大きな足跡を辿る小さな足跡
「で、どうだった」 スフィアホンを置くと同時に不機嫌そうな声がリビングに響いた。 「違ったってさ。単なる生理不順と睡眠不足」 先程の電話は検査の結果を知らせる電話だったのだ。 大丈夫だったから、気にしないでと彼女は笑って電話を切った。 「………」 じっと受話器に置かれたままの己の手を見下ろす。 彼女はどんな思いで病院へ行ったのだろう。 それを考えると、居た堪れなくなる。 ティーダはフェミニストだ。 恐らく母親への想いから来るものだろうが、彼にとって男は女を無条件で守らなければならない存在と位置づけられている。 「………よし!アーロン、飲もう!!」 「は?ティーダ、何を…」 アーロンの言葉を待たずティーダはキッチンヘ二つグラスを取りに行き、その足で棚に置かれていた酒瓶を二、三本ぐわしと掴んでリビングへと戻って来た。 「うっし!はいアーロン」 アーロンが好んで呑んでいる酒の瓶を手に、ティーダは男の手にグラスを持たせ、並々と無色の酒を注いだ。 「俺こっち」 「ちょ、おいティー」 ティーダはジェクトが残していった酒の内の一本をがぱっとグラスに空け、アーロンが止める間もなくそれを一気に煽った。 「っかーコンチキショウめぃ!」 まるでどこぞのオッサンの様な掛け声と共に空になったグラスをスターンッとテーブルに置く。 「よし聞けアーロン!」 ずびしっとアーロンを指差した。 そう早く酔う筈も無いのにティーダのテンションは既に無茶苦茶だ。 「ていうか聞け聞きまくれ!つーか俺が愚痴りたいだけなんだけどねーぇはあぁ…」 だが、どうやら無理矢理ハイテンションにしていたらしく、最後の方では溜息と共に項垂れていた。 「俺さ、モテるのよ、これでも。女の子もキャーキャー言って寄ってくんのよ」 語りモードに入ったティーダがこれ以上酒を飲む様子が無いのに一先ず安心したアーロンは「そうか」とだけ返してグラスに口をつける。 「で、特定の御相手、いるわけよ。二人ほど」 一人ちゃうんかいという裏拳ツッコミはグラスの中身を一気に飲み干す事で何とか留まった。 「一人は今回の人で、もう一人は俺よりちょっと年上の女の子。そっちの子とはカラダのご関係はないのよこれが」 「……」 「俺はね、本命がいたりするわけ。でも好きになってもどーしようもない相手だったから、他の子にしたっつーわけ。それが二十一歳のオネエサマ」 ティーダがバラしまくっていくと同時に何故か飲むピッチが上がっていくアーロン。 「もう一人の方はね、俺のファンなんだってさ。いっつも一番イイ席に座ってるから俺も顔覚えてた。きっかけは…なんだっけ、忘れたけど、すごく、いいこなんだ。でね、どっちも俺にもう一人相手がいるってことも、本命がいるって事も知ってる。オネエサマに至ってはあっちもあっちで本命がいて、どっちかってゆーとお互いの本命の話で盛り上がったりで、えっちぃことはオマケみたいな感じでさ」 蛇足だが、ここで「最近の子供は…」という世間の名台詞をアーロンも心中でぼやいた事を追記しておく。 「もう一人の子は、応援してくれてる。本命は諦めちゃダメだって」 ふーっと息を吐きながらティーダは目の前の酒瓶を手に取った。 また無茶をやらかす気かとアーロンがその酒瓶を奪おうと手を伸ばした途端、反対にティーダの手がアーロンへと伸ばされた。 「アーロンもっと飲めっての!俺ばっかよっぱらってバカみてえじゃん!」 ぱしっとアーロンの手からグラスが奪われ、透明の酒の中に琥珀色の酒が注がれる。 「おい」 「ハイもう一丁追加!」 微妙な薄さの琥珀色になったそこに更に今度は赤黒い液体が注がれる。 「ティーダ君特製ちゃんぽんできあっがりー!」 もう罰ゲームの域としか思えない色合いをしたそれを差し出され、アーロンはそれを当然受け取り拒否。 「アーロン、呑まないと、泣くよ。泣いて喚いて家飛び出してやるから」 「……」 目を据わらせて言うティーダにアーロンは沈黙する。 これが素面のティーダだったら一睨みすれば終わりなのだが、何せ今のティーダは酔っ払いだ。 何をしようとこれを呑まない限りは本当に飛び出しかねない。 それだけならまだしも酔っ払って気が立ったティーダが街に出ていこうものなら何が起こるかわかったものじゃない。 道は一つしか用意されていなかった。 「………」 「ホラ一気にぐっと」 期待の眼差しで見てくるティーダに、アーロンは強引に持たされたグラスを見詰める。 ちゃんぽんは悪酔いすると聞くが、実際呑んだ事無いアーロンにとって未知の領域だ。 ただでさえ怪しい色合いなのに、マジですか、と言いたくなる。 だが呑まねばティーダが襲われる。(既にこの時点でグラスに数杯分酒が入っている為、己が誤った判断をしていると気付いていない) そうだ、ティーダの為だ。 ティーダの為ティーダの為ティーダの為。(最早自己暗示) 「…!!」 「キャーアーロンカッコイイー!!」 一気に飲めばそれだけ悪酔い度が上がる。だからせめて何回かに分けて、と思ったが一口目のその奇怪な味に断念。ティーダのお望み通り一気にぐっと逝かれました。 「………」 言い表し様の無い奇天烈な味が口内や鼻腔一杯を駆け回るわ、アルコールはもう大暴走と言わんばかりの熱を胃の中で発しているわで、アーロンは二度とちゃんぽんモノは呑まないと心に決めた。 「さて、アーロンが男っぷりを見せてくれた所で続きね」 人の決死の覚悟はまるでコマーシャルのような扱いだ。 ティーダは再びテンションを落すと語り出した。 「だから、どっちかってえと二人とも彼女ってゆうより、しんゆーみたいなかんじでさぁ」 べらべらと語っていたティーダの舌が次第に上手く言葉を紡がなくなっていく。 幾らたったの一杯とは言え、いきなりかっくらうからだとアーロンは溜息を吐く。 「すきだとはおもうけど、あいしてるってゆーのはちがうなーぁっておもうんだよねえ。だからさぁ、ほんと、わるいとおもってんの。こんかいのは」 「そうか」 そう返すと「あんたそればっか」と文句を言われた。 「…なあ、アーロン」 比較的しっかりした口調にアーロンは視線を上げる。 「何だ」 んー、とティーダはアーロンを見詰め、「あのさあ」と首を傾げた。 「アーロン居なかったら俺、どうなってたと思う?」 「…さぁな」 アーロンの応えがお気に召さなかったらしいティーダはむくれっ面でアーロンを睨む。 「何だよそれ。ちょっとは考えたらどうだよぅ」 「考えるも何も、現に俺もお前もここに居る。それだけで十分だ」 「…そっか…それもそッスね」 二人の間に沈黙が降りる。アーロンはその沈黙から逃れるように酒を煽った。 「…な、アーロン」 「今度は何だ」 追求から逃れるような言葉にティーダはくつくつと笑い、のそのそとアーロンの膝の上に移動する。 「重い」 文句を言いながらもアーロンは実力行使に出ずに酒を飲み続けている。 ティーダはそんなアーロンにぎゅうっと抱き着いて、その首筋に己の頭を擦り付けて甘えた。 「アーロンが居てくれて、良かった」 「そうか」 「大好き。アーロンが一番好き」 「……」 かたん、と空になったグラスが置かれる。 「さっき言ってた俺の本命、アーロンなんだよ?」 「…酔っ払いの戯ご」 「嘘じゃないっすよ」 アーロンの声を遮り、酒で仄かに朱を帯びている目尻に口付ける。 「ティーダ、」 酔っ払いの度の過ぎた戯れだと思ったのだろう、ティーダを引き剥がそうと肩に置かれたその手を振り払い、その唇にも口付けた。 「…いい加減に」 「ホントっすよ、俺、アーロンが居てくれればそれで良いから、」 「お前は愛情を履き違えているだけだ」 切り捨てるようなアーロンの言葉に、違う、ティーダはと頭を振る。 「恋とか、親愛とか、そんなのどうでも良いッス。アーロンが好き。凄く、凄く好き。誰よりも、大好き。それだけでいいッス」 それに、とティーダはじっと鳶色の隻眼を見返す。 「これが勘違いだって言うなら、俺は一生勘違いし続けるッス」 「……」 駄目だ、と思う。 手を伸ばしては駄目だと。 けれど。 「アーロン…」 切なげに囁かれる己の名。 酔いが理性と本能の割合をひっくり返す。 アルコールという名の泥が思考の回転を阻み、欲が擡げてくる。 「なあ…」 酒と欲に潤んだ瞳に覗き込まれる。 くらり、と酒の所為だけではない目眩が襲う。 「アーロン、しよ?」 耳元で囁かれ、ぴちゃりと、耳朶を舐められた。 「…どうなっても、知らんぞ」 細くしなやかな肢体を掻き抱き、柔らかな唇を貪った。 「ぅんっ…アー…」 理性は、呆気なく崩れ去った。 後のことは、良く覚えていない。 ただ、アーロンの無精ひげが肌に当たる度、痛い様なくすぐったい様な感じがして。 舌を入れられた時、アルコールの味がしたな、とか。 そんなトコ舐めんなー!とか。そりゃ気持ち良かったけどさ。 て言うか、お互い、男同士はどうすれば良いのかなんて噂程度しか知らなかったから、男と女のやり方でやるしかなくて。 そうなると挿れるトコなんて一つじゃん? 指はそれほど痛いとは思わなかったけど、何か、アーロンのごつごつした指が中の何処かを擦った時、ぞわっとしたっていうか、あ、悪い意味じゃなくてさ、気持ち良くて、腰が揺れた。 そしたらそれに気付いたアーロンがそこばっか擦り始めて、気持ち良くて泣きそうで、やめてって言ったらホントにやめちゃってさ。 何だかなーって感じだった。 男女のやり方でって言ってもさ、そんなトコが濡れるわけ無くて。 でも酔っ払ってたからそんな事なーんにも考えて無くてさ。 でもちゃんとゴムはつけたけどね。男女より男同士の方が付ける必要性高いってことくらい、ちょっと考えれば分かる事だし。性病だけは勘弁っす。 だからソファに放り出しっぱなしだった俺の鞄の中からコンドーム取り出して。 ちなみにジェルトップタイプ。ナイス、俺。 そしたらアーロン、何か複雑な顔してた。 そりゃまあ俺、彼女いるし、セックスだってしてるし。妊娠して可哀相なのは女の子の方だし。 だから一個や二個は鞄に入ってる。 ちょっとだけ、もしかしてアーロン、俺の彼女に気とか遣って止めちゃうのかな、とか思った。 けど無視してパッケージ破って、裏表間違えない様にアーロンのに付けてあげた。 裏表間違ったらジェルトップの意味ないしね。 そしたら付け難くてさ、これが。無駄にデカイっての、オッサン。 どうも止める気はないらしいアーロンにちょっとほっとして、アーロンの上に跨る。 入るのかかなりドキドキだったけど、酔っ払いの考える事なんて「まあいっかー」で過ぎていく。 うん、まあ、凄く痛かった。酔いとか全部ぶっとびそうだったくらい。 男の性器って何であんな形してんだろうね。先端挿れるのが一番痛かった。 となると意識に関係なくぼろぼろ涙出ちゃってさ、アーロンにキスされたりして誤魔化してもらって。 こう、なんつーの?キシーンとした痛みが走ってさ、あーこりゃ切れたなーって思ったり。 実際切れてて結構血ぃ出てたし。 傷ってさ、どこでもそうだけど治り掛けって痛むず痒いからやだ。 でもまあ切れたモンは仕方ないし、それに先端が入っちゃえばこっちのモン。後はそれ程痛くはなかった。 ただ、圧迫感がさ、こう、内臓持ち上げられてる感じで気持ち悪かった。 けどアーロンに気持ち良い?って聞いたら荒い息の合間にキスしてくれて、気持ち良いんだな、って分かったから俺もアーロンにキスして。 そうしたらアーロンが俺を押し倒してさ。勿論繋がったままだったから内臓揺れたみたいでうげって感じだった。 アーロンが最初は気を遣ってゆっくり動いていたけど、いいから、って言ったら激しく動き始めた。 オイオイ多少遠慮しろよ。無理だろうけどさ。 そりゃあもう腹ン中大地震って感じ? 痛いわ気持ち悪いわで抜いて欲しかった。 もうさっさと終われーって何度も思った。 けど、アーロンが俺を抱いてくれてる。 そう思うと凄く嬉しくて、頑張って耐えた。 そうしてる内にさっきの気持ち良かった場所にアーロンのが擦れて、声が出ちゃって。 それからはそこを集中的に擦られて。 痛いのと気持ち悪いのと気持ち良いのがぐちゃぐちゃで。 あーとかうーとかやーとか、何か勝手に声が出てた。 時間的には長かったのか短かったのか良くわかんなかったけど、俺的には長かったかな。アーロンがそりゃあもう壊す気かーって位がんがん突いて、それから俺ん中でイッた。 俺?イッてないよ。幾ら前立腺あるからってさァ、そんな後ろでヤるの初めてで普通イけれないって。イけれたらよっぽどの素質の持ち主だね。 だってそういう目的の場所じゃないしさぁ、アーロンもそこんトコは分かってたらしくって、俺の中から引き抜いてから、口でイかせてくれた。 これが一番気持ち良かったかな。 ああそうそう、絨毯の毛が背中にちくちく当たってむず痒かった。 ………。 何だ、結構覚えてるじゃん、俺。 「………」 泥の中から引き上げられるみたいに眼が覚めた。 「………」 目は開いてる。 でもまだなんかぼーっとしてる。 頭がぶわんぶわんする。 多分ちょっとでも動いたらがんがんに変わる。 完全に二日酔い。 時計は見えないけど、結構明るい。少なくとも昼前だとは思うけど、学校に行く気は無かったりする。 こんな状態で学校なんて行ってらんねえって。 だるいのは二日酔いだけじゃないし。 動いたらきっと頭と一緒に腰が悲鳴を上げる。 痛いのは嫌だから俺動かない。 あー……。 俺、アーロンとエロいコト致しちゃったワケね。 酒飲んで酔っ払ってダイスキーって押し倒して。 酔っ払いってコワイね。 俺としては嬉しかったんだけどさ、きっとアーロンは後悔しまくりだと思う。 だって俺の隣、からっぽ。 きっとリビングで唸ってる。 それとも家に居ないのかな。 だとしたら、どうしよう。 アーロン、帰ってくるよな? どうしよう、帰ってこなかったら。 アーロン、 「アー…」 名前を呼ぼうとしたら、リビングの方で物音がした。 ドア開ける音。 近付いてくる足音。 がちゃり。 良かった、アーロンだ。 アーロン居た。 「…起きたのか…」 枕元までやってきて、ぼーっとしてる俺をアーロンが見下ろしてる。 こういう時って、何言えば良いんだろ…えっと、 「おはよ…」 そうじゃないだろ俺。 「…ああ」 アンタも貴真面目に返すなよ。 ちらっと視線だけでアーロンを見上げて、ちょっと笑っちゃった。 「…何がおかしい」 今更憮然とした顔したって駄目ッスよ。 ばっちり見たんだから、アンタさっきすっげえ情けない顔してた。 て事は、やっぱアレかな、 「アーロン、後悔してるんだ?」 「………」 アーロンは何も言わない。 そっか、そりゃそうだよな。 息子みたいに思ってたガキが「抱いてくれ」だもんな。そりゃ引くって。 「気にしなくて良いッスよ、アーロンも酔ってたんだし」 あーあ、俺の初恋は青い海に散りましたってね。 「気まずいなら俺スクールの寮入るからさ。だから、」 「何を勝手に話を進めている」 「だって後悔、してんだろ?面倒な事になったって、思ってんだろ?」 「…そうだな」 「ほらみろだから俺が出て…」 あ、やばい、泣きそう。 「後悔はしているし、面倒な事になったとも思っている」 わざわざ繰り返すなよ、嫌がらせかオッサン。 「一度でも触れてしまえば、歯止めが効かなくなる」 ハイハイだから俺が悪……は? 「全く…(と言ってアーロンはゆっくりとベッドサイドに腰掛けた。どかっと座らなかったのは俺の体への気遣いだと思っても良いよな)…人が必死に堪えていたというのに、お前はその苦労を見事に無駄にしてくれたな」 「え…」 え、ちょ、それってさ、俺の良い様に解釈しても良いんスか? 「アーロン、それってさぁ、」 「お前に恋人がいると、しかも肉体関係まであると聞かされた時、無理矢理押し倒してやろうかとどれ程思った事か」 「それって、嫉妬メラメラティーダ君にメロメロって事?」 「……」 可笑しな例えではあったけど、どうやら図星だったらしいアーロンは不機嫌そうな顔で俺に覆い被さって来た。 「…後戻りはできない。お前が何と言おうと、俺はお前を他の女にくれてやる気など無い」 「アーロン」 「俺をそうさせたのは、お前だ」 「じゃあさ」 俺はもぞもぞと動いて目の前のアーロンの首に腕を回す。 頭とか体とか痛いけど、そんなの後回し。 「俺、責任取ってずっとアーロンの傍に居る。OK?」 おどけてそう言うと、アーロンは微かに笑って口付けてきた。 「上等だ」 (2002/06/18/高槻桂) |