大きな足跡を辿る小さな足跡





アーロンの一日の始まりは、早い。
まだ薄暗い内から目を覚まし、隣りで眠る愛し子を起こさない様に気配を消して部屋を出る。
洗顔等を済ませ、今日の朝食のメニューを考えながら甲板に出る。
勿論手には己の愛剣を握っている。
そのまま暫く自主訓練。
鍛練は怠っていないのだが、やはりスピラで魔物を倒していた頃よりは格段に体が鈍っているのを感じる。
日がある程度まで昇るとアーロンは中へ戻り、シャワーを浴びる。
そして朝食の準備。
今日はチーズオムレツとサラダ、程好く焼けたパンにハム、薄焼きした卵、レタスを挟んだホットサンド。
半分ほど出来上った頃に一旦手を止め、寝室へ向かう。
それなりに朝の弱い少年を起こさなくては。
「ティーダ」
呼ぶくらいでは起きないのは重々承知している。
アーロンは軽く揺さぶって少年を夢の世界から引き摺り起こす。
「…ん〜……」
唸り、もそりと動く。
これで手を止めてはまた寝入ってしまう。
「ティーダ、時間だ」
「ぇえ……ん〜……」
もにょもにょとうめきながらティーダはのそ、とその身を起こした。
「ふあ〜ぁあーおんおあよぉ〜」
「欠伸しながら話すな」
「あいあい…」
のそりとベッドから下り、細いながらも引き締まったその体を惜しげも無く曝すティーダ。
その姿に欲情しそうになる己を叱咤し、アーロンは部屋を出ていく。
「あと十分でできる」



「アーロンの飯ってホント美味いよな」
チーズオムレツをフォークで切り分けながらティーダは言う。
二日に一度は必ず言う台詞だ。
ティーダとてそれなりの腕前ではあるのだが、本人はその力量に見合う評価をしない。
謙遜だとかそう言った類ではなく、単にアーロンの作る料理の方が断然と口に合うので自分の腕が良いという事に気付かないのだ。
「あ、ありがと」
食べ終る頃に、ことりとマグカップが置かれる。
中身はティーダの好きなホットハニーミルク。
アーロンはコーヒーだ。勿論ブラック。
ティーダもコーヒーは飲めないわけではないが、強いて言うなら余り好きではない。
どちらかというと紅茶の方が好きだ。
「御馳走様」
カップの中身を空にするとティーダは席を立ち、皿を流し台に持って行く。
それを受け取ってアーロンは洗い物を始める。
洗い物が終わる頃にはティーダは出掛ける準備が完了していて。
「んじゃ、行ってくるッス」
アーロンの頬にいってきますのキス。
「ああ」
アーロンもそれを返してティーダが家を出ていく。


それが、いつもの風景。




「……さて」
だが、これからゆっくり新聞を読み、掃除洗濯を行ない、夕食への買い出しへ行く筈のアーロンの行動は違っていた。
ちなみにティーダは今日、学校ではない。
他の生徒達は学校だが、ティーダは自分の所属するブリッツチームのビルへ向かっている。
そこで夕方までトレーニングや作戦会議を行ない、夜にはザナルカンド最大のブリッツ・ボールスタジアムへ向かう事になっている。
今日はブリッツファンなら誰しもが待ち望んだ日。
ジェクト杯の日だ。
ティーダの所属するチームはかつて彼の父親が最強の座へ導いたエイブズ。
そしてティーダはそこのエースだ。
今日の試合はジェクトが主役であり、また、ティーダも主役だった。
本人は否定するかもしれないが。
「……」
アーロンは窓からきつい眼差しで海を見詰める。
空気が、重い。
張り詰めた膜のようにアーロンの体に纏わりつく。
ティーダにはわからなかっただろう。
恐らく、この街で生きる殆どの民も気付いていない。
この街で異端の存在であるアーロンだからこそ感じ取れた変化。
来る。
そう早い時間ではない。
だが、明日でもない。
今夜だ、と感じた。
アーロンはキッチンヘと戻り、水の粒を残す皿を拭いて棚に戻す。
冷蔵庫を開かなかったティーダは気付かなかったが、その中身は殆ど空っぽだ。
アーロンはキッチンを手始めに、他の部屋の細々としたものを片付けていく。
「……」
ティーダの部屋の前に差し掛かり、アーロンは足を止めた。
ゆっくりとその扉を開き、中へと入る。
少年らしい青を基調とした部屋を見回しながら、最近はめっきり使用頻度の減った彼のベッドに近寄った。
「……」
ベッドヘッドの小さなテーブルには、一つの写真立て。
スタジアムのゲートで幼いティーダを真ん中に、家族三人で撮られた写真。
この頃は仲の良い家族だったのだろう。
ティーダの小さな両手はそれぞれ母親とジェクトの手に繋がれている。
「……すまない」
ぱたり、とその写真立てを伏せ、アーロンは部屋を出た。
そして再び己の寝室へ向かう。
クローゼットから取り出した一着の服。
スピラにいた頃来ていた、そして、この街へ来てティーだと共に生きると決めた時に脱いだ紅の衣。
「約十年ぶり、か…」
被せてあったビニルを取り去り、その衣に腕を通す。
肩当ての重みが、これからの現実を実感させる。
十年経っても体は覚えていて、やはりこれが一番しっくり来ると思う。
右腕の袖を固定しながら、体が戦いの予感に満ちて行く感覚にアーロンは自嘲する。
結局、この街の人間になる事はできなかった。
この十年で所詮己はスピラで戦いの道を選んだ者なのだと痛感させられた。
十年前には無かったハイネックガードを取り付け、部屋を出た。
そして再びリビングへと戻る。
テーブルの上には小さなガラス製の菓子ポットが置いてある。
中には色取り取りの砂糖菓子が入っていた。
昨日、ティーダが買って来たクローンフラワーの砂糖漬け。
アーロンはそっと蓋を開け、そこから小さな花を一つ取り出して口にする。
「…甘いな」
まるで、この十年を現わすような、くどくない甘さと花の香り。
だが。
「……」
壁に立てかけられた、二振りの剣。
一つはアーロンの太刀。
もう一つは。
「…ジェクト、いよいよだ」
アーロンのそれより幾ばかりか小ぶりなソード。
これが、これからの現実。
その二振りの剣を担ぎ、アーロンは部屋を出る。
「……」
一度だけ、アーロンは足を止めて家の中を見回した。
十年。
長い様で、瞬く間に過ぎた時間。
「ティーダ」
そっと最愛の名を呟く。
これから哀しみの地へ降り立たなければならない少年の名を。
「……愛している」
全てが終わるまで、もう、二度と口にしないだろう彼への想いを。
「愛している……」
その想いを置き去る様に、暖かな思い出の溢れる部屋に背を向ける。
ぱたりと、扉が閉じられた。









(2002/06/18/高槻桂)

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