大きな足跡を辿る小さな足跡
眠らない街、ザナルカンド。 だが唯一、夜と共に静けさを取り戻す場所がある。 人々は、元々あったその名を改め、敬意を込めてこう呼ぶ。 エボン・ドーム、と。 召喚士達の集うドームやその奥の居住区、ブリッツ・ボールなどの催し物の行われるスタジアムや広大な庭園。 深夜を迎える頃にはその敷地内は静まり返り、警備の者以外は自室出る事は殆ど無い。 そんな暗闇の中を駆け抜ける小さな影が、一つ。 ティーダは懸命に走っていた。何かから逃げるように。 だが、彼の後ろには同じく闇が広がるばかりで、彼の足音と息遣い以外何も聞えない。 けれど少年は懸命に走っていた。 足を止めてしまえば、そこで死んでしまうかのように。 「…っはっ、はあっ…」 ティーダはいつも登っている大木の根本に辿り着くと、その幹を懸命に駆け上る。 「…はあっ、はあっ…」 登りきり、肩で息をしながらその太い枝の上に幹を支えに立ち上った。 「……」 その視線の先には、未だ灯りを失わぬザナルカンドの街並みが並んでいる。 その灯りに異変はなく、いつもと同じ夜を迎えているようだ。 「…良かった…」 ティーダは泣きそうな表情のまま引き攣った笑みを浮かべ、その幹に腰を下ろした。 「良かった…」 もう一度そう呟き、彼は己の両手でその泣きそうな顔を覆う。 「何が良かったのだ?」 「?!」 突然掛けられた声に、ティーダはバランスを崩してぐらりと後ろへ倒れ込んだ。 「ぅわっ!」 立て直せない、そう思った瞬間、ティーダの視界は闇に遮られた。 「…え?」 自分は落ちている。だが、その速度はふわりとしたもので、重力に従った速さでは無い。 体を包んだ温もりに、ティーダは自分が誰かに抱えられている事に気付いた。 鼻を擽る香の様な香り。 何の匂いだろう、そう思った次の瞬間、とん、と軽い衝撃が走り、地面に辿り着いたのだと知った。 「あの…」 すとん、と地面に降ろされ、素足が夜露に湿った草を踏んだ。 見上げると、全身漆黒のローブに包まれた酷く不機嫌そうな表情をした男の姿が月の光に照らされている。 背中まである黒髪は紐で一つに結わえられ、その髪と同じ色の眼が無遠慮に少年を見下ろしている。 「……」 目の前の少年が裸足だと気付いた男は一層不機嫌そうな表情になり、ティーダは気まずげに視線を逸らした。 「…護衛も付けず闇夜をうろつくとは…愚かな」 「ご、ごめんなさい…あ、あの…おじさん、誰…?」 だが、男はひたすらティーダをじっと見下ろしている。 「…あの…?」 「…何が」 「え?」 漸く漏れた低い声にティーダは首を傾げた。 「…何が「良かった」のだ?ティーダ」 その問に、ティーダは「その、」と体裁悪げに胸の前で指を弄くる。 「怖い、夢を見て…」 呆れられるだろうか、と思いながら告げると、男はバカにするでもなく「夢?」と鸚鵡返しに問う。 「ザナルカンドが、無くなる夢…みんな、死んじゃう夢…それで、最後に、父様が…これで全部終わるからって、僕を閉じ込めちゃうんだ…」 そうしたら、と彼はかたかたと震え出す手にぎゅっと力を込める。 「僕、出してって叫ぼうとしたのに、声が出なくて、まっくらで、目が覚めて…」 「夢であると確かめに来たのか」 男の言葉にティーダはこくりと頷いた。 「…ザナルカンドが」 不意に男は言葉を切り、居住区の方を見た。 ティーダもそれにつられてそちらを見ると、火の玉の様な物が揺らめきながらこちらへ近付いてくる。 「あれは…」 男が忌々しげに舌打ちする。 次第にその火の玉は近付いて来て、その傍らに居るのが誰なのか気付いた。 「ミカちゃん!」 「ティーダ、やっと見つけたぞ」 ミカは安堵の息を吐くと、掌の上で揺らめいていたカンテラ代りの炎の塊を空へ向かって放り投げた。 するとその炎の塊は一定の高さまで上がると、そこでぴたりと制止して燃え続ける。 火に関する魔法は、彼が最も得意とするものだ。 ミカはその炎が燃え続けているのを見届け、漸く男と向き合った。 「…よお」 「……」 お互い、苦々しい表情だ。 「ティーダ、何もされなかったか?」 男から引き離すようにティーダの腕を引いてこちらに引き寄せる。 「ううん、助けてもらった」 「は?!」 ミカが言い表し用の無い表情をしたので、ティーダは樹の上から落ちかけた所を助けてもらったと説明した。 「…要はこいつが突然声を掛けたから落ちそうになったんだな?」 「え?えっと、そうじゃなくてね?」 ティーダとしては助けてくれた事を強調したかったのだが、ミカは男の所為でティーダが樹から落ちかけた事を重要視しているようだ。 「ティーダ!」 すると、また新たな人物が現れた。 ミカの炎を見つけて駆け付けたエボンだ。 彼はティーダの元に辿り着くや否やその小さな体を抱きしめた。 「どうして夜に外へ出たりしたんだい!すぐ気付いたから良かったものの、もし何かあったら…!」 エボンはその先を口にするのすら恐れるように、抱きしめる腕に力を込めた。 「ごめんなさい、父様…」 「無事で良かった…」 そして漸くティーダを解放し、ミカともう一人の人物に気付いた。 「……」 男をじっと見上げたエボンは、立ち上るとティーダの頭を優しく撫でて告げた。 「ミカと一緒に帰っていなさい。私は少しお話しがあるから」 「?うん」 エボンがミカに視線を向けると、彼は頷いてティーダに手を差し出した。 「ほら、行くぞ」 「うん…」 「私もすぐ行くから。眠れない様ならココアを入れてもらいなさい。ユウナレスカとムスカが待っている」 父の穏かな笑みにもう一度頷き返し、ティーダはミカに手を引かれながらその場を去ろうとする。 「ティーダ」 だが、男がティーダを呼び止めた。 「なに?」 ミカの突き刺さるような視線を無視し、男はきょとんと見詰めてくるティーダの青い瞳を見詰め返した。 「私の名は、クロミネ」 ティーダは先程彼が名乗らなかったのを思い出し、こくりと頷いた。 「ありがとう、クロミネ」 そう小さく笑い、ミカに突付かれて漸く帰路に就いた。 「…夢を見たそうだ」 二人の姿が完全に見えなくなり、先に口を開いたのはクロミネだった。 「お前の息子が夢見だというのは本当らしいな。あの子供、ザナルカンドの敗北を夢に見たらしい。あの子供の見る夢が本当なら、民はみな死ぬ」 男の言葉に、エボンは「そうか」と視線を落す。 「…戦の終わりに、お前はあの子供を閉じ込めて一人で出ていくそうだ」 何をする気だ、と男は低い声で問い質す。 「…あの子は、全て分かっているのかもしれないね…」 だが、エボンはそう呟いて哀しげに微笑むだけだ。 「…クロミネ、頼みがある」 「断る」 即答する男に、エボンは苦笑を洩らす。 「聞くだけ聞いてくれれば良い。…あの子を、守って欲しい」 男は訝しげな表情でエボンを見る。 「戦争が始まれば私はあの子の傍に居てやれなくなる。ミカも同様だ。ムスカがあの子の傍に居るけれど、ムスカも召喚士としてはともかく、ガードとしてはまだ未熟だ」 「だからお前に代わってあの子供を守れと?」 「そうだ」 「見返りは」 ミカがクロミネを嫌う理由の一つがこれだ。 彼は自分自身の為以外に動く事を極端に嫌い、何をするにも必ず見返りを要求する。 その根性が気に入らない、とミカは彼を嫌っている。 「何が欲しいんだい?」 エボンの問いに、彼は黙り込んだ。 彼は確かに事ある毎に見返りを要求するが、彼自身それほど物欲がある方ではない。 だから大抵は金で済ませるのだが。 「…私はまだ受けると決めた訳ではない。受けたその時貰うとする」 そう言って彼はミカたちが去っていった方向とは反対の方へと歩き出す。 ピュイ、と彼が指笛を吹くと、どこからともなく大きな狗が彼の傍らに降り立った。 「クロミネ」 エボンの声にクロミネと狗の歩みが止まる。狗はエボンを振り返ったが、クロミネはそのまま制止している。 「ありがとう」 「……」 そして彼は再び歩き出し、闇の中へと消えていった。 「さて、早く行かないとティーダに怒られてしまう」 一人取り残されたエボンは、愛する家族の待つ場所へと歩き出した。 (2003/06/12/高槻桂) |