大きな足跡を辿る小さな足跡





夜の所為だけでなく、辺りは静まり返っていた。
今このドームには街の人々が集結していると言うのに、辺りを包むのは重く悲愴な空気だけだった。
「あ…」
ドームの奥から一人の男がやってくると、一人、また一人と彼を呼び、腰を浮かす。
「召喚士様!」
「我らはどうすれば良いのですか?!召喚士様!!」
何千、何万もの人々が彼に縋るように声を張り上げる。
「……」
静まれ、と男が右手を挙げて示すと、それだけでドーム内はしん、と再び静けさを取り戻した。
それ程、彼ら民にとってこの男は絶対的存在だった。
「…三時間後、ベベルは最終砲火を開始するとの通告があった」
男の、低く張りのある声に、ざわめきとも悲鳴ともつかぬ声が上がる。
「それまでに降伏すれば良し。さもなくば、全兵力を以てして殲滅す、と」
そなたらはどうしたい、との問い掛けに人々は戸惑いの波に揺られた。
召喚士様は、とどこからか声が上がる。
召喚士様は、どうなさる御積もりで、と。
「……私は、勝ち負けはどうでも良い。だが……この街が滅びるのだけは、堪えられぬ…」
視線を伏せ、哀しげに告げる男に、私もです、と声が上がった。
「自分も、この街が好きです!負けてもいい。だけど、だけどこのザナルカンドが無くなるのは嫌だ!」
「私もです召喚士様!この街は私たちが育て、育てられた街です!降伏すれば、以降、ベベルの法に従わねばなりません。あんな、私達と相反するやり方を受け入れることなどできません!!」
次々にそう声が上がり、割れんばかりにドーム内に声が響き、それも男の手により静められる。
提案がある、と。
「ベベルへ下る者はそれで構わない。私はここに残り、この街を…召喚しようと思う」
我らが祈り子となり、ベベルの手の届かぬ場所にこのザナルカンドを作るのだ。
「そんなことが、可能でしょうか…」
皆の思いを代表してそう告げる老婆に男は頷いた。
「我が秘術により。ただ、街を召喚するとなると、多くの祈り子が要る。これは、そなたら民の協力無くしては適わぬ事」
そして男はドームをぐるりと見回し、もう一度問うた。
どうしたい、と。
「……私は、貴方様に付いてゆきます!」
「今一度、昔のように平和なザナルカンドで暮らせるのなら…召喚士様、私は喜んでこのザナルカンドの祈り子となりましょう!」
ザナルカンド万歳!
歓声に包まれた男は、自分に付いてきてくれる民に、深々と頭を垂れた。




霊峰ガガゼトの頂に民はその身を預け、男の秘術によって次々と祈り子となっていった。
全ての民が祈り子となり、あれだけざわめいていた人の気配が、今はたったの二つ。
一人は男自らの気配。
「…とうさま」
そしてもう一つは、まだ十の歳を幾つか過ぎたばかりの彼の息子。
「おいで」
彼が微笑んで腕を差し延べると、少年はほっとして父親に駆け寄った。
「父様、みんな死んじゃったの?」
不安げに見上げてくる息子を抱き上げ、いいや、と男は首を振った。
「みんな、安全な所へ行ったんだよ。お前もこれから行くんだ。また、前のように戻るんだ」
「もう怖い戦いは起こらない?みんな仲良く遊べる?」
「ああ、勿論だ」
なら行く、と頷く息子を抱え、男は祈り子群像の最深部へと向かい、そこへ少年をそっと寝かせた。
「父様は?」
冷たい岩肌が不安を呼び覚ましたのだろう。再び不安げに問うてくる息子を宥める様に、男は少年の髪を撫でてやる。
「大丈夫、すぐ行くよ」
「姉様やゼイオン様も?」
「勿論だとも。さぁ、目を閉じて…」
父親の言葉に安心した子供は、にっこりと笑ってその青の瞳を閉じた。
「おやすみ」
その瞼にキスを落し、男は呪を唱える。
すると見る間に柔らかな少年の全身がまるで蝋人形のように冷え固まっていき、ガガゼトの岩肌と半ば程まで同化した。
「……」
男は祈り子となった幼い息子の頬を一度だけそっと撫で、立ち上がる。
そして、最上級の祈りを多くの民に贈ると、踵を返してその場を後にした。
「ベベルよ、この戦、そなたらの勝ちだ。だが、我らが愛する街はそなたらのものにはならぬ。この街は我らの街であり、我らは、最期までこのザナルカンドの民だ。それを汚す事、罷りならぬ」
祈りの群像を背に、男は召喚杖を構えた。
「遥か昔、この聖なる地に封じられた黒き力。私が編み出しし禁呪により解き放とう」
意識を集中し、杖を振る。
膨大なる暗き力を解き放つため、それを押さえつける白き力の鍵を開けた。
「ぐっ……」
白き力の抑圧が揺らぎ、抑え込まれていた黒き力が溢れ出す。
男はそれを必死で御し、禁呪を紡いでいく。
この術が成功すれば、否、失敗してもこのスピラに多大なるダメージを負わせる事になるだろう。
(それでも、我らにはこの街が全てなのだ)
「!!」
呪を唱え終わった途端、徐々に増していた力が一気に解き放たれ、辺り一面闇に染まった。
「成功、したのか…?」
未だかつて誰も行なった事の無い禁呪だ。どうなれば成功で、どれが失敗なのかなど、わかる筈も無い。
「…幻光虫が…」
闇を見回していると、ふわり、ふわりとあちらこちらから幻光虫が湧き出始めた。
それも一つ二つの騒ぎではない。何千、何万、数え切れないほどの幻光虫が男の視界を埋め尽くした。
やがてそれは見る間に男の体を取り巻くように集まり、固まっていく。
「ぅ、あああ!!」
幻光虫の群れはあっという間に男を飲み込んで膨れ上がり、その姿を変えていった。



闇が消える頃、ザナルカンドの上空には巨大な魔物が一頭、その姿を曝していた。
その魔物はベベルに、スピラの民に己の存在を示すように空へ咆える。
すると、祈り子群像が淡い碧の光を放ち始め、その生まれたばかりの魔物は召喚した。

彼が愛した、ザナルカンドを。




ベベルの兵は、否、スピラ中の民が、突如として現れた魔物に驚愕し、後悔に囚われた。
ほらみろ、とベベルを非難する声も上がる。
ザナルカンドを支配しようとするからだ、と。
世界の理に通じ、祈り子を創り出せる男の愛する街を支配しようなどと思うからだ、と。
けれど、その声がベベルの軍隊に届く事はなかった。
魔物が一声し、その口から黒い塊を吐くと同時にベベルの本陣は一瞬にして消え去ったのだ。
圧倒的なその強大な力に人々は震撼した。
ベベルの軍隊が一瞬にして消されてしまった今、民を守るものは何も無い。
終わりだ、と誰もが項垂れて膝を付いた。
スピラは、終わりだと。
だが、人々の予想に反して魔物はゆるりと海へ向かい、海の奥底へと消えてしまった。
「シン」だ、と誰かが呟いた。
「シン」、古来よりこの地に伝わる言葉。
「罪」を意味する言葉。
そうか、あれは我らの罪なのだと、民は確信した。





「……」
ガガゼトの山頂は淡い碧の光の流れに包まれ、生まれたばかりの祈り子群像は歌を歌う。
それを痛ましい思いで聴き、群像を見上げる一人の青年の姿があった。
「メテオが、解き放たれた……」
青年は見た事の無いほど大きな剣を背負っていた。その大剣は、まるで戒めを受けるように何本もの細長い布で覆われている。
「……ァリス……」
ぽつり、と何かを呟いて青年は一枚だけの黒い羽根をばさり、と広げた。
青年は器用に片翼で跳び上がると、ガガゼト山を飛び去っていく。
祈り子達が歌う声だけが、ガガゼトの山頂に響き渡った。








(2002/06/11/高槻桂)

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