大きな足跡を辿る小さな足跡




「……ん……?」
ふっと夢から覚めたティーダは、自分以外の気配にびくりとする。
ああ、そうだった。
自分が寝ているベッドの下で寝そべっている男。
名を、アーロンと言っていた。
今思えばこんなどこの誰とも判別の付かない者を泊めるなど、不用心極まりない。
けれど、それ以上に一人で居る事への寂寥が勝ったし、アーロンの顔やその顔の右半分を縦断する傷は怖かったが、それでも悪人と称される輩とは違って見えた。
子供は直感で動く生き物だ。
特にこの少年はそれが如実に現れていた。
「……」
むくりと起き上がって男を見下ろすと、いつから起きていたのか、その片方だけの眼は開き、ティーダを見上げてくる。
「…オハヨウ」
お互い何と言えば良いのか判断に苦しみ、しばらくの沈黙の後、ティーダがぽつりとつぶやく。
「…御早う。今日は学校ではないのか?」
「今日はお休み。明日も」
「そうか」
アーロンの生まれ育った世界の子供たちは、一日おきに僧官の元で学んでいたが、こちらの生活習慣はわからなかったから、ティーダの言うことを真に受けるしかない。
「今日はどうするの?」
「どこかに部屋を借りなければな」
「そっか」
それ、とティーダはアーロンの傍らに置かれた大剣を指さした。
「ここに置いていったほうが良いよ。捕まっちゃうから」
「そうだな…」
「うん」
そして再び沈黙が下りる。
奇妙な朝だ。
二人はほぼ同時にそう思った。



日の高くなったザナルカンドの街中でアーロンが部屋探しをしている頃。
「………」
ティーダはきょろきょろと辺りを見回す。
大丈夫、誰も居ない。
それを確認したティーダは桟橋の端に腰掛け、その両脚を冷たい海水の中へと浸した。
そして息を吸い込み、歌い馴れたそれを紡いでいく。
「……はさてかな…あ、」
三度ほど歌った頃だろうか。不意に海面が盛り上がり、ティーダは歌うのを止める。
「やっぱり来た。この歌、好きなのかな」
水面から顔を出したのは、昨夜同じこの場所で姿を現わした化物だった。
「あのね、あれからね、変な人に会ったよ」
昨夜、この化物と別れてからの出来事をティーダは事細かに報告する。
父親の友人だと言うアーロンの事、帰って来ない母親の事。
別に、この化物が人の言葉を解すると思っての事ではない。
ただ話したかったのだ。
子供が親に今日の出来事を語るように。
ティーダには、それが出来る相手が居なかったから。
「それでね」
少なくとも、ティーダは人間であるアーロンよりは、この化物の方に好感を持っていた。
「そしたらアーロン、「これ、大丈夫か?」だって!真面目な顔してさぁ!湯沸かし器も知らない奴初めてだよ!」
何処のお坊ちゃんだよとケタケタと笑って桟橋をバンバン叩く。
「あっはははは…はぁ…」
不意にティーダは笑いを収め、俯いた。
「…傍にね、居てくれるんだって。俺を、守ってくれるんだって」
あはは、とさっきとは違い、力無い笑いを浮かべる。
「それって、いつまでなのかな?いつか、また、俺…一人になっちゃうのかな…」
またじわりと目頭が熱くなってくる。どうも最近はいつも以上に涙腺が弱っているらしい。
「父さん、あと二日で見つからないと死んだ事にされちゃうんだ。だから、母さん、きっと今日も帰ってこないよ」
自分の言葉に誘発されて更に溢れる涙。
それを抑える術を知らず、ティーダは唇を噛み締め、ぽろぽろと涙を膝の上に零していく。
そして水面から延ばされた触手の、慰めるようなそれにティーダの哀しみの箍は外れていく。
「うぅっ…ひっく……え?」
涙を零すティーダの髪を、ぺしんっと叩く物があった。
泣くのも忘れ、きょとんとそれを見ると、それは今までティーダを慰めるようにその髪を撫でていた触手だった。
尚もぺしぺしと叩いてくるそれに、ティーダは目を丸くする。
決して痛くはないそれに、ティーダはその意図を掴む。
本当は違うのかもしれない。他の意味があったのかもしれない。
けれど、この化物が、「いつまでも泣くな、元気出せ」と言ってくれているような気がしてなかった。
「……ありがとう」
涙でくしゃくしゃの顔で、ティーダは小さく笑った。





(続く)



(2002/03/22/高槻桂)

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