大きな足跡を辿る小さな足跡
「だからいいってば!」 船型の家に少年の声が響く。 「しかし…」 「だーから!いいっつってんの!」 昨日からしつこいと怒鳴るティーダに、アーロンは仕様無しに口をつぐんだ。 「アンタを勝手に連れてきたってバレたら俺が怒られるんだから!」 ティーダはやれやれ、と言う様に溜息を吐いた。 原因はアーロンにある。アーロンがティーダの母に会いたいと言ったからだ。 勿論、ティーダ曰くの「親戚」たちのように付け入ろうだとかそんな積もりは更々ない。 ただ、泊めてもらっておいて何も言わない、というのはアーロンの常識に反していた。 だからせめて一言礼を、と思ったのだが、それをティーダに告げた所、少年はぎゃんぎゃんと喚いてそれを阻止したというわけだ。 「あっ!ちょ、靴持って部屋行って!」 そうこう言い合っている内に母親が帰宅した様だ。 「あ、いや、だから…」 「ダメったらダメ!出てきたらドロボウだって喚くからね!」 ティーダは小声でアーロンを自室に押し込むと、絶対に出てくるなよ、と念を押す。 「だが」 尚も言い募ろうとするアーロンを無視してしっかりドアを閉めると、ティーダは小走りに玄関へ走った。 「おかえりなさい!」 努めて明るい声で母親を迎えると、彼女は短い相槌を打ってリビングへと向かう。 「何か飲む?俺、持ってくるよ」 とさりとソファに沈み、明らかに疲労の色が濃く現れている母に精一杯の気遣いで接するが、それでもそれが母に届く事はなく、要らないわ、と短い応えだけがティーダの前に転がった。 「……明日、届けが出されるそうよ」 ぽつり、と彼女は呟いた。 「それが明後日受理されて、あの人、死亡扱いになってしまうんですって」 ふ、と哀しげな笑みをほんの僅か口元に刷いて彼女は俯き、両手で己の顔を覆った。 「………昔、あの人が言ったのよ…」 長い沈黙の後、彼女は語り始めた。 「子供が欲しいって…それは、私に向けられた言葉じゃなかったし、皆との、ちょっとした会話の弾みでの事だったわ。でも、これだって思ったの」 だから、大丈夫だからと嘘を付いて危険日にジェクトを誘った。 どうしても、子供が欲しかった。 彼の傍らにいるために。 だから、子供を授かったと医者に告げられた時は嬉しかった。 「子供ができたのって言ったらね、あの人、どうしたいんだって」 産みたい、って言ったら、結婚するかって言ってくれて。 嬉しかった。本当に、嬉しかった。 水の中を鮫の様に力強く泳ぐその姿を見てから、ずっと恋焦がれて。 他の人達と同じ、一ファンだった自分を選んでくれた男が愛しかった。 そして何より、自分達を結び付けてくれた未だ見ぬ子。 愛しかった。 けれど。 「あの人は私を愛してくれていたわ。でも、」 きゅ、と顔を覆った細い指を曲げ、拳を握る。 「あの人の一番は、あなたなのよ」 薄く微笑んで立ち尽くす息子へ視線を向けると、ティーダはきょとんとした表情で母親を見ていた。 「皮肉よね。あの人と結び付けたのもあなたなら、引き離すのもあなたなんだから」 「母さ」 「アンタの所為よ!!」 しん、としたリビングに女の声が響き、初めて聞く母の怒鳴り声にびくりとティーダは体を揺らした。 「アンタがあの人に酷い事を言ったから!だからあの人は居なくなってしまったのよ!」 子供にもそれが八つ当たりだと理解できる屁理屈。 けれど、そう喚き散らす彼女は、最早理知と柔和を兼ね備えた「母親」では有り得なかった。 愛する男を奪われた、ただの「女」へと戻っていた。 「あの人の為だけに産んだのにっ!!」 思えば、この時既に彼女は病んでいたのだろう。 毎日の、まさに身も心も細る捜索。 見つからない不安。 それらがゆるりと、しかし確実に、元々脆かった彼女を蝕んでいく事となった。 「子供なんて要らないからあの人を返してっ!!」 それは彼女を蝕み、そして、その息子にも牙を向ける。 「母…さん……」 わっと声を上げて泣き始めてしまった母。 ティーダは言われた事が理解できなかった。 否、理解しようとしなかった。 今は駄目だと、考えない様にする。 「……っ……」 それでも思考を止めるなどできる筈もなく、母を呼ぼうとする声は喉で詰り、代わりに熱い感情の塊が込み上げてくる。 「…っぁ……」 それはティーダにとって馴染み深い感覚であり、いつもならそのまま塊を通過させ、その両の眼から溢れさせていた。 けれど、今は唇を噛んでぐっと堪える。 謝らなくては、と思う。 母がお前が悪いと言っているのだ。謝らなくては。 ティーダにとって母の言う事は絶対だ。自分がどう思おうと、自分を産んだ母が「お前が悪い」と言うなら自分に非が有るのだろうと思う。 けれど、謝りたくはなかった。 謝るという事は、母の言う事を認めるという事だ。 自分はジェクトに愛されてなどいなかった。 思い出すのは、自分をからかう声と、見下ろしてくる視線。 思えば、父は唯一ティーダを見てくれた人物だった。だが、その視線はティーダにとって重苦しい威圧感でしかなく、父に見下ろされていると自分が人間ではなく、小さな虫にでもなったような気分になった。 母の言う事は間違っていないのかもしれない。 けれど、謝る事はできない。 「……」 ティーダは俯いて足早に自室へと駆け込んだ。 (やな感じだなーっちゅーとこで以下次号) (2002/04/16/高槻桂) |