花咲く丘に涙して〜IF完結編〜
―私にはあなたがある―
寂しくはない。私にはあなたがある
今日はエルニド諸島が永世中立地域となってちょうど八十年の祝日だった。
今やサイラスも引退し、長男のシグムントが蛇骨を名乗っている。
四天王も顔ぶれが変わっており、サイラスの次男であるシグルスと三男のリジルがそこに名を連ねていた。
あとの二名はアルニ村出身のカイ、そして先代の四天王であったパーシヴァルの息子のルーカンだった。
チャクラムを操るルーカンは銀の髪に白の鎧を纏っている事から白騎士と呼ばれていた。
そのルーカンが、カーシュの専属騎士になると言い出したのはつい先日の事だった。
現在、カーシュの専属騎士は黒騎士と呼ばれるランスローただ一人だ。そこに名乗りを上げたのだ。
「ずるいです」
不服を唱えたのはランスローだった。
今まで自分一人がカーシュの騎士だった事への優越感はあったが、だからと新たに騎士が増える事に異論はない。
しかし、カーシュがルーカンに提示した条件が不服なのだ。
「俺は十年待ったのに、何でルーカンは三年なんですか」
そう、カーシュは三年経ってもまだ決意が変わらないのならばルーカンを騎士にすると応えたのだ。
「お前は言い出したのが若かったからな。ルーカンはもう二十歳後半だ。そんなもんだと思うが?」
あっさりと答えたカーシュにランスローはそうですけど、と唇をへの字にする。
「まあ、何にしろお前の後輩ができるかもしれない。その時は任せたぞ」
「はい……」
渋々という様に頷いたランスローが部屋を出ていくと、それまでカーシュの足元で大人しく寝そべっていたヒョウ鬼が頭を上げた。ヒョウ鬼はヤマネコの転変した姿だ。
「黒騎士は相変わらずだな」
今だってカーシュの足元にヤマネコであるヒョウ鬼がいる事はわかっていただろうに全く目もくれなかった。
相変わらずのカーシュしか見えていないランスローにヤマネコはくつくつと喉を鳴らして笑う。
「変わんねえな、あいつも」
カーシュの言葉に応えるようにするりとヒョウ鬼が身を起こし、ヤマネコの姿へと変わる。
「変わらんのはお前も同じだと思うが」
「んだよ、なんか文句あんのかよ」
むすっと唇を尖らせたカーシュの頬に手を添え、いや、とヤマネコは微かに唇の端を持ち上げる。
「お前はそれでいい」
眼尻に口づけられ、カーシュは擽ったそうに眼を閉じる。馴れた手つきで腰の鎧を外され、執務机の上に重い音を立ててそれは置かれた。
「す、るのかよ……」
「今更愚問だな」
ヤマネコと寝る事に対して、カーシュの体は馴れきっていた。それでも羞恥心は消えない。恥ずかしそうに視線を伏せるカーシュに、ヤマネコは可笑しそうにくつりと喉を鳴らして笑った。
その手を引いてやれば従順にカーシュは立ち上がり、ヤマネコは彼をベッドへと導いてやる。
そしてこの夜も、カーシュが自失するまでヤマネコは彼を求めたのだった。
マルチェラが亡くなった。
亜人の血を引いていたためか、マルチェラは特に長生きをした。
あと少しで大台に手が届くと笑っていたのをつい先日目にしたばかりだったというのに。カーシュはひっそりと嘆息した。
ゾアもとうの昔に亡くなっている。嘗てカーシュと共に戦った四天王、その全員がこれで亡くなったのだ。
だからといつまでも落ち込んでいるわけにもいかない。カーシュには代々の蛇骨の元このエルニドを管理し、龍騎士団を導いていくという役割がある。
よし、と両頬を軽く叩いて気合を入れるとカーシュは部屋を出た。
カーシュの住まいは蛇骨館の三階にある。二階と三階を繋ぐ昇降装置の暗証番号は限られた人数しか知らされておらず、よって、カーシュやシグムントたちの住む場所には限られた者しか立ち入ることができない。
その廊下を、ばたばたと走る二つの姿があった。シグムントの息子たちである。
「こら!グラム、レギン!廊下を走るんじゃねえ!」
けれど彼らは止まることなくカーシュの元に駆け寄ると、その手を引いて甲高い声を上げた。
「カーシュ!お外にモンスターがいるよ!」
「マルロザリーが飛んでるの!」
彼らが指差すのは屋上庭園である。世界のへそと呼ばれる島に生息するマルロザリーはヒドラの沼へもその姿を現すのだが、時折こちら側に迷い込んでくる事があった。
「わかった。危ないからお前らは部屋に戻ってな」
うん、と頷いた兄弟を部屋に送ってからカーシュは屋上庭園に駆け上る。
澄んだ青い空、そこを一匹のマルロザリーが旋回していた。
ぴゅい、と指笛を吹くとそれに気づいたマルロザリーが下降してくる。
「どうした、迷ったのか」
問いかければ、微かな思念が伝わってくる。やはり迷っているらしい。カーシュはしゅるしゅると赫枝を背に生やすと、ふわりと浮きあがった。
「こっちだ」
すいっとマルロザリーを促して飛ぶと、マルロザリーがついてくる。空を飛ぶのは久しぶりだったが、何とかなりそうだ。
ふと下を見ると、外に居た何人かの騎士がぽかんとしたようにこちらを見上げている。
カーシュの身に凍てついた炎が宿っている事を知っているものは多かったが、実際にその力を目にするのは初めてという者が多かった。
カーシュは苦笑すると何事もなかったかのように前を向き、ヒドラの沼へと向かった。
「ここならもうわかるだろ」
ヒドラの沼の上空にマルロザリーを導くと、感謝の思念が伝わってきた。
「じゃあな。もう迷うなよ」
去っていくマルロザリーを見送って、カーシュは来た道を戻るように飛んだ。
嘗てはマルロザリーの背に乗って世界のへそと呼ばれる島を訪れたことがあった。あの時のマルロザリーはまだ生きているのだろうか。
モンスターの寿命は長い。何事もなければあの時のマルロザリーも元気にしているだろう。
あの時、セルジュとマルチェラと自分の三人で空を渡った。
そのセルジュもとうに亡く、マルチェラも亡くなった。あの島に居たリーアは元の時代に戻れただろうか。
「……っ……」
突然溢れだした感情にカーシュは唇を噛む。一人、また一人と亡くなっていくのを見るたびにどうしようもない気分になる。
小さかったマルチェラ。ルチアナに変わって世話を焼いたこともあった。齢六歳にして騎士団に入団し、あっという間に四天王に上り詰めた。
暇を持て余した時はよくカーシュの髪で三つ編みをしたりして、なんだかんだでカーシュに懐いていた。
その少女が女性へと育ち、結婚し、子を生し、孫を持つおばあちゃんになった。
だがカーシュは何も変わらない。
年を取ってから、マルチェラはよくカーシュに若くてうらやましい、と文句を言っていた。羨ましいのはこっちだ、とカーシュは思う。
年を取り、命を生み出し、子供たちに見守られながら老いてゆく。それがどれほど幸せなことか。
あの時、凍てついた炎を手にしたことに後悔はしていない。けれど、時折どうしようもなく切なくなる時がある。
「!」
屋上庭園が見えてくると、そこに二つの人影があった。ヤマネコと、ランスローだった。
まっすぐにこちらを見てくる視線に、どうしようもなく泣きたいような、嬉しいような、複雑な気分が押し寄せてきた。
大丈夫。俺には待っていてくれる人がいる。共に歩んでくれる人がいる。
だから、まだ生きていける。
シグムントの息子、グラムとレギンは三つ年の離れた兄弟である。
シグムントは常々から百年目の永世中立記念日に引退すると話しており、何事も無ければ長男のグラムが継ぐ予定だった。
だが次男のレギンがこれに不服を唱えた。弟だからと蛇骨の名を冠する権利を奪われるのは不本意だ、と。
長男のグラムはどこかおっとりしていて、父親のシグムントに似て特に剣術も抜きんでた所はなかった。
シグムントは剣術こそ劣っていたが領主としての能力は三人の兄弟の中で誰よりも持っていた。だからこそ成り立っていたのだがグラムにはその部分は引き継がれていないように思われた。
しかし次男のレギンは勝気で何事にも積極的で剣術も腕が立つ。
騎士の中でも意見は真っ二つに割れており、従来どおり長男のグラムが継ぐべきだと言う者もいれば能力の高いレギンに譲るべきだという声もあった。
元々は仲の良い兄弟だったのだが、シグムントの引退が近くなってくると弟の方が一方的に兄を避けるようになっていった。
「なあカーシュ。私は弟に嫌われてしまったのだろうか」
ある日、グラムはそう漏らした。
次期蛇骨であるグラムとレギンは蛇骨であるシグムントの補佐官の地位にあり、カーシュと言葉を交わすことも多い。
この日もグラムはカーシュら幹部とテルミナ開港祭の打ち合わせをしていた。最終的にカーシュだけが残り、細かい打ち合わせをしていたのだが、一息ついた所でのその言葉だった。
「そういうわけではないと思いますが……」
どう答えるべきかと思案しながら言うと、いいんだ、とグラムは微苦笑した。
「私は確かに凡庸だ。弟のようにカリスマ性を持っているわけでもない。なのにそんな私が蛇骨になるのが弟には許せないのだろう」
「グラム様……」
「なあカーシュ。例えば、だ。もし私とレギンの間で諍いが起こったら……お前はどちらにつく?」
「グラム様、それは……!」
答えに窮したカーシュをじっと見つめていたグラムは一つ溜息を吐くとすまない、と謝った。
「親代わりに近いお前に聞くには意地の悪い質問だったな。気にしないでくれ」
「……次代の蛇骨はシグムント様がお決めになることです」
けれど、とカーシュはグラムを見る。
「俺は、お二人が争う所など、見たくもありません」
カーシュの言葉に、グラムは椅子の背もたれに身を預け、そうだな、と微かに笑った。
「私も弟と争うなど、したくはないよ」
今日はありがとう、下がっていいよ。そう言われてカーシュは一礼をして会議室を出た。
もし私とレギンの間で諍いが起こったら……。グラムの言葉が蘇る。
カーシュは幼き頃の二人を思い出す。あんなに仲の良かった二人が争うなんて。
そんな事、あるわけがない。
カーシュはそう自分に言い聞かせるように頷いて自室へと向かった。
悪い方向へと転がっている。そんな予感を打ち消すように。
事態が急転したのは、シグムントが引退を定めた年をあと三年で迎える、という時期だった。
シグムントが次代の蛇骨を誰にするか、正式に発表したのだ。
シグムントが選んだのは、長男のグラムだった。
安堵の息を吐く者、動揺する者、反応は様々だったが反対を唱える者は出なかった。
ただ当の本人たちはというと、選ばれたグラムは黙って頭を垂れたが選ばれなかったレギンはきつく拳を握りしめ、父親を睨み付けていた。
「カーシュよ」
発表の後、代々の蛇骨の執務室、そこでカーシュは一人シグムントと向き合っていた。
「レギンは私を恨んでおろうな」
「……」
「レギンは確かに腕も立つし人心を引き寄せる何かを持っておる。だがそれだけでは駄目なのだ」
シグムントはレギンの積極性に疑問を持っているようだった。何事も失敗を恐れず取り組む姿勢は素晴らしい。けれどリスクも何もかも考えずただ突き進むだけでは駄目なのだ。
「あれは人を引くことはできても共に歩むことはできん。それではこの地の領主は務まらない」
この地に必要なのは守りの力だ。攻め入る強さではない。そう重々しく告げるシグムントに、カーシュはただ頭を垂れた。
「蛇骨様がそうお決めになったのなら、俺は蛇骨様に従うまでです」
「ありがとう、カーシュ。あと三年、我が右腕として宜しく頼む」
「はっ」
カーシュは一礼すると踵を返して執務室を出た。その足でレギンの部屋へと赴く。
「レギン様、カーシュです」
ノックをしてそう告げると、少しの間があってから入れ、と促された。中に入るとアルコールの香りがした。
「……呑んでおられるのですか」
「見ての通りだ」
机の上には酒瓶が置かれていた。その中身はもう半分を切っている。
カーシュはその酒瓶の傍らに置かれた小さな瓶に気づいた。細工の美しい瓶の中には緑色の液体が満たされている。
「これが気になるか」
つい、とレギンの指がその小瓶を揺らす。瓶の中で緑色の液体が揺れた。
「これはな、ボルクルスの種子から抽出した毒だ」
「なっ……」
「これを飲んだ者は徐々に気が触れてやがて何もわからなくなる。どういうことかわかるか?カーシュ」
「レギン様……?」
「私はね、いざとなったらこれを兄に飲ませようと画策していたのだよ。気が触れてしまっては蛇骨の地位も何もないからな」
「レギン様……そこまでしてでも、蛇骨の地位が欲しかったのですか」
欲しかったよ、とレギンは苦笑する。
「けれど思い出したんだ。兄がとても優しかったことを。いつも私の事を気にかけていてくれた事を」
だから、毒を盛ることはできなかった。そう告げるレギンにカーシュはただ沈黙する。かけるべき言葉が見当たらなかった。
「兄はきっと良い領主になるだろう。私がなるより、余程この地を纏めていける。ぼんやりしているようで、見るところはしっかり見ている人だからね」
だから私はこの島を出ていく。レギンはきっぱりと告げた。
「レギン様?!」
「大陸へ渡って、一から出直すよ。もう一度、やり直したいんだ」
こんなものに、とレギンは小瓶をそっと握りこむ。
「こんなものに頼らなくても良いくらい強くなって、いつかまた、この地へ戻ってくる」
その時は、迎えてくれるか?カーシュ。酒に潤んではいたが、まっすぐな瞳にカーシュは片膝を着いて頭を垂れた。
「その時を、心待ちにしております……」
それから一週間後、レギンはエルニド諸島を去った。
三年後、永世記念百周年と蛇骨の引退、新蛇骨の襲名にエルニド中がお祭り騒ぎとなった。
中でもテルミナは百年祭と称して盛大な祭りを執り行い、観光客で賑わった。
新たに蛇骨となったグラムは盛大に迎えられ、龍車に乗ってテルミナの街を巡った。
そしてこの日、行方知れずとなっていたレギンが祝辞を述べに三年ぶりに姿を現した。
レギンは大陸で妻を娶ったらしく、幼い娘までいた。今はまだ戻る気はないが、いつか、と兄に語る横顔は穏やかだった。
カーシュはランスローとルーカンを連れて街を巡った。ヤマネコは騒がしいのを嫌って相変わらず図書館に籠りっ放しだ。
行く先々で猫龍様、猫龍様、と声をかけられては蛇骨饅頭片手に珍しい菓子をつまんだりして祭りを楽しんだ。
最後に霊廟へと向かうと、そこには先客がいた。マルチェラの孫のレイチェルだった。レイチェルもまた代々の蛇骨の墓に花を添え、祈りを捧げて去っていった。
大勢の人が祈りを捧げたのだろう、蛇骨の墓にはたくさんの花が供えてあった。
その白い花々の中に交じってカーシュは青リンドウを供え、祈った。この平和がいつまでも続きますよう、見守っていてください、と。
夜遅く蛇骨館に戻ると、カーシュはランスローとルーカンを下がらせ、図書館へと向かった。
二階に探していた後姿を見つけ、階段を上がっていく。ヤマネコはいくつかの書物を手にカーシュを振り返った。
「漸く戻ったのか」
「悪い、遅くなっちまった」
肩を竦めるカーシュに楽しかったのならそれでいい、とヤマネコは頷いた。
二人は揃ってヤマネコの私室へ向かい、そこで酒を飲みながらカーシュは今日の出来事をヤマネコに語った。
「百年祭か……て事は今俺幾つだっけ」
「百三十二だ。自分の年齢くらい覚えておけ」
「百過ぎたら年なんて覚えてらんねえよ。そういうあんただって自分の年覚えてねえだろ」
「私の場合はいつからを起点とするかが問題だからな。数えようがないさ」
ヤマネコの言葉にカーシュはケタケタと笑って酒を呷った。
「そうか、もうそんな年なんだな」
あっという間だったなあとカーシュは微笑む。この百年、色々なことがあった。たくさんの人と出会った。そして別れた。
「あんたとも色々あったしな」
言い争いだってした、険悪な空気になった事もあった。それでも二人で手を取って歩んできた。
「次の百年も、一緒に居てくれるか?」
カーシュの問いに、ヤマネコはふっと僅かに微笑むと百年では短いな、と言った。
「じゃあ千年か?」
「一万年は軽いな」
いちまんねん。カーシュが平ぺったい発音で繰り返す。
「なっがいなあ、そりゃ。一万年も経ったらエルニドも変わってるだろうな」
「不変のものなどごく僅かだ。しかし確かなものはたくさんある。それを忘れなければ人は生きていける」
だがカーシュは、俺はそれだけじゃ生きていけないぜ?といたずらっ子のように笑う。
「あんたという存在がなければ、俺はきっと生きていけない」
ヤマネコはカーシュにしか見せない柔らかな表情でそうか、と頷いた。
さあ、あと百年だって、千年だって、一万年だって。
生きてみせよう。お前がそれを望むなら。
この手を取る手がある限り、この島を見守り続けよう。
運命の夢見た、新たな世界を。
いつまでも、生きていこう。
(完)
***
終わった……きっと終わることはないと思っていた連載が終わった……!いや、まだ零があるしこぼれ話もあるんですけどね。
そうだ、零があるんだ……零はヤマネコ様最後の方しか出てこないからつまらなげふげふ。じゃなくて、書きづらいなあと。(笑)
困ったのはオリキャラの名付けですよね。サイラスはどうにかクロノ関係で行けましたがその後が。とりあえず神話とかを読み漁った記憶が。
こぼれ話とは別に番外編とか書きたいなあ。いっそ千年後とかそれくらいの。エルニドも機械とかが色々入ってきてるんじゃないかなあと思ってます。
そういえば昔アビスとのクロスオーバーとか考えてた時期がありました。没ったけど。
なんだか感慨深くて書くことが思いつかないです(笑)せっかく完結したんだし裏話とかできたらよかったんですが、そんなんあったっけ?(爆)
何はともあれ、一つの区切りにたどり着きました。ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。
(2012/11/04/高槻桂)
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