大きな足跡を辿る小さな足跡




彼はいつもの様にじっと海底で身を潜めていた。
今は夢のザナルカンドの海底で。
何故かこの海だけは他とは違い、癒される感があるからだ。
騒がしい事好きだった彼にそれは退屈でしかなかったが、自分が動く事で多くの人々が死に追いやられるというのなら、それをじっと耐えるしかなかった。
気分は悪くない。寧ろ良いくらいだ。
何せ彼の息子、ティーダの姿を少しの間とは言え、見る事が出来たのだから。
これで暫くは大人しくしていられそうだと内心で小さく笑う。

――…いぃえぇゆーいー…

不意に聞えて来た祈りの歌に、彼はゆっくりと首を擡げる。
この声を彼が間違う筈も無い。
それは、今自分を占めていた息子の声だ。
この声だけは、他の声に掻き消される事無く聞えてくる。
間違いない。ティーダが歌っている。
遥か頭上の水面を見上げ、彼はその歌に耳を傾ける。
そして、少々音外れなそれにくつくつと笑う。
やっぱ、俺の息子だな、と。

――…さてかなえー…

歌が終わり、暫くするとまた少年の歌声が繰り返される。
その歌に、ふと彼は身を起こす。
もしかして、と都合の良い思いが過ぎる。
もしかして、自分を呼んでいるのではないだろうか、と。
違っていても良い、あの場所へ。
あの場所へ前と同じように少しだけ顔を出してみれば良い。
そこにティーダがいなければ帰ってこれば良い。
ただ、ただそれだけの事だ。
ゆっくりと巨体を浮かせ、彼は浮上していった。
海面が近くなるにつれ、近くなる歌声。

居た。
居てくれた。
喜びで心が震えるのが分かる。

「やっぱり来た。この歌、好きなのかな」
きょと、として桟橋から見下ろしてくる息子に、愛しさが込み上げてくる。
初めてだった。ティーダがこんな風に見てくるのは。
いつも自分を見る時の視線は硬く、敵意に満ちていて。
こんな視線を向けられたのは、初めてだった。


「あのね、あれからね、変な人に会ったよ」
子供と言う生き物は順応性が高いもので、昨夜はあれだけ脅えていたと言うのに、どうやらもう何とも思っていない様だった。
さすが俺様の息子、と再度感心してしまう。
「なんかね、でっかい剣持っててさ」
ティーダの紡ぐ話におや、と思う。
「真っ赤な服で」
このザナルカンドで帯刀していて赤い服を纏う奴の心当たりなど、一人しかいない。
「顔の右っ側にね、こーんな大きな傷痕があるんだ」
ああ、アイツか、と苦笑する。
よし、ちゃんとティーダと会えたみたいだな。
「でね、つい拾ってきちゃった」
オイちょっと待てマイサン。
この姿で会ってから思っていたんだが、どうしてそうも警戒心と言う物が無いんだお前は。
「そしたらアーロン、「これ、大丈夫か?」だって!真面目な顔してさぁ!湯沸かし器も知らない奴初めてだよ!」
彼の心中など知る良しも無いティーダは昨日の出来事を事細かに語る。
男の名がアーロンだという事。そのアーロンが沸騰中の湯沸かし器をショート寸前だと勘違いした事、シャワーに驚いていた事、彼是彼是。
桟橋をばしばしと叩き、ティーダはケタケタと笑う。
こんな風に声を上げて笑う息子を見るのも彼は初めてだった。
この世界に放り出されたアーロンには悪いが、そのお陰でこの笑顔を見られるのだと思うとアーロンをこちらに飛ばして良かったとしみじみ彼は思う。
「もう笑っちゃったよ!ホントどこのお坊ちゃんだよ!!あっはははは…はぁ…」
ティーダは不意に笑いを収め、俯いた。
「…傍にね、居てくれるんだって。俺を、守ってくれるんだって」
あはは、とさっきとは違い、力無い笑いを浮かべる。
「それって、いつまでなのかな?いつか、また、俺…一人になっちゃうのかな…」
泣きそうに顔を歪めながらも笑おうとするティーダに、彼はこの少年の警戒心の無さの意を察した。
この子は、寂しいのだ。
それこそ、傍に居てくれるのであれば誰でも良いと思うくらい。
寂しいのだ。
「父さん、あと二日で見つからないと死んだ事にされちゃうんだ。だから、母さん、きっと今日も帰ってこないよ」
自分で言っていて、余計と哀しくなってしまったのだろう。その瞳からは大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。
ああ、本当にコイツは泣き虫だな、と懐かしいものを見るような思いで彼は触手を伸ばし、そのハニーブラウンの髪を撫でてやった。
「っく…ぅう……」
だが、撫でてやれば撫でるほど泣きじゃくる子供に、彼は途方に暮れてしまう。
ああもうどうすりゃ良いんだ!
おら、いつまでも泣いてんじゃねえよ!元気出せっての!
彼はどうして良いのかわからず、ついその触手でティーダの頭を叩いてしまう。
しまった、と彼は己の迂闊な行動を苦く思った。
ティーダは涙で濡れた目を驚きに真ん丸にしてこちらを見ている。
泣くぞ泣くぞ。びーびー泣き出すぞ。
どうするかと悩んでいると、予想に反して泣き声は聞えなかった。
「……ありがとう」
涙でくしゃくしゃの顔で、ティーダは小さく笑った。
自分の意図が通じたと、彼はほっとする。
そして、それはこっちのセリフだ、とも。

笑ってくれて、ありがとう。







(続く)



(2002/03/24/高槻桂)

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