大きな足跡を辿る小さな足跡





母親を失った時、少年は泣かなかった。
夜、自分のベッドの上で一人、泣くのだろうかと思った。
けれど翌朝の少年の目は赤くなっていなければ瞼も腫れていなかった。
泣き虫だと聞いていた。
実際、よく無く子供だった。
けれど、何より哀しかったであろう母の死で、少年が涙を流す事はなかった。
堪えるでもなく、耐えるでもなく。
ただ、喪失感に震えていた。
その小さな背中がとても哀れで、愛しかった。




今日も今日とてティーダは『ジオラマ・ガーデン』に降り立っていた。
それを見たアーロンの行動はといえば。
「すまんティーダ……」
謝りつつもゲーム機本体から延びたコードをスフィアテレビへと繋いでスイッチオン。
そしてどっかりとティーダの隣りに腰を据える。
『このキノコって食えるのかな』
画面一杯に現れたのは、草むららしき場所で目の前のキノコと睨めっこしているティーダの姿。
そう、『ジオラマ・ガーデン』に降りて遊んでいるティーダを見守っているのだ。
これがアーロンの最近の日課。
未だ『ジオラマ・ガーデン』の安全性を認める事のできないアーロンにとって、そこへ降り立っていくティーダが心配で心配で仕方が無かったのだ。
心配の余り見守っている。
そう言うと聞えは良い聞こえは良い。だが、アーロン本人は否定するかもしれないが立派なストーカー行為だ。
『なあ、これ食えると思う?』
茶色の大きなキノコから視線を外し、隣りに同じようにしゃがんでいる少年にそう声を掛ける。
『食える…んじゃねえの?』
ティーダと同じ様に訝しげな表情で首を傾げる少年。
『なあ!これって食えるのか?』
濃茶の髪をしたその少年が背後を振り返ると、少し離れた所にいた銀髪の少年が『どれ?』と近付いて来た。
『コレコレ』
ティーダがちょん、と指先でキノコの嵩を突つく。
『あー、これは無理。デカくなると毒になるヤツだ。もっと育って無い奴なら大丈夫だけど、ここまでデカイのはもう駄目だな』
『『へ〜え』』
銀髪の少年の解説にティーダと濃茶髪の少年が感嘆の声を上げる。
『ホントお前って物知りだよな』
『そうでも無いさ。レオンたちの方が余程物知りだ』
『ま、あれは歳の功って奴だろ』
さり気に失礼な事を言う濃茶髪の少年と二人は笑い合い、他愛の無い会話を続ける。
ティーダは学校の仲間より、このプログラムされた「友達」といる時の方が良い顔をする。
ティーダが学校の仲間を友達と称する相手はニーニョという名の少年一人しかおらず、他は全て「同じ学校の子」または「クラスメイト」でしかなく、友達では有り得なかった。
それをアーロンが咎めたりする事は無い。誰しも自分の価値観は持っているから気の合うものがいれば合わない者も居る。人間関係は本人が作るものであって、親がどうこうするべき物では無い。アーロンはそう思っている。
何より、ティーダを「ジェクトの息子」としか見ない子供らにティーダの友を名乗る資格など無いと思っているアーロンにとってティーダの判断は正しいとも思っているくらいだ。
けれど、やはりティーダが『ジオラマ・ガーデン』にのめり込むのは快くは思えなかった。
仲が良いと言っても所詮はプログラムされた人格だ。
生身の人間にある「思考の変化」が無い。
それは、その相手をするティーダの「考え方の多様化」を止めてしまう。
このままでは、視野の狭い性格になってしまうのではないだろうかとアーロンはどうするべきかと悩む毎日だ。
アーロンの独断で事を進めるのなら即刻取上げたいくらいだったが、そこに癒しを求めているティーダからそれを奪うのは酷に思えてならない。
そして何より、ティーダが癒しを求める場所が自分の元ではない事が何より辛かった。
『ジオラマ・ガーデン』を取上げる事によって、ティーダの安らげる場所が無いのだと、自分では駄目なのだと見せ付けられるのが怖かったのだ。
『ティーダ!』
少年を呼ぶ女性の声にアーロンははっとする。
『あ!』
振り返り、相手の姿を認めた途端、ティーダは表情を輝かせた。
視線の先には、ピンク色のロングワンピース姿の女性が微笑みを浮かべてティーダに手を振っていた。

『アリス!!』

「アリス?!」
思わぬ名前にアーロンは腰を浮かし掛ける。
アリス。
一度だけ、ティーダが口にした名前。
ティーダが必死にその存在を隠していた相手。
それが、この女性なのだろうか。
ティーダは二人の友人に別れを告げ、女性の元へと駆けていく。
『今日は何をするの?』
嬉々とした表情でアリスを見上げるティーダ。
アリスは結い上げられた長い髪を揺らし、にっこりと笑ってすぐ側の森を指差した。
『今日は、森の植物のお勉強ね』
『了解ッス!』
二人は並んで森へと入っていき、所々で立ち止まっては何やら捜したりとしていた。
『この草はルンダラって言って、こういう樹の根本に生えているの。これは火傷に効くのよ。葉っぱの部分だけを磨り潰して塗るの』
『それでこの茸はママリノ。キブクの樹に生えてるわ。生のままだと痺れるから食べられないけれど、よく煮れば大丈夫』
『この樹はバオノ。こうやって樹に傷を入れると…ほら、樹液が出てくるでしょ?これはね、蝋の代わりになるわ』
どうやらこのザナルカンドの植物はスピラと同じらしい。だが、この街には殆ど緑が無く、花屋で売っているのは遺伝子から復元されたクローンフラワーだ。
天然の植物を見ようと思ったら博物館に行かないと目にする事はできない。
それほど、この街には植物が無かった。
アリスが次々に説明していくそれを、アーロンは懐かしい思いで聞いていた。
寺院に仕える者なら殆どの者が学ぶ動植物の知識。
どんな植物が薬になるのか、どんな樹がどういう性質を持っているか。
召喚士や、そのガードとして旅をする者なら特に必要とされる知識だ。
生きる為の知識。
アリスが何の為にそれをティーダに教えているのかは計り知れなかったが、いつかこのまどろみを抜け、辛い現実に立たねばならない少年に知恵を授けてくれるのは有り難かった。
初めて『ジオラマ・ガーデン』に有益性を見出した瞬間だった。
あくまでアリス限定だったが。
『今日はこの辺にしておこうか』
それぞれの植物を少しずつ摘んで二人は森を出た。
二人の少年といた時のように他愛の無い会話で道を行き、二人は小さなログハウスへと入って行く。
どうやらここがティーダの拠点のようだ。
ティーダはアリスに手伝ってもらいながら今日教えてもらった植物の欠片を厚紙に張り付け、名称や効能を書き込んでいく。
今までもそうやって書き溜めて来たらしい。棚には何枚もの厚紙が並んでいる。
『アリス、聞いても良いッスか?』
ペンを置き、ティーダはアリスを見上げる。
その表情はどこか不安げだ。
『なあに?』
『この前の、銀髪の変な男、知り合い?』
途端、アリスの表情が強張る。
ティーダの言う男とは、先日ティーダに絡んで来たあの奇妙な男の事だろうか。
『あ、あのさ、別に無理にってわけじゃ…』
『……私の事から話した方が良いかもしれないね』
慌てるティーダにふるっと首を振り、アリスは話し始めた。
『私はね、大昔に滅んでしまったセトラっていう一族の最後の民なの』
『セトラ?』
セトラ。
何処かで聞いた事がある、とアーロンは記憶を浚う。
『そう。セトラにしか使えない魔法があるの。星を救う魔法。ずっとそれが使われる事はなかったんだけど、ある時、この星を壊そうとする人がいたの。それが、あの人』
「まさか…」
思い出した。
セトラとは大昔、それこそ千年前の戦より遥かに昔に滅びた、星を育むとされる種族の名だ。

セトラの民、星より生まれ、星と語り、星を聞く。
セトラの民、約束の地へ帰る。至上の幸福、星が与えし定めの地。

今やその言い伝えのみが残る一族。
白魔法唯一の攻撃魔法、「ホーリー」はセトラの民に代々伝えられていた特別な魔法を真似て編み出されたものだと聞いた事がある。
もしかしなくとも、とアーロンはアリスを見詰める。
この女性はプログラムされた人格ではないのではないか。
『ジオラマ・ガーデン』に依存するAIではなく、『ジオラマ・ガーデン』を解する事によってその姿を保っている、ティーダに依存する者ではないだろうか。
それならば、あの銀髪の男と対した時のティーダの言葉に納得が行く。
彼女はゲームの中にいるのではなく、ティーダの中にいる。
そんな事が有り得るのだろうか、と思う。
だが、この街自体が有り得ない夢の街。
その街で生まれたティーダなら有り得る事なのかもしれない。
『あの人はね、とても大きな魔法で星の全ての力と一つになろうとしたの。でもそれじゃあ星が、みんなが死んでしまうから私はそれを止めたの。勿論、私一人の力じゃないよ。仲間がいたの。大切な仲間が。みんなが頑張ってくれたから、私は魔法を発動できたんだ』
『それからずっと私は彼の力を抑える為に眠りに就いていたの。だけど、ある時突然それが解かれてしまったの。その時に私は目覚めたんだけど、同時にあの人も目覚めてしまって…』
『もうあの人は闇に心を囚われていないけど、心にぽっかり穴が空いちゃってる』
『私は、今度こそあの人を救ってあげたい。あの人を、ある人の元へ連れていってあげたい』
『でも、今の私やあの人には何もできなくて、ずっと彷徨っていたの。けれど、今はあなたがいる』
ティーダはきょとんとして『俺?』と首を傾げた。
『うん。この先は、その時に教えてあげる』
『えー?』
不満を洩らすティーダに、アリスは『ほら、もう時間だよ』と壁に掛けられた時計を指す。
『あ!ホントだ!』
時計の針が指していたのは確かにそろそろ夕食の時間で、ティーダは立ち上った。
「……」
帰って来る気配に、アーロンはぷつりとスフィアテレビの電源を落し、コードを引き抜く。
元あったようにそれを置くとそっとその場を離れた。
食器棚から皿を出しながらアーロンはアリスの言葉を反芻する。
恐らく、彼女は知っている。
「シン」の事も、今の「シン」がジェクトだという事も。
そして、いつかティーダがスピラへ連れて行かれる事も。
だから、ああして知識を授けているのだろう。
「アーロン、今日のご飯なぁに?」
目を覚ましたティーダがとてとてとキッチンへやって来てそう見上げてくる。
「今日は若鶏の唐揚げとほうれん草のお浸しと…」


辛いと、思う。


いつかジェクトが迎えに来るというのは何かの間違いで、自分はこのままティーダの成長を見守っていくのだと思う瞬間がある。
けれど、己以外にもそれを知るものがいるという事は、いつの日かジェクトがティーダを迎えに来る事は逸らし様の無い現実だと思い知らされる。
その時、少年はそれでも笑い掛けてくれるだろうか。
母親が死んだ時の様に、独りでその喪失感と孤独に震えるのだろうか。

そう思うと、辛かった。








(2002/06/16/高槻桂)

戻る