大きな足跡を辿る小さな足跡




歌が、聞えた。

眠りに就いていたそれはゆっくりと頭を上げ、その無数の眼で辺りを見回す。
光の一筋さえ届かぬ深い海の底。
こんな所で歌が聞えるわけが無いと、当たり前のように思う。

あれから、どれくらい経ったのだろう。
我が子を託した友を、ザナルカンドへ送り飛ばしてから。
たったの数秒の様な気もするし、何年も昔の様な気もする。

彼はこの海底で自らの巨体を迂闊に動かせば、津波が起こる事を知っていた。
だから、ゆっくり、ゆっくりと擡げた頭も、またゆっくり、ゆっくりと寝そべる。
彼、とそれを呼べるかどうかは微妙だったが、少なくとも人間として生を全うしていた時分は確かに彼と分類される性だった。

あれから、どれ程の時が。

この姿になってから、余り時間の概念を感じなくなった。
守るべき男の手により変えられたこの身。
最初こそ、何となく原形を留めた姿だった。
けれど、「シン」と呼ばれる化け物を倒して、それと同時に眠りに就いた。

最後に見たのは、短い間で親友と呼べるほどの仲になった男の、怒りやら悲しみやらでごちゃごちゃになった顔。
そして、彼の跪いた前に、眠るように体をその大地に預けた、自分達が守るべき、男。
知っていた。こうなると。
納得した上での事だった。

けれど、やっぱ、辛いな。

そう思って、眼を閉じて。
次に目を覚ました時は、自分が「シン」だった。
なんだ、と落胆した。
まだ、螺旋が途切れる事はないのか、と。
仕方ないから、できるだけ大人しくしててやるか。
そして眠りに就く。
けれど、どうしても、抑え切れない衝動が彼を襲う。
それに逆らう事は出来なくて、我を失う。
姿を現わしてはならないと、この海の底から動いてはならないと、消え掛けた己で必死で抑え込めて。
抑えようと海の底で暴れるから波は高く、重なり、大きな津波を生み出して。
衝動が彼の中から消える頃には、海辺にある集落の大半は波に削られていて。
暫くして、彼の好きな歌が聞えてくる。
それが、どうしようもなく、哀しかった。

――……じゅーよぉごぉ……

彼は自分の耳を疑った。
やはり、聞える。
こんな所で聞えるという事は、あの場所しかない。
つまりは、夢の都市、ザナルカンド。
しかし、こんなにはっきり聞えたのは初めてだった。
それも、良く知った声で。

彼には息子がいた。
太陽の名を与えた、何より愛した我が子が。
接し方が分からず、結局、息子の笑顔を見た記憶が彼には無い。
思い出すのは、泣き顔と、敵意の篭もった視線。
そして、父親を拒絶し、小さく蹲った背中。
ああ、あの子はどうしているだろうか。
また、泣いているのだろうか。

少しだけ、そこへ行ってみようかと思った。
あの場所なら、自分の気に入っていたあの場所なら誰も来ない筈だ。
あんな、街から外れ、殆ど廃虚と化した港だ。
そこから少しだけ、街を眺めれれば良い。
もう少しだけ、あの、我が子に良く似た声を聞いていたい。

彼はゆっくりと体を起こし、海底を這う様に夢の街を目指した。



正直な話、驚いた。
これ以上にないくらい、驚いた。
水面近くまで浮上しても暗かったから、ああ、夜なんだな、と思っていた。
ならば尚更こんな寂れた港跡に誰かが入る筈も無いと高を括り、ほんの少しだけ、水面から顔を覗かせてみれば、そこには子供が居て。
しかもそれは会いたいと切に願った我が子で。
嬉しかった。
嬉しくて嬉しくて。
けれど、すぐに気付いた。
母親譲りの青の瞳は恐怖に揺れ、細い肢体はがたがたと震えながらも必死で逃げようと腕や手を桟橋に突っぱね、ずり下がろうとしている。
そうだった、と彼は自嘲する。
こんな化け物の姿で。
少年に近付こうなどと、奢がましいことこの上ない。
「ま、待って!!」
沈んでいく自分を少年が呼び止める。
「待って!行かないで!!」
けれど、こんな姿を曝し、少年にあんな瞳をさせるなど、どうして出来ようか。

「独りにしないで!!」

ぴたり、と沈むのを止める。
未だ水面に有る幾つかの眼を少年に向けると、少年は桟橋の端から泣きそうな顔でじっとこちらを見下ろしていた。
良いのだろうか、と迷いながらも彼は再び水面から顔を覗かせ、我が子を見る。
「ことば、わかる、のかな」
怖がり、途惑いながらも逃げようともしない我が子に、少しだけ彼は呆れた。
魔物が出たら真っ先に逃げろって習わなかったのか、と。
自分だから良かったものの、他の魔物だったら今頃お前は死んでたんだぞ、と。
まあ、第一にザナルカンドのセキュリティを潜り抜けてここまで無事に辿り着ける魔物など、自分以外居ないだろうが。
「…俺のこと、たべちゃったり、する?」
するわけ無い、と言いたくとも言える筈も無く。
確かにこの我が子が食べてしまいたいほど可愛いのは事実だが。
こんな化け物になっても自分の親馬鹿は健在だと思うと、何処か可笑しかった。
「………たべちゃっても、いいよ?俺、いらない子だから」
我が子の思わぬ言葉に、彼は只でさえ早くはない思考回路を停止させる。
そんな彼の様子を知ってか知らずか、少年は泣きそうな笑顔で言った。
「いなくなっても、だいじょうぶだから」






(続く)



(2002/03/17/高槻桂)

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