大きな足跡を辿る小さな足跡
「はい、ええ、わかりました」 会話が終わり、回線の向うで相手が通話を断ち切ると同時にアーロンは溜息と共に受話器を下ろした。 ティーダと暮らすようになって一週間。スフィアホンやキッチン、セキュリティシステムなど、最低限の機械の使い方を漸く覚えて来た頃、一本の電話がアーロン宛に掛かって来た。 ティーダの通うジュニアスクールからだ。 ティーダに何かあったのかと思い担任を名乗る女性から話を聞くと、どうやらティーダはこの所ずっと学校へ行っていないらしい。 けれどもティーダは毎朝アーロンと朝食を食べ、学校指定の鞄を手に出掛けている。 では毎日夕方まで何処へ行っていると言うのか。 「……さて」 アーロンは家を出るとドアに設置されたセキュリティパネルに途惑いながらもキィを打ち込む。 するとピン、と電子音が響いてドアロックされた事を知らせた。 この街は機械仕掛けの街だ。こればかりはどうしようもないと思いながらもやはり馴れる気配が無い。 アーロンは小さく溜息を吐いた。ジェクトの所為で多くなった溜息が、ここへ来て更に多くなったと痛感するこの頃だ。怒鳴ろうが実力行使に出ようがお構い無しのジェクトと違って、彼の息子は聞き分けが良いのがせめてもの救いだ。 「………」 船形の家を一歩出てすぐに立ち止まる。 探しに行く、といってもアーロンはティーダが何処へ行くかなど全く見当が付かない。 地理感はこの数ヶ月で何とか掴めてきてはいるものの、それでも何処へ行けば良いかとなるとさっぱりだ。 だがいつまでもここにいても仕方が無い。 アーロンはとにかく当たって砕けろ根性で捜す事にした。 今となってはティーダとアーロンぐらいしか歩かない桟橋を抜け、街へ一歩入った所で一人の女性に声を掛けられた。 「あら、ティーダの所の」 その声にアーロンはぺこりと会釈を返す。すらりとした、女にしては身長の高い女だ。僅かに釣り上がりがちの眼が少々きつい印象を与えている。 この女性は所謂「お隣さん」だったが、ティーダの家は他の家からは離れ小島にあるため、アーロンがその認識を殆ど抱いていないのは仕方ないだろう。 「…その…ティーダが良く行く所とか、知りませんか」 それでもアーロンが歩み寄りを見せたのは、この隣人とティーダの仲が良い事を知っていたからだ。 「ティーダ?そうねえ…妹なら何か知ってるかもしれないわ。ちょっと待っていて頂戴な」 そう言って彼女は自分の家へと入って行き、すぐに妹を呼ぶ彼女の声が微かに聞えて来た。 この家には三人の姉妹が暮らしている。先程話していた女性は次女のレミだ。 長女がナタナ、二人とは少々年の離れた三女がラグ。 さしてティーダと共通の話題が有るようにも見えない彼女らだが、それでもアーロンが来る前まではティーダは頻繁に三人と出掛けたりしていたようだ。 その中でも特に仲が良いのはやはり歳の近いラグだった。 彼女は何か事情でもあるのかまず人前に姿を見せないらしい。 学校にも、家の敷地外にも出る事は無い。けれど、どうしてだかティーダと姉二人が一緒なら家から出掛けるのだとティーダが言っていた。 「お待たせしちゃったわね。ほら、ラグ」 彼女は自分の後ろに隠れている少女の手を引いてやってきた。 「……」 そろっと姉の陰から覗く少女がラグなのだろう。じっとアーロンを見詰めてからぽつり、と言葉を洩らした。 「…海…」 「海?」 アーロンが鸚鵡返しに問うと、ラグはこくんと頷いた。 「ティーダ、お母さん死んじゃったから、海にいる」 容量の得ないその答えに、アーロンが問い質そうとする前に少女は姉の手を振り払って家の中へと引っ込んでしまった。 「あの子ったらホント人見知りが激しいんだから。ごめんなさいね。でもあの子が海って言うならきっと海にいるわよ」 「すまない」 アーロンはもう一度会釈をして、手を振るレミに背を向けて歩き出した。 (母親が死んだから、海にいる?) 関連性のよくわからない助言だったが、少なくともこれでまず行くべき所が決まった。 またティーダの事を何も知らない自分が闇雲に捜すより、少年を良く知る少女の言葉の方が余程重みが有った。 こんな所にティーダは本当にいるのだろうか、と思う。 海を手がかりに、とにかく近辺の人口浜から始まり港や防波堤まで探し回ったがティーダの姿は見当たらない。 他を捜すべきかと思い始めた時、そう言えばと先程声を掛けた男がアーロンを振り返った。 「ちょっと行った所に廃港がある」 その男の言った通り、少々入り組んだ細道を抜けた先には放置されて久しい港跡があった。 彼方此方に放置されたコンテナや今にも崩れそうなガレージ。 子供が遊ぶには危険だろうその場所に、ティーダがいるとは思えなかった。 徒労かと引き返そうとした瞬間、アーロンは己の足元に気付いた。 「これは…」 ガレージの中は棚や壁は勿論、床にも大量の埃や砂が積もっている。 そこに、自分以外の足跡が彼方此方に付いているではないか。 しかもその足跡はアーロンのそれより遥かに小さい。 アーロンは辺りを見回した。ティーダではないかもしれない。けれど、少なくともここに出入りしている子供がいると言う事は確かだ。 だがガレージ内に気配はない。アーロンはガレージを出ると桟橋の方へと向かった。 (あれは…!) ハニーブラウンの髪をした少年の姿にアーロンはその名を呼ぼうとし、少年の現状に目を見張った。 少年が持っていた鞄は桟橋に放り出され、彼の靴も靴下も同じような有り様だ。 そしてその持ち主であるティーダは、その水面に、立っていた。 支えも無く、沈む事も無くティーダは海の上で何やら棒を振り回していた。 その辺に何本も転がっている鉄パイプの一本だろう。それをくるくると回している。 何か一人遊びかと思い、一つの答えに行き当たった。 否、これは。 (異界送りだ) 昔、一度だけブラスカが舞って見せてくれた事がある。 異界送りの舞いの「原形」。 異界送りの舞いは召喚士に寄って様々だ。寺院で教えられる異界送りの舞いはあくまで流れを教える為の基盤であって、召喚士は自分が舞いを円滑に行なえる様、やり易い様に創作して振りを変えていく。 原形のままではならないという規定はないが、まず大抵の者が自己流に変えていく。 だが、今アーロンの目の前で歳僅かな少年が行なうそれは、たどたどしくもブラスカの見せた原形そのものだった。 「っ…」 ピリ、と体の輪郭が揺れる。 死人となったアーロンの肉体は幻光虫の塊だ。 舞いに体が反応している。 異界送りの舞いは、資質の無いものが舞っても何も起こらない。 だが、現にアーロンの体は僅かながらとは言え異変を来している。 もし、ティーダがスピラに生まれていたら、彼は召喚しになり得ただろう。 けれど、これ以上は危険だ。自分自身だけでなく、このザナルカンド自体が幻光虫の塊だ。これ以上はこの街に影響を出さないとも限らない。 「ティーダ!」 遠目でも分かるほどびくりとして少年は棒を海の中へと取り落とした。 その瞬間に意識が逸れたのだろう、驚いた表情で振り返ったティーダの体はとぷんと海の中へと落ちた。 「ティーダ!!」 アーロンが慌てて桟橋へ駆け寄ると、ティーダは軽い掛け声と共に海の中から桟橋に上がって来た。 ばたばたと少年の体から海水が流れ落ちて乾いた桟橋に水溜まりを作っていく。 「バレちゃったんだ?」 アーロンがやって来た理由を察し、さして悪びれる素振りも無くティーダは肩を竦めた。 「担任から電話があった。学校に行って無いそうだな」 「うん」 「行く気が無いのなら通信制に変える事も出来るそうだが、どうする」 てっきり説教が飛んでくるものだと思っていたティーダはきょとんとしてアーロンを見上げた。 「…怒んないの?」 ティーダの言葉にアーロンはいや、と小さく首を振った。 「怒って欲しいのか?」 「やだ」 苦い顔をして即答される応えにアーロンは苦笑する。 この世界の価値観は未だよくわから無いが、それでもティーダのやっている事は怒られる部類なのだろう。けれど、ティーダが学校へ行かなくなった恐らくの理由も担任から聞いている。 いつの時代も、どんな形であれ力を持てば振りかざしたくなる。子供は得にそれが顕著だ。 ティーダの場合はジェクトの息子という事への嫉妬もその増長剤となっているのだろう。 苛められる方が悪いなどという恐ろしく馬鹿げた価値観を持っていないアーロンにとって、これは叱るべき事ではなく、話し合うべき事だと理解していた。 「お前の好きにすればいい。ただし、学校へ行くか、通信制にするか、ということだぞ。どっちも無しは却下だ」 「了解ッス」 こくこくと頷いた少年に、それと、と先程より幾ばかりか真剣みを帯びた声でティーダを見下ろす。 「何処で異界送りを習った」 「へ?」 この街に召喚士も寺院も何も無い筈だ。 一体誰に教わったのだろう。 だが、返って来たのは先程より更にきょとんとした声だった。 「イカイオクリってなに?」 「……お前がさっきやっていたヤツだ」 アーロンの言葉に、ティーダは知らない、と首を振った。 「よくわかんない。でも母さんが死んだからやるんでしょ?」 このザナルカンドで死んだものの魂が何処へ行くのかはわからないが、恐らくそのまま異界へ行くか、スピラに落ちて魔物へと化すのだろう。 ティーダの母が死んでから既に日が経っている。 今更の異界送りは無意味だ。 「母親が死んだらやるのか?それは、誰に教わった?」 その問いにもティーダは首を傾げた。 「知らない。何となくそう思ったから」 「では質問を変えよう。どうして水の上を歩こうと思ったんだ」 普通の人間だったら水の上を歩こうなどとは思わない。それは子供大人関係無しに、水の上には立てないという認識があるからだ。 「だってアリスが俺なら出来るからって」 「アリス?」 初めて聞く名にアーロンが訝しげな顔をすると、ティーダははっとして首を横に振った。 「学校の友達か?」 「ううん、何でもない」 「…隠す必要があるのか?」 「……誰にも言ったらダメって、言われてるから」 言わないと約束でもしていたのだろうか。それを違えてしまったらしい子供は唇を尖らせて俯いている。 けれど、誰にもその存在を明らかにしてはなら無いと約束させるとはどういうことだろう。 名前からして女であろうと察する事は可能だが、ティーダが口を閉ざしてしまった以上名前以上の事を知る事は出来ない。 こちらは追々聞き出すとして、アーロンはティーダに言い聞かせるように言った。 「ティーダ、先程の舞いはもうやるな」 「どうして」 「あの舞いには特別な意味がある。だから、もうやっては駄目だ」 子供は暫し首を傾げていたが、わかった、とこっくり頷いた。 「もうやらない。アーロンと約束する」 指切り、と差し出された小指に、アーロンは苦笑しながら己の小指を絡めた。 (2002/06/11/高槻桂) |