大きな足跡を辿る小さな足跡





いつもの様に我が子の歌に導かれ、彼はその姿を海面に現わした。
果たしてそこに我が子はいた。けれど、いつもと違って少年の表情は暗い。
どうしたものかと思いあぐねていると、あのさ、と少年が口を開いた。
「アリスがね、もうここに来たらダメだって」
哀しそうにそう告げる少年に、彼は全てを察した。
祈り子達が騒いでいるのは知っていた。
「シン」がザナルカンドの海でその身を癒すのは日常だったが、たった一人の為に頻繁にその姿を曝すなど、「シン」に有るまじき行動だ。
しかも元はこの夢のザナルカンドの民であった彼が「シン」となった事で祈り子達はこの街への影響を危惧している。
これ以上の危険因子を放置するほど彼らは呑気じゃない。何らかの形で接触を断たれるとは思っていたが、とうとうその時がやってきた、ただそれだけの事だ。
「俺、アンタの事、忘れちゃうんだって」
ごめんなさい、と顔を泣きそうに歪める子供に、気にするな、と思う。
仕方の無い事なんだ。
僅かな間だったけれど、お前に会えて良かった。
「俺、忘れちゃうけど、アンタの事、大好きだよ。ホントだよ」
ありがとう。
お前と向かい合うこの異形が己の父だと知ったら、きっとお前はそんな言葉は掛けてくれないだろう。
けれど、大切な思い出として。
自分が、自分である為に。
心まで「シン」にならない為に。
いつか迎えに来る、その時まで。
「バイバイ」





結局、ティーダは通信制の話を蹴って再び学校へ行き出した。
周りからの苛めは相変わらずだったが、ティーダはもう歯牙に掛けなかった。
両親を失い、大人の醜い部分を見せ付けられて過ごした日々が皮肉にも少年を成長させたのだ。
「ティーダ、帰ろう」
声を掛けて来たのは、隣りのクラスのニーニョという名の少年だ。
浅黒い肌に短い銀の髪。
唯一、ティーダが「学校の友達」と称する人物だ。
「おう」
授業用コンピュータの電源を落し、ティーダは鞄を手に立ち上った。
「ティーダ君」
二人並んで教室を出た所でティーダは呼び止められた。
「サリ先生」
担任の女教師が出席簿やら幾つか抱えてながらこちらへやって来た。
サリはその整った顔立ちから、大抵は生徒に近寄り難い印象を持たせる女性だ。
けれど、接する内にとても親身になってくれる優しい教師だと誰もが察する。
ティーダもその内の一人で、サリは数少ない好感の持てる先生だった。
「どーしたんスか」
テストの点でも悪かったんじゃないの、と余計なツッコミを入れるニーニョに肘鉄を食らわせると、サリはくすくすと笑って違うわよ、とそれを否定した。
「アーロンさんに宜しく言っておいてって言おうと思ったのよ」
「アーロンに?」
「これから懇談とかで顔を合わせる事もあると思うから」
そういうサリにティーダはわかった、と肯く。
「それじゃあ、先生また明日ッス」
「気を付けてね」
ティーダはサリにぶんぶんと手を振って、ニーニョと共に正面玄関へと向かった。



「!」
もう少しで分かれ道だという所で突然ニーニョが立ち止まった。
「ニーニョ?」
緊迫した表情で道先を見詰めるニーニョに、ティーダが訝しげにその視線を追うとそこには一人の長身の男がこちらへ向かって歩いて来ていた。
「??知り合い?」
知り合いだとしても良い関係でないだろう雰囲気だったが、その男もニーニョと同じ銀髪だったのでやはり知り合いか何かだろうかと思ったのだ。
確かに男の髪も銀髪だったが、仄かに灰色掛かったニーニョの銀髪とはまた違った、雪の冷たさを感じさせる白銀で、男は黒のタートルネックシャツに同じく黒のズボンを身に纏っており、腰まである銀髪が一層その存在感を示していた。
「ティーダ、学校へ戻ろう」
ぼそりと、まるで相手に聞かれたくないような低い言い方に状況の飲み込めていないティーダは首を傾げる。
「??わかった」
事情は良く分からないがとにかくニーニョにとってあの男は会いたくない相手らしい。
ティーダがそう頷くと同時にニーニョはその手を取り、一気に駆け出した。
「うわわっ!」
縺れそうになる足を必死で動かし、ティーダは引かれるまま走る。
だが、それも長くは続かなかった。
「うわっ?!」
後方からぐいっと強い力で腕を引かれ、ティーダは足を止めざるを得なくなる。
「ティーダ!」
ティーダが己の腕を捉える男を見上げると、男はエメラルドグリーンの眼で無表情にティーダを見下ろしてくる。そこに至って漸くティーダは自分が掴まったのだと気付いた。
「ッ…誰か呼んでくる!」
只の子供が大の大人に適うわけが無いと知っている少年は身を翻し、駆け出していった。




リビングで本を読んでいたアーロンの前に、何処からとも無く一人の少年が降り立った。
『アーロン』
「お前は…!」
忘れる筈も無い、紫のフードを目深に被った半透明の少年。
『アーロン、ティーダの元へ早く』
珍しく緊迫した声音にアーロンは即座に立ち上り、自室へと駆け込んだ。
「ティーダがどうかしたのか?!」
クローゼットの奥から己の愛剣を取り出しながらアーロンが問う。
『あの子に彼を近づけてはならない』
「彼?」
家を飛び出し、祈り子の案内でティーダの元へと急ぐ。
幾つかめの角を曲がった所でティーダと彼の手を掴んだ銀髪の男が視界に入った。
「ティーダ!」
アーロンの声に二人がこちらを向く。
「アーロン!」
とん、と地を蹴り、一気に間合いを詰める。
だが、流石にこの街で殺生は行なえない。
アーロンは男の首ぎりぎりの所で剣を止め、男に鋭い眼光を浴びせ掛ける。
「何者だ」
だが、男はアーロンの気迫に押される事なくエメラルドグリーンの眼をアーロンに向けた。
嫌な眼だ、とアーロンは直感的に感じる。
無機質な、爬虫類の様な感情の伺えないその眼。
「その子供を寄越せ。その子供は「メテオ」を呼べる。俺は「メテオ」に乗って現実の世界へ渡る」
「!」
アーロンは目を見開いて男を見る。
この男はこの街が夢の街だと知っている。
何故知っている。
そして、彼の言う「メテオ」とは「シン」の事だろうか。
だとしたら、辻褄が合う。
今の「シン」はジェクトだ。ティーダが呼べば、若しかしたら姿を現わすかもしれない。
だが、それにはまだ、
「まだ早いんだって」
「!」
見下ろすと、ティーダが恐る恐ると言った表情で男二人を見上げていた。
「えっと、今は時が満ちてないから行けないんだって」
おどおどとそう告げる言葉に、男は微かに眉を寄せ、忌々しげに呟いた。
「セトラの女か」
男は喉元に突き当てられた剣から一歩引き、そのまま身を翻して立ち去ってしまった。
「ティーダ、さっきのはどういう…」
先程のティーダの言葉を問い質そうと見下ろした途端、ビーッ!と耳障りな電子音が二人の耳を襲った。
「そこ!何をしている!」
この街の住人なら誰でも知っている濃紺の制服にティーダは「ポリスだ!」と声を上げた。
事情を知らない人間が見れば、どう見ても大剣を担いだ男が少年を誘拐しようとしている図にしか見えない。
「アーロン逃げよ!!」
「え、あ、ああ…」
言われるがままにアーロンはティーダを抱えてその場を走り去る。
先程のティーダの言葉は、結局有耶無耶にされてしまった。







(2002/06/11/高槻桂)

戻る