大きな足跡を辿る小さな足跡






その日、エボンは珍しく一日中出掛ける事をしなかった。
食事も取らず自室で一人物思いに耽っているらしく、部屋の掃除に来た家政婦すら追い返されてしまっていた。
「父様は?」
夕方になり、彼の息子であるティーダが帰宅するまでそれは続いた。
「エボン様は朝からお部屋の方に…あっ、ティーダ様!」
ティーダは止める間もなく駆け出し、父の自室へと向かった。
「父様!」
ノックするとすぐ様応えが返って来た。入っておいで、と。
ティーダが室内へ踏み入れると、もう日が暮れるというのに室内に明かりは点されていなかった。
「父様?」
ティーダがスイッチを押すと一瞬にして室内が明るく照らされる。
窓辺に肱掛椅子を寄せてそこに身を委ねる父の姿を見つけ、ティーダは駆け寄る。
「ああ、おかえり、ティーダ」
エボンは力無く微笑み、幼い息子を迎え入れた。
「父様、大丈夫?」
「大丈夫だよ。どうやら今日はゆっくりし過ぎてしまったみたいだ」
体ががちがちだよ、と笑う父に、ティーダはほっとしたように表情を和らげた。
「今日は何を習ったんだい?」
父の問いかけに、彼は嬉しそうに「あのね」と語り出した。
「父様、今日ね、異界送りの踊りを教えてもらったんだ」
「もうそんな所まで行ったのかい。さすが私の自慢の子」
喜ぶ息子の頭を撫でながら、エボンは複雑な思いに捕われた。
ティーダの才能は見る間に芽を出し、今にも花開かんばかりの蕾にまで育っている。
それがとても誇らしく、同時に不安を呼び寄せる。
この子は、確実に私を越える。
この子が望む望まないに関らず、召喚士としての修行を続ける限りその才の開花を止める事は出来ないだろう。
大きな召喚士としての力と、夢見としての力。
その力に押し潰されてしまわないだろうか。
「父様?」
黙り込んでしまったエボンに、ティーダが首を傾げて見上げてくる。
「…ティーダ…」
エボンはティーダの小さな手をそっと取り、「よくお聞き」とその瞳を覗き込んだ。
「良いかい?異界送りに大切なのは、舞いじゃない。大切なのは、死者の安息を願う心だ。
お前は優しい。だから、きっと私より多くの死者を異界へと導けるだろう。
忘れてはいけないよ。大切なのは、心だと」
ティーダは数秒じっと父を見上げている。まるで、父の心を全て見透かそうとしているように。
だが、ティーダは何も言わず、やがて力強く頷いた。
「うん、わかった」
そして父を逃さぬようにしっかりと抱き着いた。
「僕、忘れないよ…絶対に」




時を遡る事数刻。
エボンは肱掛椅子に身を委ね、じっと何かを考え込んでいた。
「…駄目だ」
やがて大きな溜息と共に体の力を抜き、眼を閉じる。
「駄目だ。私一人では魔力が足りない」

「魔力なら有る」

エボンしか居ないはずの部屋に響いた第二の声。エボンが目を開くと、彼の前には一人の青年が立っていた。
「誰だい、君は」
身を起こす事無くエボンはその青年を見上げる。
旋毛の多そうな金髪を彼方此方に跳ねさせ、ぼろぼろの深紅のマントを羽織っている。そして背には大きなソードを背負ったその青年は、感情の見えない目でエボンを見ろしていた。
「ガガゼトには大いなる力が封じられている。全てを滅ぼす暗黒のメテオと、それを抑え込んでいる全てを癒す純潔なるホーリー。その魔力を使えばお前の策は成る」
「だが、それではこのスピラに大きな被害を与えてしまう可能性だって有る」
「お前の理想郷は無血では成されない。この街や家族の幸せと崩壊、どちらを取るか。ただそれだけの事だ」
全てを救う事など出来ない。
青年は自分に言い聞かせるように呟く。
「君は、救えなかったのかい」
「…世界は救われた。だが、俺の手には何も残らなかった」
青年はそこで口を閉ざし、エボンも何も言わなかった。
ただ時だけが過ぎていき、長い沈黙の後、漸くエボンが呟くように聞いた。
「その力を解き放つには」
「ホーリーの戒めを緩めてやれば良い。それだけで、全て解き放たれる」
「何故、それを私に」
「…関係の無い事だ」
そして青年は窓から出ていった。
人には有り得ない、片方だけの皮翼を羽ばたかせて。
「……全てを救う事など、出来ない…か……」
再び一人になったエボンは小さく呟く。
そして口の中で呪を唱え、右腕を持ち上げた。
するとそこに何処からともなく一羽の鷹がその腕に舞い下りる。
「ユウナレスカとゼイオンに連絡を。至急、戻るようにと」
鷹は大きな翼を広げ、青年が飛び立った窓から同じ様に飛び出していった。
それを見送ったエボンは長い溜息と共に眼を閉じた。
「…やはり私は上に立つべき器ではないよ」



「お父様、ただ今戻りました」
二日後、ユウナレスカとその夫、ゼイオンはエボンの前に姿を現わした。
「早かったね」
「偶然近くに居たもので」
そして彼女はテーブルの上に置かれた幾つもの球体に気が付いた。
「お父様、これは?」
エボンは十個有る内の一つを手に取り、光に透かすように掲げた。
薄いピンク色をしたその小さな球体の中には、不可思議な文字らしきものが漂っている。
「私の術を封じたスペルキューブだ。一つに付き一度、閉じ込めた魔法を使う事が出来る。
…この中には、祈り子を作り上げる為の禁呪が封じられている」
「祈り子の…!何故…」
ユウナレスカは眼を見張った。
その術は、目の前に居る父、エボンが編み出した禁呪。
人一人の魂を封じ、召喚獣を生み出す彼にしか使えぬそれ。
エボン自身がそれを忌み、二度と使わぬと封じたはずのそれ。
それを何故。
「戦争が近付いている事は、知っているね」
エボンはゆっくりと語り出した。
これから自分が成そうとしている事、そしてその思いを。



その日、寺院の奥の一室に彼らは集った。
エボンとそのガードのミカを始めとし、ユウナレスカにゼイオン、ニング僧正、サリ僧官、召喚士のラジ、ナタナ、レミ、ラグ、ムスカ、そしてクロミネ。
彼らはただじっとエボンが口を開くのを待った。
「…私の我侭に付き合ってくれる事、有り難く思う」
ふん、とクロミネが詰まらなそうに鼻を鳴らし、ミカが睨み付ける。
「だが、今一度問う。本当に良いのかい?特にラグ、ムスカ…君たちはまだ幼い」
「いいえ、エボン様」
ムスカはゆっくりと首を横に振った。
「僕も、残ります…祈り子になる為に」
続いてラジも指を合わせながら「わたしも、」と小さな声で告げた。
「私もお姉ちゃんも、この街が好きです。壊そうとするベベルは嫌いです。エボン様のお考え、素晴らしいと思います。だから、お力になれる事、凄く嬉しいです」
下らん、と低い声が遮った。
「クロミネ!」
「ミカ、止すんだ」
ミカを押し留めたエボンは、大狗を連れた男へと視線を向けた。
「何が素晴らしいものか。ザナルカンドの民を祈り子とし、新たなるザナルカンドを召喚する。民は諸手を挙げてお前に従うだろう。術が成功すれば何の干渉もない理想郷、ザナルカンドの誕生なのだから。
そして民はそこで子を生し、老い、死んでいく。
だが彼らはそこで終わらない。彼らの子供たちが生まれ変わろうと、街の祈り子となった始まりの民はただ只管にザナルカンドを召喚し続け、永遠に魂の虜囚となる。
こんなもの…理想郷を騙った集団自殺と何ら変わらん」
「では、何故ここに居てくれるんだい?」
「……」
エボンの問いかけにクロミネはふいっと視線を逸らしたが、依然向けられるエボンのその視線に彼は舌打ちして低く告げた。
「…守りたいものがあるからだ」
するとエボンは「ありがとう」と柔らかく微笑み、そして再び表情を引き締めて一同を見渡した。
「それでは、この事は一切他言無用だ。戦争に勝てればそれで良し。引き分けて示談に持ち込めるのならそれも良し。だが、「時」が来てしまったら…」
エボンの言葉に一同は無言で頷き、そしてエボン自身も小さく頷いた。
「それまで、生き延びてくれ」








(2003/08/16/高槻桂)

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