。
だからカーシュがダリオの元へやってきた時、サイラスはそっと席を外した。
カーシュ、と老いても優しげな声音でダリオは呼ぶ。
「本当は私もお前と共に生きられたらと何度も思ったよ」
司書殿が許さないだろうがね、と皺を寄せて笑った。
「これはこれで、悪くはない終わり方だ」
カーシュ、と差しのべられた手は年相応のもので、カーシュはそれをそっと握った。
ガライの元で出会い、共に過ごしてきた時間の長さよ。
俺が、ずっとカーシュの傍に居るよ……そう幼き日に誓った通り彼は共にいてくれた。
「カーシュ……我が青春よ……お前に幸多からんことを」
そうしてダリオは眠るようにしてその生涯を終えた。ただ一人に愛を捧げた一生だった。
それから数年後、今度はリデルが亡くなった。
とうの昔ににカーシュは父も母も亡くしている。幼き頃のカーシュを知るのはリデルが最後の一人だった。そのリデルも亡くなった。
時に取り残されるとは、こういう事なのだ。カーシュはランスローにそう漏らしたことがあった。
その消沈した横顔が哀れで、同時に愛しくて、ランスローは今一度誓った。何があってもお傍に居ます、と。
ありがとう、と微笑んだカーシュのそれを、ランスローは永久に忘れなかった。
 



***
ちょっと短めですが話的にここで区切りました。オリキャラがバンバン出てます。苦手な人すみません。ゲームから五、六十年経ってるんだから仕方ないよね。
ここまで来ると細かい年齢などは気にせず書いてます。ジャイキリの時は年表まで作って書いてたのですが、クロスではアバウトにしました。
さてランスローですが、最初は誰か一人くらいカーシュスキーが居てもいいかな、くらいの気分で書き始めたのですが気付いたらこんなことに。
でもこれからの長い時間をヤマネコ様と二人きりで生きていくのも、それはそれで彼らは幸せかもしれませんが寂しいなあと思ったので。
多分次の話でまた一人くらい増えると思うけど。本当はパーシヴァルと二人で騎士にするつもりでしたがパーシヴァルは性格上無理だな、と。
ちなみにガレスとガラハドは仲良し、という設定もありましたが出す機会がありませんでした。
彼らとの日々はまた雑多SSSで書けていけたらいいなあと思ってます。
(2012/10/29/高槻桂)

 

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