大きな足跡を辿る小さな足跡
ティーダと暮らす様になって七年以上が過ぎた。 父親譲りのブリッツの才をめきめきと発揮したティーダは、今や契約チーム、ザナルカンド・エイブスの若きエースと言われてている。 アーロンはアーロンでSPを生業とし、その業界では名の知れた人物となっていた。 泣き虫で小さかった子供のハニーブラウンの髪は何時しか金に近くなり、すらりとした肢体を服から覗かせて、細身ながらもその父親と同じ自信に満ちた眼が力強さを感じさせている。 何をするにも分からない事だらけだったアーロンも、今や当たり前のように機器や車を扱う。そして長かった髪も今は短く、幾分か白いものが混じり始めている。 お互いそれなりに忙しい身分の為、いつも一緒に居た昔とは違って顔を会わせる時間は格段に減っていたが、食事だけは出来得る限り共にしていた。 そして、お互いがオフの日は二人で出掛けるか、家でのんびりとする。 そこらの親子より余程、否、本当の親子ではないからこそ作り上げる事のできた絆だと、本人たちは思っている。 そして、今日はお互いオフの日。 今日は昼過ぎまで家でのんびりし、二人で買い出しに出掛けた。 変わらぬ日常。 その水面に、一つの石が投げ込まれた。 夕食を終え、黙々と食器を洗っていた二人はスフィアホンの音に手を止めた。 「俺が出るッス」 アーロンが洗った皿を拭いていたティーダが、小走りにスフィアホンに駆け寄り受話器を取る。 「はい、東Dブロック1811で…ってあれ、どうしたんスか?」 どうやらティーダの知り合いだったらしい。アーロンは止まった手を再び動かし始める。 「うん…いや、洗い物してただけだし……うん?………ハァ?!」 素っ頓狂な声にアーロンの手が再度止まる。 「マジッスか?!」 手はしっかり動かしながらも訝しげに振り返るアーロン。だがその視線に気付かぬほどティーダは眼を真ん丸にして相手の言葉に耳を傾けていた。 「俺、付いて行った方が良いッスか?…まあ、そりゃそうッスけど…うん……そっか…うん、わかった」 かちゃりと受話器を置き、はぁ〜、と大きな溜息を吐くティーダにどうかしたかと声を掛けると、彼は言い辛そうに首筋に片手を当て、この子供は気付いていないだろうが、その仕種はジェクトと全く同じそれで首を傾げた。 「今まで言わなかったけど、俺さ、付き合ってる人、居るんだけどさァ」 「…ほう?」 初耳だった。というか、意外だった。 喜怒哀楽が簡単に表に出るティーダだ。恋人が出来たならその日の内にわかりそうなものだったのだが、どうやらこの子供は何時の間にか内緒事を守り通す技を見につけていたらしい。 「で、幾つだ。付き合っている人、と言う位なのだから年上なんだろう」 ティーダの場合、同年代だったら「付き合ってる子」と現わす筈だ。 「あーその、うんまあそうなんだけど……二十一歳」 「は?」 意外その二。 ティーダは今年十四だった筈だ。 年上とは言っても十六、七だろうと踏んでいたがそれを大幅に外れた年齢。 ぶっちゃけ、相手も相手だ。よくこんな子供を相手にする。 …まあティーダの場合、わからんでもないが。 「それでさ、その人なんだけど…その……」 「何だ、はっきり言え」 続く言葉にさて次はどんな爆弾発言だとティーダを見詰める。 「その………妊娠したかもって」 「………」 どうやら核爆弾だったらしい。 「それで、明日病院行ってくるって…」 青天の霹靂、というのはこの事かもしれない、とアーロンは固まった思考の片隅でそう思った。 別に妊娠についてとやかく言うつもりは無い。 スピラでは「シン」や魔物によって死ぬ確率が高い為に、女は若い内からぽんぽん子供を産む。 平均出産数は四〜五人で、一人っ子、というのは両親の体の事情が無い限り滅多に無い。 問題なのはティーダだ。 正直な話、ティーダは可愛い。純粋だ。ピュアだ。一点の曇りも知らぬ太陽だ。 そのティーダに性欲があったという事がスコーンと停止した思考に投げつけられた。 あったも何も、無い方がおかしいのだが、そう思わせてしまうほどティーダと性欲は掛け離れていたのだ。 「もしホントに妊娠してたら堕ろすから良いよねって」 堕ろす、の言葉に再びスコーンと「常識」という名の塊がアーロンの思考に投げつけられた。 この平和な街では子供は一人二人で十分、若い頃に思わぬ妊娠をしてしまったら、リスクは伴うものの堕ろせばいい。それが常だった。 このザナルカンドへ渡って早七年半。この世界の常識になれた積もりで居たが、所詮男所帯。そういう面の常識を知る機会が無かった事を今になって思い知った。 「ゴム付けてても、やっぱ避妊率八割は八割であって完全ではないって事ッスか…」 はふーっと肩を落して二度目の溜息を吐くティーダを余所に、アーロンの思考は一向に動く気配が無い。 勿論コンドーム程度は知っているが、避妊など必要の無い、さあ産めやれ産め思考のスピラにそんな物がある訳も無く、初めて薬局で見かけた時は何なのか分からなかったくらいだ。 「………」 何故か無性に腹立たしくなり、後少し力が入っていればその食器は昇天なさるだろう勢いでアーロンは食器を洗い始める。 別にコンドームに腹を立てているわけではない。 ティーダに恋人がいて、しかもしっかり肉体関係まであるという事が、だ。 『ジオラマ・ガーデン』より自分と居る事を優先させる様になったティーダ。 アーロン、と時には淡紅色の花弁が綻ぶように、またある時には向日葵のように笑うティーダ。 漸く得た、アリスたちに見せる笑顔以上に鮮やかなその笑顔。 それは己だけに向けられているものだと何の疑いも持たなかった。 親馬鹿もここまで行けば病気だと思いながらも、それが誇らしかった。 とんでもない自惚れだ。 いつまでもティーダはあの頃の子供ではない。 もう、アーロンしか見えなかった子供の視野ではない。 「アーロン?…怒ってる?」 ガシャガシャと手荒く洗う養親に、ティーダはおどおどとした視線で伺いを立てる。 「……お前の好きにすれば良い」 最後の一枚を洗い終え、アーロンは手を拭きながらさっさとキッチンからリビングへ抜け、そのまま自室へ向かってしまう。 「アーロン!」 追いかけるのも気が引けて、でも引き止めたくてその名を呼ぶが、その背は扉の向こうへと消えてしまった。 「……アーロンのバーカ」 唇の先を尖らせてティーダはぽつりと洩らす。 本当は、言うつもりなど無かった。 本当に妊娠していれば怒られるだろうし、していなくとも言ってしまえば自分に彼女が居ると知られてしまう。 今まで必死で隠していたのが水の泡になってしまう。 けれど、それでも言ってみたいという誘惑には勝てなかった。 自分に恋人が居ると知れば、アーロンは嫉妬してくれるだろうか。 その誘惑に負けた自分に待っていたのは、引き止めるのを拒絶した背中。 (アーロン) アーロンは自分の養い親。 アーロンはジェクトの頼みでここに居る。 アーロンは自分の事は殆ど教えてくれない。 「望み薄いよなァ…」 『それはどうかなぁ?』 はあ、と溜息を吐いて肩を落した所に聞き馴染んだ声が響いた。 「アリス?久しぶりッスね」 昔と違い、ティーダが歳を追う毎にアリスはその姿を現わす回数を確実に減らしていた。 アリス曰く、ティーダの成長と共に、その自我が強くなった為に深層下から出るのが難しくなったという。 今では二、三日に一度しか話す事ができない。 無論、『ジオラマ・ガーデン』に降り立てばいつでも会えるのだが、時間的余裕の少なくなった今では暇という暇は殆どアーロンとの触れ合いに投資してしまい、スフィアゲームを起動させることは少なかった。 『さっきのアーロンさん、怒るって言うより拗ねてたって感じに見えたんだけど…』 「へ?」 ティーダはきょとんと目を丸くする。 「拗ねる?あのオッサンが?」 『きっとティーダが知らない内に大人になってて色々複雑なんだよ』 「そーゆーもんスかね?」 乾いた皿を食器棚に戻しながら、ティーダは右に左にと首を傾げた。 (2002/06/17/高槻桂) |