夢路より

 

 

 コン、コン…
「ん?」
 自室の扉をノックされ、カーシュはベッドから体を起こした。
 既に夜も更けており、他の仲間達は宿屋にて寝ている筈である。
「開いてるぜ」
 ベッドから降り立ちながらそう声をかけると、扉は軋んだ音を立てながら内側へと開いた。
「起きていたか」
「ダリオ…」
 扉の向うから現れたのは、三年前と同じ穏やかな笑みを浮かべた親友だった。ダリオは扉を閉めると「遅くにすまないな」とカーシュに歩み寄る。
「いや…どうしたんだ?」
「お前が家に帰ってきてると聞いてな」
 ほら、とダリオは持っていた小振りの酒瓶をカーシュの前に翳す。
「久しぶりに、どうだ?」
 そう微笑むダリオに、カーシュは苦笑すると肯定の言葉と共に酒瓶を受け取った。


 暫し昔話に花を咲かせ、一区切り付くとダリオは「そういえば」とカーシュを見る。
「どうしたんだ?急にここに戻ってくるなんて」
 再会してから一ヶ月ほど経つが、カーシュが自分からこの家に帰って来るなど初めてだったのだ。
「いや…戻ってきたわけじゃねえさ」
 「こっち側」の俺は死んでるからな。
 カーシュはそう苦笑してグラスの中で揺れる琥珀色の液体を眺める。
「親父達にどうしてもって言われてな…」
 息子を亡くしたザッパ達は世界が違えど自分達の息子であるカーシュに今日だけで良いからと引き止められてしまったのだ。最初は途惑ったカーシュだったが、セルジュやリデルに勧められては頷くしかなかった。
「…奇妙なモンだぜ。この部屋も、お前も、皆俺の知ってるモンと同じなのに違うなんてよ」
「カーシュ、」
「でもよ、」
 ダリオが何か言い掛けるがそれをカーシュは自分の言葉で押し留める。
「世界が違っても、お前が生きてて良かった」
 カーシュの世界ではダリオの遺体は発見され、霊廟で眠っている。
「酷い、有り様だった」
 あれから数日後に回収されたダリオの遺体は、高所から固い地面に叩き付けられたせいで腕や脚は有らぬ方向に折れ曲がり、鎧に覆われていないそこは獣によって所々食い荒らされていた。
「目が、開いてて…こっち見てたんだ……」
 ダリオの死に捜索隊の誰もが嘆き、中にはその悲惨な遺体を見て吐く者も居た。そんな中、逃げたくなるような感に襲われながらもカーシュはダリオのその濁った瞳を見詰めていた。
「俺を責めてるみてえだった」
「カーシュ、それは違う」
  俺自身がお前に斬られる事を望んだんだ。
 そう否定するダリオにカーシュは軽く首を横に振る。
「お前がそう思っていても俺にはそう見えた…きっと、俺自身の罪悪感がそう感じさせたんだと思う」
 カーシュは揺らしていたグラスを持ち上げ、静かに口を付ける。口内に流れ込んで来るアルコールを飲み下すと、胃の中で微かに熱が燻り出す。
「……なあ、カーシュ」
「ん?」
 カトンと音を立ててカーシュはグラスを置き、ダリオを見る。彼は先程までの柔らかな笑みを消し、カーシュをじっと見詰めていた。
「……俺は、今でもお前を愛している」
「………」
 カーシュは暫くダリオを見つめていたが、ふと視線を逸らして酒を煽った。
 グラスの中身が氷だけとなり、再びテーブルにグラスを置くと、一つ小さな溜息を吐いた。
「……「お前」の好きなカーシュはもう死んでいて……「俺」の知っているお前も、死んだんだ」
 ダリオは席を立つと、俯くカーシュの側に立ってその藤色の髪を一房掴む。
「髪、伸びたな」
「……」
 自分の髪に指を絡め、玩ぶダリオを見上げると、ダリオは少しだけ哀しそうに笑った。
「俺にとっては、お前はお前だ……」
 髪から指を離し、そっと頬に触れてくるその手を掴むと、カーシュはその手を合わせ、指を絡める。
「…相変わらず、でっけえ手、しやがって…」
「なあ、カーシュ。多くの共有する想い出があるのだから、世界の違いなんてほんの些細な事だとは思わないか?」
「ダリオ……」
 ゆっくりと顔を近づけ、受け入れるように顔を上げたカーシュの唇に己の唇を押し当てる。びくりと過剰な反応をするカーシュの唇を、歯列を割って口内に舌を侵入させ、アルコールの味がするそこを貪る。
「んっ………」
 逃げようとするカーシュの舌を絡め取り、時折角度を変えながら口内を蹂躪していく。
「…っは、ぁ……は…」
 深い口付けから解放すると、カーシュはその紅い眼を微かに潤ませ、ダリオを見上げてくる。
「……っ……」
 その魅惑的に揺れる緋の眼にダリオは自分の中で抑えが効かなくなるのを全身で感じた。
「愛してる……カーシュ…」
 もう一度口付けるとカーシュはゆっくりとダリオを抱きしめ、自分からそれに応えるように舌を絡めてきた。



「………ん…」
 ふと意識が浮上し、カーシュは薄っすらと眼を開ける。辺りはまだ薄暗く、遠くで鳥の鳴く声が聞えてきた。
「?」
 ベッドが狭く感じ、隣りを見るとそこには微かな寝息を立てているダリオの姿があった。
「あ〜……」
 意識のハッキリしない頭でカーシュは昨晩の事を思い出し、赤面しそうになるのを誤魔化すかのように軋む体を無視してシーツに顔を埋める。
「…カーシュ…?」
 間近で漏れた声にカーシュが顔を上げると、ダリオがこちらを見ていた。
「…よォ」
 気恥ずかしさからそれだけしか言わないカーシュにダリオは微笑むと、上半身を起こしてカーシュに被さる。
「んっ……」
 触れるだけの優しいキスをカーシュの唇に落とし、微かに頬を朱に染めたカーシュの反応にダリオはくすりと笑ってその体を抱き寄せる。
「まだ時間はあるんだろ?もう少し寝よう」
「…そうだな」
 カーシュは抱きすくめられながら再び訪れた眠気に、心を委ねた。



 それからどれくらいの時が経ったのか。フェイトを倒し、龍神を倒し…。
 セルジュ達と共に行動しながらも、暇があればカーシュはダリオの元を訪れていた。
 最早それが習慣と課し始めていたある日。
 とうとう最後の戦いだと、セルジュ達がオパーサを目指す為にテルミナを出ようとすると、その出口にはダリオが佇んでいた。
「よお、見送りか?」
「ああ。今日行くとリデルから聞いてな」
 駆け寄ってきたカーシュと、その後ろから付いてくるセルジュとマルチェラにに笑みを返しながらダリオは答える。
「ま、さっさと片付けてくっからよ」
「…ああ」
「ん?どうした?」
 何か言いたげなダリオの様子にカーシュは首を傾げるが、彼は「何でもない」と曖昧に笑うだけだった。カーシュは納得行かないような顔をしたが、数秒後には「そういや」と別の話を振ってくる。
「帰ってきたら手合わせしようぜ!」
 今度こそお前を追い抜いてやるぜと笑うカーシュ。
「何言ってんのよアンタ」
 勝てるわけ無いじゃないと舌を出すマルチェラ。
「んだとォ?!」
「何よ!」
「ま、まあまあ二人とも…」
 おたおたとしながらも二人を宥めようとするセルジュ。
 大きく、重要な戦いを前にしていると言うのに、この三人には緊張感と言う物が全く無かった。ダリオはそれに不安を抱く所か、寧ろこの三人なら例え敵が何であろうと勝てる気がした。
「んじゃ、行ってくらァ」
「ダリオ、行ってくるね!」
「ああ、頑張ってこい」
 漸く睨み合いを収め、カーシュとマルチェラはダリオに背を向ける。セルジュはダリオに軽く一礼すると、再び睨み合いを始めそうな二人の横に並んで歩き出した。
「………」
 ダリオは小さくなっていくカーシュの後ろ姿に軽く片手を上げ、「またな」と見送った。そしてその後ろ姿が見えなくなる前に、ダリオは踵を返して街の中へと戻っていった。



 時を食らうものは砕け散り、光の欠片となって消えていった。在るのは満身創痍のセルジュ、マルチェラ、カーシュ。
 そして、サラ。
 闇の中に佇むキッドに酷似したその少女は、口を開く事無く言葉を伝えてくる。
(記憶を失う…?)
 カーシュはサラの声に顔を顰める。
(…何抜かしてんだ、このガキ…)
 冗談じゃねえ。カーシュはぐっと拳を固める。
 セルジュと出会って、様々な事があった。良かった事も、悪かった事も……今までの倍以上の速さで時が駆け巡っていったと言うのに。
(それを、忘れちまうってのか?!)
 ふと気付く。
(ダリオ……)
 蘇る、別れ際の彼の曖昧な笑み。
(お前、もしかしてこうなる事…気付いてやがったのか…?)
 最後なのだと言う事を………きっと、気付いていたのだろう。
(昔から勘も鋭かったしな…)
 自分自身は、この最後の戦いが終ってもダリオに逢えるものなのだとばかり思っていたというのに。
――帰ってきたら手合わせしようぜ!
 改めて痛感する事実。自分とダリオが違う世界の人間なのだと言う事を。
(すまねえ…俺、帰れねえ……)
 結局、最後まで俺はお前に勝てなかったな。
 カーシュは苦笑してセルジュとマルチェラを見る。
「…きっと今度逢う時はもっと大きくなってるから!…またね、セル兄ちゃん!」
「うん、うん…またね!」
 にっこりと笑って、泣きそうな声をしたセルジュに手を振りながらマルチェラは消えていった。カーシュも全身が風に包まれる様な感覚に囚われ、自分に残された時間が僅かだと言う事を知る。
「――なんか、色々あったけどよ、お前と一緒に居ておもしろかったぜ。もう二度と会えねえかもしれないけどよ……へッ、元気でな小僧…いや、セルジュ…」
「カーシュ…二度と逢えないかもなんて言わないでよ…!」
 セルジュは泣きそうになるのを抑えた表情で「絶対、絶対また逢おうね!」と叫んだ。カーシュはそれに苦笑すると頷き、薄れゆく意識に目を閉じた。





 テルミナの霊廟に、一人の男が佇んでいた。片手には青リンドウの花が幾つか握られている。
「…久しぶりだな、ダリオ」
 カーシュは持っていた青リンドウを剣の突き刺さっている根本に添える。
「……夢を、見たんだ。お前が生きていた夢を……都合の良い夢を見たもんだぜ」
 肉体はこン中にちゃんと埋まってるってのにな。
 カーシュは一人心地そう呟くと、どっかと腰を下ろして胡座をかく。
「なァ、ダリオ…俺よ、お前の夢見る度ビク付いてたんだ。お前が責めてる気がしてならなかった」
(……だけど、今は……)
 青リンドウの花が風に揺られ、花弁を数枚散らしていく。

 今は亡き、お前。
 何故か今は責められている気がしない。
 寧ろ、彼はあの穏やかな笑みを浮かべて自分を見守っているようで…。

 カーシュは風に靡く髪を掻き上げ、微かに憂いを含んだ笑みを浮かべる。


――……俺は、今でもお前を愛している


 聞いた筈の無い囁きが、ほんのりと蘇った。








(終)

+-+◇+-+
この作品はダリカーアンソロ、「剣ニ想イヲ」に寄せたブツです。
いつの作品だっけコレ…余りにも昔過ぎて…ああ二年前だ…あー………
読み返せませんでしたゴメンナサイ。(倒)
なのでなーんにも手直ししてないです。誤字脱字とか言い回しとかおかしいのがあっても見て見ぬふりして下さい。
つーことで逃亡。(脱兎)
(2002/12/02/高槻桂)

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