大きな足跡を辿る小さな足跡




「………」
ぽてぽてと前を歩く少年の後姿を見詰めていると、くるりとその蜂蜜色の髪が揺れ、男を振り返った。
「…痛くないの…?」
幼い視線は男の右眼の上を縦断する傷痕に注がれている。
その問いに男は自嘲気味に笑った。
この傷は主を、そしてお前の父親を無駄死にさせてしまった自分への戒めだ。
そう、口には出さず思う。
「……」
何も答えない男に、ティーダはまあいいや、と視線を戻した。
「…そこ、俺んち」
そう指し示す先には、一件の海に浮かぶ船形の家。
「…?」
男はふと違和感を感じ、すぐにその理由に行き当たった。
辺りの家々は夜の宴に花を咲かせ、その窓から暖かな明かりが漏れている。だが、ティーダの指し示す家だけが、ひっそりと闇に紛れ、沈黙を保っていた。
母親はどうしたのだろうかと男は僅かに眉を顰める。
だが、ティーダはそれを特に疑問に思ってはいない様だ。
ティーダは数段の階段を降り、ポケットから取り出した鍵で扉を開ける。
それと同時にセンサーが反応して玄関から廊下にかけて明かりが点った。
「ただいま」
その声は、ただそれを言うのが習慣だから、という感じで、ぼそりと呟かれた。
「アンタの靴、貸して。母さんに見つかると面倒だし」
「すまん」
差し出された靴を受け取り、ティーダは自分の部屋にそれを隠した。
「良いよ。俺が勝手に連れて来たんだし」
「……疑わないのか」
「何を」
「ジェクトの友人だと言う事と、お前を守る為にここへ来たという事」
道中、どうして自分を探していたのかと問うティーダに告げたそれを、彼はあっさりと受け入れたのだ。
「…父さんが居なくなってさ、色んな人が家に来たんだ。皆揃って同じ事を言うんだ」

『ジェクトの息子だね?君のお父さんに頼まれたんだよ。何かあった時は頼むってね』

「みんな金と母さんが目当てなだけで、本当は父さんの事なんて良く知らないくせに」
ならば証拠を。
父は最も信頼する者に己の大切にしていた銀の装飾品を渡すと。
それをお見せ下さいませ。
「みんな口を揃えてこう言うんだ」

『ああ、勿論持っているよ。後で見せてあげるから、お母さんの所へ案内してくれるかな』

ばっかじゃないの、と少年の顔が嘲りと哀しみに歪む。
「そんなモン、あるわけないのに」
それは、母親を守りたい一心で幼いながらも必死で考えた抵抗。
「でも、アンタは違ったから」

――…悪いが持っていない。

「……嬉しかったんだよね」
そう言ってくれる人に初めて会えた。
ティーダはリビングへ向かうと、所在無げに後を付いて来る男をそのままに、壁際に設置された電話前に移動し、ちかちかと留守録の存在を示す灯かりが付いているの確認してボタンを押す。
『…ピーー…一件です。……ティーダ、お母さんね、今日はこっちでお泊まりするから戸締まりお願いね。明日の夜には帰るから。ご飯は冷蔵庫に入ってます。…いつもごめんね……ピー…以上です』
「…母親は仕事か何かか?」
メッセージを消去し、ティーダは俯いて首を振った。
「父さんを探しに、海へ出てる。…あと少しで父さん、死亡扱いにされちゃうから、母さんも必死なんだ」
そのままリビングを出て自室に向かう。
「入って」
付いて来る男を自室に招き入れ、ティーダは扉を閉める。
「その辺、座って良いよ」
言われるままに男はベッドの前に腰を据える。
ティーダは少し離れてその向いに座ると、そう言えば、と男を見る。
「ねえ、名前は?」
「アーロンだ」
アーロンさん、そう復唱すると、「アーロンで良い」と直される。
「じゃあ、アーロン。俺の事、守ってくれるの?」
「ああ」
「傍に居てくれる?」
「ああ」
間を置かず返される応えに、ティーダはそう、と肯いた。
「じゃあ、良い」
言葉とは裏腹に、膝を抱えたティーダはアーロンを信用した様子はない。
傍に置くのは、ただ自分が寂しいからで。
まずは、約束云々よりこの少年の信頼を得る事が第一だ、とアーロンは小さな溜息を吐いた。






(続く)



(2002/03/18/高槻桂)

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