大きな足跡を辿る小さな足跡





とにかく、「シン」に向かって泳いでいたのは覚えてる。
その後の事は、よく覚えて無い。
ぼーっとしてて、靄が掛かったみたいで。
一つだけ、覚えてる事がある。
「シン」はオヤジだ。
そう、感じたのは、覚えてる。




ここ、何処だろ…。
何か、暗い場所。
森?違う。何だろう、ここ。
彼方此方に、人がうろついている。
……あ、こいつら、討伐隊の人達だ。
あれ、あそこに居るのって、ルッツ?

――駄目だよ

え?
目の前に、あの紫の衣装を纏った子供がいた。
ニーニョなのか?
そう、聞きたかったのに、声は出なかった。
彼は来るな、と言うように首を横に振る。

――まだ、早い。

途端、辺り一面光に包まれて、俺は眼を閉じた。
そしてゆっくり開いてみると。

ザナルカンド。

ザナルカンドの、俺の家。
その甲板に座っているのは、ガキの頃の、俺。
『ジェクトは練習嫌いだから、もうすぐ引退なんだってさ』
ガキの俺の言葉に、俺の口は勝手に動いた。
「勝手に言わせとけ。俺は特別なんだ」
その声に、驚いた。
これ、オヤジだ。
オヤジの記憶を、見てるんだ。
この時のは、覚えてる。
ダグルス贔屓の奴等に、お前の親父は練習しないし酒浸りだからもう引退だってからかわれて、それでオヤジに文句付けた時だ。
けど、オヤジはいつもの様に取り合ってくれなくて、結局最後には泣いてしまった。

「どうして泣くかねぇ…なっさけねえ…」



そして、再びホワイトアウト。


『ティーダ』

……アリス…?

『ティーダは、どうしたいの?』
どう、したい…?

『みんな、迷ってる。死んだ事が分からなくて、哀しくて、迷ってる』

『キミが送れば、ユウナは負担が少なくて済む。けど、みんながキミを見る目は…変わるかもしれない』

『何もしなければ、みんなは何も気付かない。けど、ユウナはその分、涙を流す』

俺が、異界送り…?

『そう。キミは、知ってるはずだよ。キミは、異界送りが出来る』

……ああ、そうだ。
思い出した。
俺、そうだった。


……けど、アーロンがダメだって。


『大丈夫、ここはスピラだから。だから、大丈夫』

『だから』

『キミの、好きな方を、選んで良いんだよ』

俺の、好きな方。

俺の。


……俺は……。







海の底から、ティーダの体が緩やかに浮上し始めた。
ゆらりとしたそれでなく、すっと立ち上るように。
暗い闇からやがて水面まで上がっていく。
たぷん、と音を立てて水の膜を破り、大気へ顔を出す。
だが、浮力はそれに留まる事無くティーダを持ち上げる。
足先までが水面に出て、漸くそれは止まった。
閉じられていた瞳が、ゆっくりと開かれる。
けれど、その瞳にいつもの光はない。
焦点の定まらぬその視線は揺らめく。
ティーダ!と、誰かが彼を呼んだ。
彼がよく知る少女の声だ。
けれど、彼にその声が届く事は無かった。
緩慢な動作で腰のホルダーからフラタニティを取る。
それをしかと握り、何かに導かれる様にそれを振った。






――良いかい?
異界送りに大切なのは、舞いじゃない。
大切なのは、死者の安息を願う心だ。
お前は優しい。
だから、きっと私より多くの死者を異界へと導けるだろう。
忘れてはいけないよ。
大切なのは、心だと。






「ティーダ!」
ユウナは「シン」が消え去った辺りの水面でぼうっと立ち竦むティーダを呼ぶが、反応はない。
駆け寄ろうにも、ここは崖の上。
彼のいる水面までは程遠い。
ユウナの視線の先、ティーダはゆっくりとフラタニティを取り、一度、頭上で振り回した。
(これは…!)
頭上で一度回し、次に体ごと回る。そして腕を交差させ、広げる。
腕を後ろへ流しながら片膝を着き、フラタニティをくるくると回しながら立ち上がり、次の動作へと流れていく。
「異界送り…」
ユウナが驚きに眼を見張り、小さく呟く。
それも彼が舞っているのは、ユウナがいつか見せたそれではない。その舞いの、原形だ。
そして、沸き上がった水の台座の上で舞う、彼のその舞に導かれて近付いていくのは、無数の幻光虫。
「そんな…」
一度に送れる量は人それぞれだ。
召喚士の力が強ければ、それだけ多くの死者を一斉に送れる。
だが、これは規格外だ。
ティーダの周りは幻光虫で埋め尽くされ、彼自身の姿が見えないほどだ。
やがて集まり、漂う幻光虫は彼を中心として渦を描き、空へと昇っていく。
じゃり、と背後の物音にユウナははっとする。
「アーロンさん!」
アーロンは踵を返し、海岸へ下りる為の昇降機へと向かう。
ユウナは慌ててその後を追い、一度だけ海を振り返った。
「ティーダ…」
柔らかな竜巻の様なそれは、いつまでも天へと昇っていった。




だからさ、覚えてないんだってば。
「シン」に向かって泳いで、そしたら意識途絶えてさ。
気付いたらここで寝てたってわけ。
あ、何、ワッカが運んだの?へー。そりゃどーもありがとさん。
イタタタタ!ワッカ、痛いって!
ホントホント、感謝してるって!!だから頬抓るの止めろって!
ふう…。それにしても、異界送り?俺が?
あっは、何の冗談だっての。
え?だって俺覚えて無いもん。

ああ、でも…アリスの声、聞いたような気がする。
アリスと…あと、誰だろう……すごく…懐かしい、ような……。
誰、だったんだろう……。


「帰れなかったな」


分かったのは、「俺は帰れない」という事。

それだけで。

……俺は、帰れない。

漸く、それが現実だと、受け入れた。




「「シン」はジェクトだ」
アーロンの言葉に、俺は視線を落す。
「シン」はオヤジだ。
そう感じた。
けど、まだ信じたわけじゃない。
…信じたくない、んだろうな。
「奴はお前に会いに来た」
何だよそれ、俺に会う為に、沢山の人を殺したのか?
…俺に、殺される為に?オヤジが?
……。
俺だったら、きっと、オヤジと同じ事、したと思う。
あんな姿になって、人や街を壊しまくって。
だったら、死んだ方がマシだ。
それと、どうせ殺されるなら知らない人より、やっぱ、知ってる人に殺して欲しい。
相手には悪いけど、せめて、知ってる人に。
「ふざけんじゃねーよ。なんであんたに、そんなことが分かるんだよ」
「ふっ…」
誤魔化すように言った言葉に、アーロンは小さく笑った。
お前とて分かっているだろう。
そう言いたげな笑みだ。
そのままアーロンは背を向け、立ち去ろうとする。
「話の途中だろ!逃げんなよ!!」
「お前もな」
「!」
俺は、何も言えなかった。


アーロンの後を追うに追えなくて、それを誤魔化すように視線を巡らすと、シーモアと何か話しているユウナの姿が目に付いた。
そうだ、聞かなきゃならない事があったんだ。
俺、シーモアに会った事、ある様な気がする。
ルカで見た、あれよりもっと前。
海の遺跡みたいな所で、リュック達と会う前に誰か、会った様な気がする。
その誰かが、シーモアのような気がするんだ。
けど、あの時の記憶があやふやで、良く分からない。
あれは、シーモアだったんだろうか。
それを、確かめたかった。
俺が近寄ると、それに気付いたシーモアがこっちを見た。
「おや」
「ティーダ」
ユウナもつられて振り返る。
「先程の異界送り、とても素晴らしかった」
そう微笑むシーモアに、俺はハッ、と鼻で笑った。
「悪いけど、覚えてないんでね。誉められても嬉しくも何ともないね」
「それは失礼を」
「それより、聞きたい事がある」
そう言ってシーモアを見上げると、彼は少し驚いたように目を見開いた。
「私に?」
「あんたさ、どっかで会った事、ない?ルカよりもっと前。変な、遺跡みたいなトコ」
「……さあ、覚えは有りませんが…?」
しかし、私は公務上彼方此方へ赴いていますから、もしかしたら其処で御会いしたのかも知れませんね。
そうシーモアは微笑んだ。
「うーん…絶対アンタだと思ったんだけど…」
そう考え込むと、「失礼」、とシーモアが手を伸ばした。
「前髪にゴミが…」
そう伸ばされた指が前髪に触れ、一瞬、額に触れた。
「っ…」
途端、頭の中がぼうっとした。
思考がうまく纏まらない。
真綿で包まれているような、感覚。
「取れましたよ。…おや、どうしました?」
え…?
「ティーダ?どうしたの?」
あ、そうだ、俺。
「あ、や、何でもない。ちょっとぼーっとしちゃって」
えっと、何だったっけ?ああ、そうそう。
「えと、さっきのだけど、やっぱ、気にしないで。ゴメンナサイ」
「良いのですよ。それでは、私はこれで」
そう微笑んで、シーモアは去っていった。
…あれ?なんか引っ掛かるんだよな。
………。
まいっか。







(2002/07/02/高槻桂)

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