大きな足跡を辿る小さな足跡
ガタリ、と物音がして少年は目を開けた。 とは言っても開けても閉じても暗闇に変わりは無かったのだが。 あれから何日経ったのだろう。 元々多くはない子供の体力は飢えと乾きに奪われた。 もう、震える力すら残ってはいない。 がたがた、と続けて起こる物音に、少年は音のする方向を見上げる。 何かが蓋を抉じ開けようとしているような音だ。 最早村人が助けに来てくれるとは思ってはいない。 魔物だろうか、獣だろうか、と少年はぼんやり思う。 もうどうでもいい、そんな思いで少年は目の前の天井を見上げていた。 ばきっ、と一際大きな音がして光が射し込んで来た。 暗闇に馴れた眼は光に眩惑され、少年は目をきつく閉ざす。 「ああ、良かった。まだ生きている」 柔らかな男の声に、少年は恐る恐るその目を開けて見上げた。 漸く光に馴れて来た両の目が写した人物に、少年は眼を見張る。 まさか、と思った。 目の前で「良かった」と繰り返すその男の顔に見覚えがあった。 青味がかった銀の髪、彼がその街の主であると示す造りの衣装。 召喚士なら、召喚士を目指す者なら誰でも知っている。 大召喚士・エボンだ。 ザナルカンドの主が、何故こんな所に。 「どうして……」 乾いた喉を通して漏れたのはしゃがれた声だったが、それでも男には十分通じたらしい。 「私の息子が君の声を聞いてね」 脇に手を差し入れられ、軽々と少年は彼に抱き上げられた。 御畏れ多い、と下りようとする少年を彼は良いから、と少年を腕に抱いて振り返った。 「無事だったよ。良かったね」 振り返った先には、子供がいた。 歳は少年と同じくらいだろうか、茶の僅かに混じった濃い金髪の少年だ。 「父様、水、」 驚いた事にこの少年は彼の息子らしい。 娘とは歳の離れた幼い息子がいると噂には聞いていたものの、まさかこんな所で会うとは思っても見なかった。 「ああそうだった、ありがとう」 彼は差し出された水筒を受け取って少年の口元へ持って行く。 「飲めるかい」 そっと傾けられ、水が渇いた喉を潤していく。 一旦得ればそれは止まらなくなり、始めは支えられていた水筒も自分で支え、空になるまで喉を鳴らしていた。 飲み干してしまってから全て飲んで良かったのだろうかと男の顔を窺うと、彼はまた「良かった」と笑った。 「飲めないほど衰弱していたらどうしようかと思ったんだけど、これなら大丈夫だね」 「良かったね」 そう見上げてくる少年に、どうしてここがわかったのかと少年は問うた。 「声が聞えたんだ。助けてって。出してって」 「この子は少し変わった力があってね。昨夜この子が突然部屋に駆け込んで来て、「助けてあげて」って。それで慌ててケツァクウァトルに乗って一っ飛びして来たのだけれど」 いやあ流石にケツァクウァトルは少々痺れたよ、と笑う男に、どうして、と今一度問う。 どうして、僕の様な子供一人の為にわざわざ貴方が。 「そりゃあ大事な息子が泣きそうな顔で頼んでくるのだから、叶えてあげないと」 それに、と彼は穏かな笑みで少年を見下ろした。 「助けを求めている人間が、自分の手の届く所にいるのなら助けるのは当然の事だろう」 ねえ?と首を傾げて我が子を見下ろすと、彼も「ね」、とにっこり笑って同じ方へと首を傾げる。 「さて、一先ず帰ろうか」 そのまま歩き出す彼に、少年は歩けますから、と下ろしてもらった。 遠慮しなくても良いのに、と彼は笑っていた。 「はい」 実際に立って見てみると、やはり少年と彼の息子との身長は同じくらいだった。 僅かに彼の方が低いだろうか。 その少年が、手を差し出している。 手を繋ぐという事なのだろうか、おどおどと己も手を差し出すと、彼はその手を取ってにっこり笑った。 「俺とアンタ、今から友達」 初めて握った他人の手はとても柔らかくて暖かくて。 「おや珍しい。この子は人見知りが激しくてね。滅多な事じゃあ自分から友達を作ったりはしないのだよ」 微笑ましげに笑う彼の父親。 そうは思えないほど少年は人懐こく、鮮やかな笑顔を浮かべていた。 光だった。 ただひたすら村人に認めてもらいたくて、召喚士の道を目指していた頃は友などいなかった。 勿論、歳若いと言う事もあったのだが、何より「出る杭は打たれる」と言われるほど抜きんでた者は疎まれ易い。 それ故に少年の周りには人がいなかった。 箱に詰められた時、このままこの暗闇で全てを終えるのかと思った。 けれど、そこに差し込んだ一筋の光。 それは少年を暗闇から光の元へと連れ出してくれた。 これからどうしたいと聞かれた時、全ては決まった。 「僕は……」 この少年を守りたい。 この笑顔を曇らせない様、ずっと。 君を、守りたい。 ……守りたかった。 僕はエボン様の御厚意によって、彼等に最も近い居住区に部屋を頂いた。 エボン様は普段はとても温厚で御優しく、思いの外のんびりとした方だった。 けれど、一度魔物が現れればその表情は一転し、指導者として、召喚士としての顔を覗かせる。 そして、とても民に愛されていた。 彼ほど主たる主はいないだろうと思わせるほど彼は素晴らしかった。 そしてエボン様の息子はとても明るく、母君に良く似た少年だ。 彼は愛されていた。 姉君であるユウナレスカ様も、彼の事をそれはそれは溺愛していた。 ユウナレスカ様の夫であるゼイオン様との仲も良好で、笑顔に溢れていた。 ザナルカンドはエボン様を中心に、エボン様御一家は彼を中心に回っていると言っても過言ではない。 光に祝福された少年。 その彼が、僕を親友と呼んでくれる。 何よりも誇らしかった。 僕はずっと彼の傍らで彼を支えながら、守りながら生きていくのだと思っていた。 そう、信じて疑わなかった。 事実、そうなっていた。 ベベルとの戦争が始まるまでは。 始まりは、ベベルからの通達。 スピラの二大都市、ベベルとザナルカンド。 それを一つの大都市にしようという提案だった。 ただし、法はこちらの法に従って頂きたい、と。 勿論これにザナルカンドは反発した。 無理に変革を遂げる必要は皆無。 何より、我らには我らのやり方がある。 今まで培って来たそれを突然変える事など出来ぬと。 だがベベルは引かなかった。 彼らは恐ろしかったのだ。 自分達と並ぶ大都市が。 機械文明が発達し、武器も強力な物が出て来た。 もし、もう一つの大都市が牙を剥いたら。 それが怖かったのだ。 権力を持つ者が不安に駆られたら何をするか。 殺られる前に殺れ。 そして、ベベルの権力者達には同時に欲もあった。 己が手にしている力。 それを振るってみたかった。 スピラの二大都市の片割れと言われるこの都市の力を、己の手で動かしてみたかったのだ。 そして、戦前最後の通達が届いた。 従わぬのなら実力行使有るのみ。 元々非好戦的なザナルカンドはベベルの襲撃に耐える事が出来ず、負けは目に見えていた。 僕には何も出来なかった。 大勢の召喚士達が倒れ、生き残った召喚士はほんの僅かとなった。 そして最後の通達が届き、民はドームへと集められた。 最終砲撃まで残り僅かに迫る頃、僕はレミアム平原(後のナギ平原)に居た。 平原から、じっとガガゼトの頂きのあるだろう方向を見上げていた。 すぐ傍にはユウナレスカ様とゼイオン様もいる。 僕たちは、見届けなければならない。 これから犯す罪を。 この世界を死の螺旋に陥らせる罪を。 見届けなければならない。 そして、それは咆哮と共に姿を現わした。 やがてユウナレスカ様がゼイオン様と共に「シン」を倒した。 エボン様から授かった究極召喚で、「シン」は眠りに就いた。 その間に各地にエボンの教えが広まり、寺院が建っていった。 そこには各一体ずつ新たな祈り子が眠りに就いている。 以前までの祈り子像は全て「シン」によって破戒されてしまい、新たな祈り子が必要となったのだ。 だが、肝心のベベル・エボン寺院の祈り子の座は未だ空席だった。 ベベルは今やスピラの中心だ。 だから、何より強い祈り子でなくてはならない。 「私が、なりましょう」 ふらりと現れた子供に彼らは訝しげな視線を向けた。 だが、その子供が類稀なる資質を持った者だと分かると掌を返したように優遇した。 そうして僕は、ベベルの祈り子に選ばれた。 「名は何と言う」 祈り子となる者に名前など。 だが彼らにも彼らなりの体面があるのだろう。 仕方なく名を名乗ろうとして、沈黙した。 名は。 僕の名は、彼に捧げた。 「どうした」 総老師が怪訝そうな声で見下ろしている。 僕の名は。 僕は、一時はエルニーニョとまで呼ばれていた。 エルニーニョ。神の子を意味する言葉。 だが、僕は光を、エルを失った。 「………ニーニョ、と申しまする」 僕は光を失った只の子だ。 せめて、エボン様が創り出した夢のザナルカンドを。 君が新しく生を受けるその世界を。 僕は紫のローブを身に纏い、祭壇に立つ。 君と初めて出会った時のこの服で、僕は祈り子となる。 見守る事しか出来ないけれど、この螺旋を継続させる鎖となって君を守るから。 だから、もう一度。 その鮮やかな笑顔で。 僕の名を。 (2002/06/23/高槻桂) |