大きな足跡を辿る小さな足跡




『子供なんて要らないからあの人を返してっ!!』
きっちりと扉が閉じられていても微かに聞えてくる女の声に、アーロンは視線を伏せる。

――せめてよ、ガキとかーさんが仲良くやってりゃ嬉しーんだけどよ…

ガガゼトを抜け、眼下に広がる廃都・ザナルカンドを見渡しながらそう笑っていたジェクト。
彼の、そのささやかな願いは叶う事が無く、引き裂かれる幼子の心。
彼の息子は、ティーダは、どんな表情をしているのだろうか。
よく泣く、とジェクトは言っていた。実際、今日も泣いていたようだった。
また、泣いているのだろうか。
母としての在り方を投げ捨ててしまった女のヒステリックな叫びで切り裂かれながら、その大きな両の眼から涙を流しているのだろうか。
座るでもなく立ち尽くしながら、アーロンが居た堪れない思いに駆られているとパタパタと子供の足音が聞えてくる。
「……」
俯き加減で入って来た少年は、アーロンの予想に反して泣いていなかった。
否、泣きたいのだろうが、それを必死で我慢しているようだった。
「ティーダ…」
名を呼んでみたものの、そこから続く言葉が思い浮かばず言い淀んでいると、それを遮ってティーダが口を開いた。
「ねえ」
声が、震えている。
「出てくなら、早く出てって」
きっと俯いた瞳には今にも零れ落ちんばかりに涙が揺らいでいるだろうに、それでもティーダは必死で耐えていた。
「早く、出てけよっ」
赤の他人の前では出来得る限り泣かない。
それが、この少年なりのプライドなのだろう。
「……」
ティーダの目の前まで、たったの一歩。
その差を縮め、アーロンは少年の前に片膝を着いて視線の高さを合わせてやる。
「…お前さえ良ければ、もう一晩泊めてもらえまいか」
自分で耳にするのも初めてだと思うくらい、努めて優しい声音でそう告げると、少年は涙いっぱいに溜めた青の目を微かに見開いてアーロンを見た。
「……っ…」
そして、くしゃりとその顔を歪めると、飽和状態になった目元の涙をとうとう溢れさせてアーロンにしがみ付いた。
「ティーダ……」
僅かに声を洩らしながらも、それでもそれを殺そうと泣く子供。
子供らしからぬ泣き方にアーロンは益々居た堪れなくなる。
母さん、とか細く途切れながら、絶対にして最愛の名を呼ぶティーダ。
この時初めて、アーロンはこの少年を守りたいと思った。
ジェクトとの約束だからではなく、アーロン自身の願いとして。
ティーダを守りたいと、心から、そう思った。




朝の気配に意識を引き戻され、アーロンは目を覚ました。
ベッドサイドに持たれるように座ったまま眠り込んでしまった所為か、関節が軋んだ。
「……」
アーロンはベッドの上で丸くなっているティーダを起こさない様、そっとハニーブラウンの髪を梳いてやる。
その両の瞼は腫れぼったくなって、一目で泣いたとわかるそれとなっていた。
あれから、アーロンの腕の中で泣き付かれて眠ってしまったティーダをベッドに移し、アーロンはその頼り無げに投げ出された小さな手を握っていてやった。
その温もりに安心したのか、ティーダは夢に魘される事も無く、昨夜の事など嘘だったかのように穏かな表情で朝を迎えていた。
「…ん……」
やがて、もぞりと小さな体が身動きし、その幾分重くなった瞼から空色の瞳を覗かせた。
「…ぉはよ」
ぼそぼそとした朝の挨拶。
「ああ」
「…今日は部屋、行くんでしょ?おれ、案内してあげる」
のそりと気だるげに起き上がり、昨夜の事を考えたくないのだろう、決してそれを口にせず、敢えて関係のない事柄を口にするティーダ。
「…そうだな、頼む」
そう応えると、ティーダはもそもそとベッドから起き出してドアへと向かった。
「ちょっと待ってて」
そう言い残してティーダは部屋を出たが、暫くして戻って来た。
「母さん、居ないから大丈夫」
そう報告してくるティーダに、彼の母が朝早くから出掛けるのを気配で察知していたアーロンは、知っている、と頷いた。
「挨拶に行ったんだと思う。父さんを捜すお金、出してくれた人とか、色んな人」
アーロンが背後に付いて来るのを感じながら、キッチンへ向かう。
「すぽんさーっていうの?良くわかんないけど、父さんを捜す為に色んな人がお金を「キフ」してくれてさ」
スタジアムでも募金をやってた、とビニル袋から厚切りにされた食パンを二枚取り出してトースターに放り込む。
「だから、ウチのお金、殆ど使ってないの。本当なら今頃借金だらけだってさ。だから、そのお礼言いに行ってる」
それ取って、あれも取って。
アーロンに彼是と言いながら自分はベーコンを炒め、卵を焼いてベーコンエッグの制作。
隣りのコンロではミルクパンでコーンスープを温める。
出来上る頃にはトーストも出来上っていて。
冷蔵庫から母が作り置きをしていったシーフードマリネを取り出してラップを取る。
「足りる?」
それぞれを器に盛り付けて男を見上げると、構わん、とだけ返って来る。
ならこれで良いかと椅子に座り、二人揃って食べ始めた。
「……」
黙々とそれらを咀嚼し、嚥下しながらティーダはちらりと向いに座る男を見遣る。
「…何だ?」
それに気付いたアーロンが視線を上げる。
「…んーん、何でもない」
ふるっと首を振って再びパンを齧る。
こうやって誰かと食事をするのは久しぶりだった。
そう言えば昨日も一緒に食べたな、と思う。
「……」
カリ、とベーコンを齧る。
昨日と同じく、変な朝だな、と思う。
得体の知れぬ男と向かい合って食べる朝食。
普通の家庭ではまずないだろう光景。
けれど。
二人で食べる朝食は、とても美味しかった。





(アーロンさん、この頃はまだ髪長いのよね…いやだから何だと言われても続きます)



(2002/04/17/高槻桂)

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