カラブラン





その島に着いたのは、ほんの偶然だった。

「ダ…リオ……」

消えそうなほど小さな声でその男の名を呟いたのは、リデルだったか、カーシュだったか。


「ダリオ!目ぇ覚ませ!!」
グランドリオンに囚われた男をカーシュが呼ぶ。彼はその声に視線を転ずると唇の端を歪めて嗤った。ヤマネコと同じ匂いのするその笑みに、セルジュは脚が竦みそうになる。リデルもカーシュもその動揺は隠し切れなかった。寧ろ、温厚で生真面目な彼を知っている二人の方が衝撃は大きかっただろう。
ダリオはその笑みを浮かべたままカーシュに斬りかかった。
「チッ…!」
「「カーシュ!!」」
セルジュとリデルの声が重なる。カーシュは横へ跳んでそれを避けると、アクスを繰り出そうと腕に力を込める。

目が、合った。

一瞬の内に蘇る、骨の大地。
その最奥で嗤う男。
自分に向けられた、嘲笑を象った口元。

――ショセン、オマエハ……

「カーシュ!!」
「!!」
はっと我に返ると、目の前にはダリオではなく、少年のバンダナがあった。彼はカーシュの代わりにダリオの剣をスワローで受けとめていた。
「辛いとは思うけど、戦わなきゃいけない事もあるんだ」
ダリオが跳び退き、間合いを取る。セルジュはカーシュに背を向けたまま、ダリオ見ている。
ちらりとリデルの方へ視線を転ずると、彼女のまた、決意したようにロッドを構えていた。
また、刃を交えなければならないのか。
だが、こうする事でしか彼を救えないのなら。
「……」
たとえ、それがあの事件と同じ方法であったとしても。
カーシュはきつくアクスを握り直す。手に馴染んだ筈のそれは、やけに重く感じた。





「オイ、聞いてんのか?」
「え……」
男がはっとして声のした方を見ると、カーシュは呆れたような表情で溜息を吐いた。
「人が話してんのにぼーっとしてんじゃねえよ」
「ああ、すまない……?……」
男はふと言葉を途切れさせる。
何故だか、自分の言葉に違和感を覚えたのだ。
「……?……」
「オラ、いつまでも突っ立ってねえでさっさと帰るぞ」
「あ、ああ……」
男はカーシュを見下ろして曖昧に笑う。
何故、自分がカーシュを見下ろしているのだろう。
自分よりカーシュの方が背が高かった筈だ。
そう思い、男は眉根を寄せる。
何故、そんな事を考えてしまったのだろう。
自分がカーシュより背が高いのは何年も前からの事ではないか。
それに、元々自分はカーシュより背が低かった覚えはない。
「それでよ〜、大体グレンの奴が……」
帰路を並んで歩きながらカーシュは今日の事をあれこれと話している。文句を言いながらも楽しそうなカーシュの横顔をじっと見下ろす。彼は、こんなにも幼い顔をしていたのだろうか。
「ん?どうした?」
視線に気が付いたカーシュが小首を傾げてこちらを見上げてきた。
高く結い上げられた菫色の髪が彼の歩みに合わせてさらりと揺れる。
「いや、何でも無い」
「そうか?」
カーシュはそれほど気に留めた様子も無くまた前を向く。男は拭い切れない違和感を残したままカーシュの後を追った。



「あのよ……」
彼の部屋へ入った途端、カーシュは声を落として問い掛けてきた。
「リデルお嬢様の事…どうするんだ?」
どくりと自分の心臓が跳ね上がったのがわかる。男が何も言えないでいると、カーシュは苛立ったように顔を顰めて唇を噛む。
「カーシュ…」
その表情が無性に切なくてカーシュに歩み寄る。彼は微かに睨むように自分を見上げてくる。その表情の何と心細そうな事か。
「カーシュ」
もう一度舌触りの良い名を乗せ、慈しむようにその名を呼ぶ。そっと彼の頬に手を添えると、びくりと体を強張らせ、視線を逸らす。そのまま顔を寄せ、口付けてみる。抵抗の無いその体を引き寄せ、自分と比べると遥かに細い腰を引き寄せる。
「んっ……」
彼の口内へ舌を侵入させると、躊躇いがちではあるが応えてくるカーシュに愛しさが込み上げてくる。
「んんっ……は、ぁ…」
息を僅かに弾ませて男の腕にカーシュがしがみ付く。
「カーシュ…愛している…」
低くそう囁くと彼の赫い瞳が揺れ、彼は自分を引き剥がした。
「カーシュ?」
微かに目を見開き彼を見下ろすと、彼は自分を突っぱねたまま俯いている。
「違うだろ…ダリオ」

ダリオ。

名を呼ばれて、やっと気付いた。
あの違和感の正体を。
自分が、誰であるかを。

「その言葉は、リデルお嬢様に言うモンだろ……!」
その想いの強さを表すように男の腕をきつく掴んでいた手を放してカーシュは部屋を出ていった。
「………」
男はそれを追わず、彼が家を出て行く音をただ聞いていた。
「カーシュ……」
彼のベッドに腰掛け、片手で自分の顔を覆う。
言い表せられないほどの想いの奔流に、目を閉じる。

これが、ダリオ。
男の本意とはかけ離れた所でそう思う。
この人が、カーシュの……



「………?……」
セルジュは薄らと目を開け、しぱしぱと瞬かせた。ゆっくりと起き上がって辺りを見回す。
どうやら眠っていたようだ。
「夢……」
小さく呟いてみて、ああ、この声だ。この視点だ。そう思う。
何故、こんな夢を。

――マスターが望んだからだよ。

「え…?」
きゃらきゃらとした、子供のようで子供のものでない声が頭の中に響く。
――マスターが、前のマスターの事を知りたいって思ったからボク達が力を貸したんだよ。
「僕が……」
セルジュは夢の内容を思い出してみる。既に薄靄がかかっているその夢の記憶。
だが、はっきりと覚えている事はある。
カーシュへの、深い愛情と葛藤。
「…ダリオ……さん…」
セルジュは嫌な気分になる。それは、嫉妬だとすぐに気付いた。
彼の記憶にあるカーシュの様々な表情。その殆どが自分の知らないカーシュの顔だった。
相手を同列と見て、信頼しきった色。
自分には見せてくれないだろう、彼の素顔。
肌を合わせた事はあっても、セルジュが彼のそんな表情を見た事はなかった。
「……………」
セルジュはキリッと唇を噛み締める。

初めて、誰かを妬ましいと思った。






その日は、グレンがいなかった。
彼は兄やリデルと共に蛇骨館跡へ行くのだと言っていた。
意外だったのは、カーシュがついて行かなかった事だ。
リデルに気遣っての事だろうか。
「ねえ、カーシュ」
取り残された二人は武器の手入れをしたりごろごろとしたりとして暇を潰していた。
「あ?」
そんな中、セルジュはあの夢を見て以来ずっと聞こうと思っていたそれをカーシュへぶつけてみた。
「ダリオさんと恋人同士だったんだね」

「冗談だよ」と言いたくなるほどの、沈黙。

「……何言ってんだ?小僧?」
どれほどの時が流れただろうか。
先に口を開いたのはカーシュだった。彼は小さな溜息を吐く。
「んなワケねえだろ」
そう答える彼の表情をセルジュはじっと見詰める。彼は憤るでも、呆れるでも無かった。
ただ、困ったようにはにかみ、何かを諦めたような色があった。
「ふぅん…」
嘘吐き。
その言葉を飲み込み、セルジュはカーシュの側へ行く。
少し勢いを付けてベッドサイドに座ると、ギシッとスプリングが軋んだ音を立てた。
「ねえ、カーシュ。もうちょっとで、全てが終るね」
「ん?ああ、そうだな」
オパーサの浜。そこへ行けば、きっと全てが終り、また、始まる。
ねえ、カーシュ。
セルジュは彼の名を呼びベッドの上に座ると、目の前で胡座をかいているカーシュをじっと見詰める。
「……終っても、僕達、また逢えるかな?」
その問いに、彼は答えなかった。
「ねえ、僕、カーシュの事、好きだよ。ずっと、一緒にいたいと思うよ?」
「ああ…」
それでも、カーシュはセルジュの望む言葉をくれはしない。
セルジュは小さな苛立ちを覚え、彼を押し倒し、シーツの上に流れる菫色の髪をそっと掴む。
あの浜へ行けば、もう、触れる事はできないのだろうか。
「カーシュ、好きだよ…」
腰の鎧を取り外し、素肌へ手を滑らせていく。ぴくりと軽く反応したカーシュの首筋に口付け、舌を這わせた。
「…っ……」

カーシュと逢えなくなるくらいなら、このままでいたい。
時を喰らうものなんて、知った事ではない。
凍てついた炎も、運命も、何もかも。

クロノトリガー

そうでなかったらカーシュと逢う事はなかった。
それには感謝している。
だけど。
だからといって、世界を救わなければならない謂れはない。
世界を救う為にこの人を失うくらいなら、この人と共に堕ちてしまいたい。

何度、そう思っただろう。


「カーシュ…」
「ぁっ…く、ぁ……」
さして慣らしてもいないそこへ自身を強引に押し入れると、カーシュの背が撓り、その端正な顔が苦痛に歪む。


僕は皆が思っているほど善人じゃない。
「みんな」の幸せの為に自分の幸せを失うくらいなら、僕は自分の幸せを願う。
例えそれが世界を消してしまう事であっても。

だけど。


「は、あっ…っく、ぅ…!」
律動の痛みと快感に緋の眼を固く閉じ、自分にしがみ付いてくるカーシュに口付け、舌を絡める。
「んっ……ふ、ぁ!」
「逃げないで、カーシュ…」
息苦しさから顔を背けようとするカーシュの口内を強引に貪る。


この人は、それを望んでいない。
オパーサの浜へ行き、全てを終らせる事で始まりに戻そうとしている。


「っつ…カーシュ…!」
一層激しく打ち付け、セルジュはカーシュの中へ熱を放つ。その感触にカーシュの体はびくりと揺れ、その熱を放った。
「んっ…!……は、あ……」
セルジュはかくりと脱力し、カーシュの上に崩れ落ちる。
情事の興奮が徐々に収まっていく。
それにつれて、無性に泣きたくなった。
「…小僧……?」
涙が滲み、視界がぼやける。それを悟られない様にセルジュはカーシュの首筋に顔を埋めた。



カーシュの未来に、僕の姿はない。



「カーシュ、好きだよ」


僕の言葉に、彼は無言で腕を持ち上げると、くしゃっと、僕の髪を少し乱暴に撫でた。







(了)


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