きすちょこ
「よう、そこのお嬢ちゃん!彼氏へのチョコは用意したかい?まだならウチで買って行きなよ!」 露店のおっちゃんが気さくに声を掛けてくる。が、余計なお世話だっつーの。 オレはさっさと露店の前を通り過ぎると銅像のある広場へ行く。 別にそこに用事があるわけじゃねえ。ただあの甘ったるい匂いの充満した空間から抜け出したかっただけだ。 「はあ…」 漸くマトモな空気を吸えた…。オレは壁に凭れ掛かると大きな溜息を吐いた。 今日は女にとって年に一度の大イベント…らしい。 女から男へチョコレートを渡して告白する行事らしいがはっきり言ってオレには理解できねえな。他のヤツらは何でチョコレートなんだ、とか何でこの日じゃねえと駄目なんだ、とか思わねえのかよ。別にチョコ渡す必要なんてねえし告白だっていつでも好きな時にすれば良いじゃねえか。 「女ってわかんねー…」 ってオレも女か。 「あら、キッド、そんなトコで何してるのよ」 「ん?ああ、レナか…何だ?その紙袋」 レナの持っていた手提げ袋の中をひょいっと覗き、予想通りの中身にオレは息を吐いた。紙袋の中には例に漏れず小奇麗にラッピングされた包みが幾つか入っていたのだ。 「みんなに配って歩いてんのよ。それよりグレン見なかった?」 「グレン?」 記憶を漁ってみるが今日は見た覚えはない。 「そう、ありがと。そう言えばキッドは渡さないの?チョコ」 「バーカ言うな。何でこのオレ様がそんなことしなきゃならねえんだよ」 ひらひらと手を振ってそう答えると、レナはふぅん?と首を傾げた。 「セルジュにあげないんだ?」 「仲間だと思っても男として見たことねえしな」 そう言って軽く笑うとレナは少し悪戯めいた笑みを浮かべた。 「やっぱりね。じゃあ、カーシュには?」 「は?!」 ちょっと待て。何でそこであの筋肉バカの名前が出るんだ?! 「だってカーシュと仲良いじゃない」 「仲良くねえ!」 どこをどう見たらそうなるんだ! 「素直じゃないわねえ〜…でも、早くしないとカーシュ、とられちゃうわよ?」 「だから!取る取らねえじゃなくて……ってアイツ、モテるのか?!」 あんな脳味噌まで筋肉になってそうな単細胞むががバカが?! 「何言ってんのよ!カーシュの顔、よく見てみなさいよ。バカっぽくてもかなりランク高いのよ?しかもそのバカさが良いってのがわんさかいるんだから!」 は〜、あんなのでもモテるんだな…感心しちまったぜ。 「感心してる場合じゃないでしょ!冗談抜きでモテるんだって!男女問わず!」 ………はい? 「アイツ男にもモテてんのか?!」 これは爆笑するべきなのか?それとも引くべきなのか…。 「ま、そういうわけだから、頑張ってね♪」 にこにこ笑顔のレナがオレの手を掴み、何やら握らせると「じゃあね〜♪」と去っていっちまった。 「……チョコレート?」 渡されたものは幾つかの一口サイズチョコレートだった。しっかりハート型に象られていやがる。詰め放題とかに良くあるアレだ。 「ちっ……」 余計な事をしやがって、全く…。 オレはそのチョコレートを皮袋に押し込むと、テルミナを出るために階段を降りていった。 「よっと…」 木の上から静かに降り立つと、キッドはきょろっと辺りを見渡した。 (よし、誰もいねえな) 木の根本から蛇骨館の壁へと素早く移動し、当たりの気配を伺う。 (四人……いや、五人か……) 警備兵の気配を察しながらキッドは慎重に移動していく。 今までに何度か侵入し、館内を把握したキッドは迷うこと無く目的の部屋の前まで辿り着いた。 (居なかったらぶっ飛ばすぞ) 居ない相手をどうぶっ飛ばすのかは知らないが、キッドにしては神妙な面持ちで軽くその扉をノックする。 「………」 暫し待ってみるが返答はない。 キッドは無性に腹立たしくなってきた。 (…こうなったら金目のモン頂いてやる!) 最早当初の目的と全く異なる目的を新たに掲げたキッドは、音を立てないようにその扉のノブに手をかけ、回していく。 どうやら鍵はかかっていないようだ。 (やっぱバカだな、アイツ) 薄く扉を開き、身を室内へ滑り込ませて静かに扉を閉める。すっと立ち上ったキッドは、視界の端に写った藤色にぎょっとして室内を振り返った。 (げっ…居たのかよ!) 部屋の主はベッドの上で寝こけていた。キッドはそろそろとベッドに近寄るとその寝顔をじっと見下ろした。 「………」 先程のレナの言葉が頭を過ぎる。今までよく見たことなど無かったから全く気付かなかったが、実際こうして見てみると、なるほどよく整った顔立ちをしている。 (それにしても、こんなヤツだったか…?) あの鋭い眼光が今は閉じられている所為か、何処と無く幼く見える。 翌々考えてみれば、自分のカーシュへのイメージは騒ぐか暴れるかの五月蝿いバカであり、そうであると思い込んでいた節がある。 「……」 キッドはそっとシーツの上に散らばる藤色の髪を摘まんでみる。 男の癖にダラダラと伸ばしやがって。 そう思っていたそれは自分の何の変哲も無い金髪と違い、部屋の明かりに反射して綺麗だった。 (女のオレよりさらさらしてんじゃねえよっ) 何と無くむかつきながら掴んでいた髪をシーツに落し、顔を覗き込んでみる。 「?!」 突然カーシュが目を覚まし、その深紅の瞳が自分を見た。キッドはそれに射られた様に身を震わせる。 「何の用だ?」 その声にはっとすると、キッドは慌てて身を起こした。 「い、いつから起きてやがったっ…!」 カーシュは気だるそうに上半身を起こすとぐっと大きく伸びをする。 「てめえが入って来た時から気付いてたさ。ノックの音で目は覚めたものの対応が面倒だったからな。放っておけば帰ると思ったら侵入してくるじゃねえか。誰かと思って寝たふりしてたんだよ」 つまりは先程の髪を触ったりしたのもばれていると言う事だ。 「じゃ、じゃあさっき…」 キッドが焦りを含んだ声でそう呟くと、カーシュはにやりと意地悪げに口元を歪める。 「夜這いにしちゃ早い時間だと思ったぜ」 「よっ?!夜這いってバカかてめえ!!誰がてめえにんな事するか!!」 キッドが声を荒げると、カーシュはひょいっと肩を竦めた。 「良いのか?そんな大声出して」 侵入した身のキッドははっとして口を噤む。カーシュはそれを可笑しそうに見ていたが、ふとドアへ視線を転じ、キッドがその視線につられてドアへ視線を向けた瞬間、ぐいっと強い力で腕を引っ張られた。 「ぅわっ?!」 目を白黒させているうちにキッドはカーシュのベッドの中へ押し込まれる。 「なにをっ…!」 慌てて起き上がろうとすると頭の上からシーツを被せられた。 「誰か来た。黙ってろ」 からかわれて頭に血の上っていたキッドは気付かなかったが、落ち着いて耳を澄ましてみれば確かに一つの足音がこちらへ向かって来ている。 『カーシュ様』 軽いノック音の後、男の声が聞える。カーシュは立ち上がると不審がられない程度に薄く扉を開ける。 「どうした」 「あの、カーシュ様への贈り物が…」 そう言って騎士は脇へ置いておいたらしい大きな紙袋を三つほどカーシュに見せる。その中身を見てカーシュは今日が毎年恒例の日だと思い出した。 「さんきゅ」 苦笑と共にそれを受け取って扉を閉めた。騎士は何やら言いたげだったが、カーシュは黙殺を決め込む事にした。 「…もう良いぜ」 ベッドの上の塊に声を掛けるとかなり不機嫌な表情をしたキッドがもそもそと這い出てきた。視線はカーシュの手元に注がれている。 「ん?どうした?」 「……凄え数だな」 「嬉しくねえワケじゃねえが…処理する方の身にもなれ」 カーシュは苦笑混じりにそう呟くと、テーブルの上へその紙袋を置いた。どの袋にも様々なラッピングが施された小箱が詰っている。 「ふぅん…」 ベッドの上で胡座を掻き、軽く唇を尖らせてそう言うとカーシュがベッドサイドに腰を下ろした。 「てめえはねえのか?」 「あ?」 何を言われたか理解できずにキッドが顔を歪めると、カーシュはさも当たり前の様に右手をずいっと差し出してくる。 「チョコ」 「何でこのオレ様がてめえに上げなきゃなんねえんだ!」 「じゃあ何で忍び込んで来たんだ?」 「うっ…」 ぐっと言葉を詰らせると、カーシュがにやりと笑った。 「ん?」 「う…うるせえ!!余計な事言ってっと月までぶっ飛ばすぞ!!」 キッドは腰に下げた皮袋を引っ掴むと力任せにカーシュに投げつける。 「おっと…」 顔面すれすれでそれをキャッチすると同時に扉が勢いよく開き、開いた時と同じように派手な音を立てながら閉められた。 「早え…さすが盗賊…」 半ば呆然としながらキッドの走り去っていった扉を見つめる。 「…ん?」 投げつけた拍子に皮袋の紐が緩んだらしく、中身が覗いていた。 「…ぷっ…」 その中身を見てカーシュは小さく吹き出した。 「全く、素直じゃねえな」 今ごろ顔を真っ赤にしながら全力疾走しているだろうキッドの姿を思い浮かべ、カーシュは楽しそうに笑みを洩らした。 2月14日(晴れ) 今日はバレンタインデーだった。俺は所詮ヒラの騎士なのでチョコレートは一つしか貰えなかった。まあ一つも無いよりマシだとは思うものの、少し寂しかった。しかも義理だった。 今年も意中のあの娘には貰えなかった。(どうやらゾア様にあげたらしい。ダリオ様やカーシュ様ならともかく、何故ゾア様なのだろう…俺は凄い趣味の娘に惚れてしまったらしい) 四天王たちの貰っている数は羨ましいを通り越してあの数をどう処理するのか気になる所である。特に今年はカーシュ様が凄かった。去年は行方不明だったダリオ様が帰還なされたと言う事でダリオ様宛てのチョコレートがそれはもう雪崩を起こすほどだったらしいが真偽のほどは分からない。 そして何故かマルチェラ様も結構な数を貰っている。蛇骨大佐もそれなりの数を貰っているようだ。マルチェラ様や蛇骨大佐はどうやら年齢層の高い女性に貰っていることが多い。 何にせよ、羨ましいことこの上ない。 それより、その膨大なチョコレートを先程カーシュ様の部屋へ届けて来た。午前中にも幾つかの紙袋を届けているのを見た。もう夕方になるが渡しに来る人は絶えないらしい。 そんなことより、今日は大変なものを見てしまった。 カーシュ様の部屋に若い娘が居た。 紙袋を届けた時、ちらりと一瞬だが室内が見えて何気なくベッドに視線を転じた時だった。(言っておくが別に怪しいことを考えたわけではない。視線上に自然と入る位置にあるから仕方のない事なのだ) ベッドに誰かが寝ていたのだ。 リデル様一直線だったカーシュ様のことだ。見間違いだと思ってもやはり気になってしまい、階段の影からこっそりと様子を窺ってみた。本当は扉に聞き耳を立てたかったが、カーシュ様に気配を悟られてしまうのを恐れ、階段の影にしておいた。 耳を澄ましていると、何やらどう聞いても女の声であろうそれが微かに聞えて来た。何やら怒鳴っているようだが聞き取れない。 すると突然扉が開き、何と二十歳も行かないだろう少女が飛び出して来たではないか。 少女は慌てている割には足音一つ立てずに走り去っていってしまった。 なんと、あのカーシュ様が少女を連れ込んでいた。リデル様のことはもう良いのだろうか。それとも自棄を起こして少女を騙しているのだろうか。いや、それは無い。カーシュ様は誰よりも正義感に溢れていらっしゃる方だ。(ここでダリオ様は?との声が上がりそうだがあの方を正直者と呼ぶのならカーシュ様は正義の神だ) きっとあの少女との出逢いでリデル様への想いを吹っ切り、新たな世界を目指しているのだろう。 それならば俺たちはそれを陰ながら祝福して差し上げなくては。一途さと真摯さを知っている我らが応援しなくてどうする。今度こそカーシュ様には幸せになって貰いたい。 こうしてはいられない。早速皆に伝えなくては。 (終) |